「添加物まみれの人糞」はハエをも殺す?映画『うんこと死体の復権』の“グレートジャーニー”関野吉晴がうんこと虫、性と死、呪術と即身仏を語る
ハードコア大自然ドキュメンタリー『うんこと死体の復権』
この映画のタイトルに驚く人も多いだろう。紀行ドキュメンタリー番組『グレートジャーニー』(フジテレビ)などで探検家として知られる、人類学者で医師の関野吉晴さんの初監督作が8月3日(土)より全国で順次公開される。
山を購入し何十年もそこで野糞をし続けて水洗トイレに異議を唱える伊沢正名、うんこを食べる虫から生態系を観察する保全生態学者の高槻成紀、死体喰いの虫を美しく描く絵本作家の舘野鴻という三人のプロフェッショナルを追った映画だ。
制作意図は、自然界の命の循環を見せるため。このハードコア大自然ドキュメンタリーを撮った関野監督にお話をうかがった。映像制作会社ネツゲンのプロデューサー、前田亜紀さんも同席したインタビューの話題は、うんこと死体から即身仏へ、石器文化からアマゾン先住民族へと限りなく広がっていくのだった――。
「“どういう映画ですか?”って聞かれて、タイトルを言うと……」
―やっぱり資金を集めたり制作に協力してくれる人を探すのに苦労なさいましたか。
関野:いや、僕はしてない。「ネツゲンやってくんない? 一緒にやらない?」と(笑)。最初は(同社の前田亜紀さんと)共同監督だった。じゃあ安心していられるなと思って(笑)。
前田:「なんとかしてくれるわ」って(笑)。でも、そうですね、形にするまではそれほど苦労っていうのはなかったと思うんですけど、劇場を探すときと、あと配給をお願いするときとかに。
関野:そうそう、いつもやってくれてる劇場からね。
前田:(支配人が)「気持ち悪くなっちゃった」というんですね。
関野:(上映から)30分で。カレーライス食べてたんだよ。
前田:それもよくなかったと思うんですが、虫がイヤだとか、とにかく生理的に受け付けないとか。いままで一緒にお仕事をしていた方がとんでもなく虫嫌いだなんて知らなかったんですが、初めてこの作品で「ごめんなさい。ちょっと無理」という方がいらっしゃるんだなって。
関野:そう、うんこもそうだけど虫が嫌いな人がいるんですね。僕は「何やってんの?」ってよく聞かれるわけです。「いつもなんかやってるけど、いろんなことをやってるから、今いちばん興味を持ってるのは何?」と聞かれて、映画を作ってると言うと「どういう映画ですか?」と聞かれて、タイトル(『うんこと死体の復権』)を言うわけですよ。そうするとみんなすごく敏感に反応して、「誰が見るの、そんな映画?」っていうのと、「わあ面白そう!」っていうのに分かれちゃう。でも半分もいるんだからいいかって。
―メインのお三方が本当に独特で、こんなに面白い方たちとどのように知り合われるのかということにも興味があります。著書や論文との出会いが先なのか、あるいは何かの会合とかでお会いになるんですか?
関野:まあ“集まり”ですね。伊沢(正名)さんとは、彼の講演を聞いたことがあるんです。同じところで講演を二人で頼まれたり、自分の主催しているプロジェクトの<地球永住計画>で2回ぐらい呼んでいる。彼も<糞談(ふんだん)>という対談企画をずっとやっていて、いろんな人を呼んでるんだけど、僕は2回も出てる。
保全生態学の高槻(成紀)さんは、玉川上水の自然観察会の指導者なんですよ。哺乳類と植物の関係を研究してる高槻さんが小平市に引っ越してきたので、小学生たちと一緒に自然観察会したい、指導してほしい、一緒にやりましょうということになって。僕もたまたま武蔵野美術大学で教えるようになったんですが、学生は教室で話を聞くのが好きじゃないんです。じゃあ玉川上水でやろうか、ということで。
でも、ただ行っても「いっぱい花が咲いてるな」で終わっちゃう。たとえば“糞虫”というのは、歩いている人の99%は見たことがないと思います。それはやっぱり、ちゃんとした指導者に聞いて初めてわかることなので。トラップをかけなきゃ見られないし。でも簡単な道具で誰でもできると聞いたら、すごく熱くなってやる気になった。
―じゃあ学生さんの様子を見て、ニーズを汲み取られて……。
関野:いや、全然(笑)。僕がやりたくてやったので、学生はついでです。
―玉川上水のことを調べようとなさったときに、高槻先生を指導者としてお呼びになった?
関野:じつは僕も55年ぐらい前かな、小平市に住んでたんですよ。玉川上水にはトレイルがあったんです。一橋大学から朝鮮大学まで3キロくらい毎日のように往復して、走っていたランニング道路だった。一橋大学は昔、1~2年生は小平の分校でやってたんですね。そのあとムサビ(武蔵野美術大学)で教えるようになったときは通勤路だった。だけど自然は全然、意識して見てなかったわけですね。
やっぱり知っている人が一緒にいると全然違うんですよ、見え方が。「えっ、こんなとこだったんだ!」って。アマゾンとか、すごい自然があるところに行っているので、「玉川上水は40何キロつながっていて、緑道として貴重なんだ」「あ、そうなの? でも大したことないな」という感じで。でも専門家と一緒に見てみると、それまで見えなかったものがいっぱい見えてくるわけです。
―はい。まさに虫の目という感じでした。
「なぜ自然界は“性”をつくったのか? それは“多様性”だと思う」
―<地球永住計画>という素晴らしいプロジェクトをやっていらっしゃいますね。試写会後のスピーチでも人間が自然界最大の害獣だと、だからといって滅亡していいことにもならないということも仰っていますけれども、やはり問題は欲望とお考えですか?
関野:まあ、欲望は大切なもんですよね。活力の源というか、欲望がなかったら人間の活動は全然違ったものになるし、欲望は旧石器時代にもあったと思うし、猿人たちにもあったと思うんですけども。ただ、いまの欲望は肥大した欲望なので、それがいけない。それに煽られてますよね。広告代理店がデカい顔して「買え! 買え! 買え!」って。「こんなのもいいな」「もっと便利なものあるよ」とかね。本当にほしいというより、煽られて買っている面もあるわけです。それが大量生産・大量消費・大量廃棄を産んで、地球を壊してきたので。
―その一方で、コロナ禍でお金への欲望よりも生存欲が優って、「とにかく除菌して!」みたいなことも増えましたよね。この作品をそうした社会へのアンチテーゼのように観る人もいるのではないかとも思ったんですが。
関野:いや、欲望に関して言うと、虫にも欲望があるわけで、あのオスの糞虫ですらメスのかわいい子を探しているわけでね。それはやっぱり生命の歴史を見れば、オスとメスが生まれたことによって“性”というものが出てくるわけですけれども、でもそこで生まれたのが“死”なんですね。
死はなかったんですよ、それまで。だって(細胞)分裂すればいいんだもの。(自然は)なんで性を作ったんだろう? と。なんでだと思います? だって余計なことじゃないですか。分裂したり芽出したりすれば簡単だし、ぜんぜん面倒くさくないじゃないですか。ところが、それができなくなっちゃったんですね。性をつくることによって相手を探さなきゃいけない。それも大変なのに、やっと探しても「イヤよ」って言われたら終わりですから。なんでそんなことやったのか? ですよね。
それは、やっぱり多様性だと思うんです。分裂したら同じものしかできないので、なにか異変が起こったら全滅しちゃう。でも多様性を持って遺伝子が全部違うものになるようにしておけば、どれかが生き残るわけですよ。だから性をつくったんじゃないかなと思うんです。例えば人類というものが生まれた場合に、これが分裂で増えていくとしたら全部同じなので、クローンばっかりですよね。そこに一発寒波がくれば、バーンと全滅する恐れがある。でも全部違ったら、どれかが生き残る。生物的にはどれか残ればいいわけですよね。
―その生物というテーマを考えながら、この映画を撮られていると思うんですけれども、監督の撮影中のお気持ちが気になるシーンがあちこちにありまして。まず冒頭(一同笑)、まさにあのポスターのあのカットを撮られていらっしゃったとき、どんなお気持ちだったんですか?
関野:「やめてくれよ!」って(笑)。俺を撮るんじゃないだろう、伊沢さんだろう、と。
―しかも当初はご自分のモノもお見せにならなかったんですけど、伊沢さんを取材なさっていて、意識が変わってきたところがあったのでしょうか?
関野:いや、慣れですね。慣れてきて別に緊張しなくなってきた。カメラを向けられても、別にいいかって。でも、使われたくなかったけどね(笑)。
前田:(笑)。でも「使われたくない」って言わないんですよ。最後に「じつはイヤだったんだ」「あ、そうだったんですか?」って。
関野:一応、監督ですからね。やっぱり作品にとってはあった方がいい。でも俺じゃなくてもいいな(笑)。
「チベット医学は東洋医学に似ているけれど、ちょっと呪術も入ってる」
―監督の意識の変化が気になったのは、いま腸の健康が話題になっているからなんです。自分のモノを記録できるアプリが人気だったりします。伊沢さんがお三方の中で一番年上なのに、めちゃくちゃ肌つやが良かったのも印象的で。そうした伊沢さんからの影響は監督にはありましたか?
関野:それはアンチエイジングみたいなことですか?
―いえ、最初はカメラを向けても出ない。でも最終的にはすごく立派だと褒められるようなモノが出る。それは立派なモノを出そうと意識が変化したのでしょうか。
関野:いや、全然たまたま。何もしてないです。
―食生活を変えてみたりも?
関野:全然してないですね。別に伊沢さんも正しい食生活をしてるわけじゃないし、むしろ僕のほうが正しいくらいだと思うんです。伊沢さんは歯医者も行かないんですよ、前歯も全部なくなっちゃってるのに。伊沢さん自身は両親とも歯医者で、歯科技工士みたいなバイトもやっていた。それなのに行かないし、病気になっても医者に行かないと言ってますね。
―徹底してますね。
関野:すごいですよ。第一、死を怖がっていない。
―最後、野垂れ死にだとおっしゃってましたね。
関野:彼は火葬にされたくないわけですよ。それで火葬にしないところが京都と奈良にあるよと言ったんです。そこは土葬するために結構しっかりした儀式をやるんですよ。そうすると「そんな儀式なんかイヤだ」と。野垂れ死にしたいって言うから、どうやって死ぬのかなって。普通あんまり考えないですよね、死んだらどうしたらいいのかなっていうことは。僕なんかまだ死ぬ気になっていないから、具体的に自分は本当にどうしたらいいかと聞かれたらやっぱり土葬なんだけど、でも面倒くさいだろうなって。
―本当にそういったこともすごく考えさせられまして、じゃあ富士の樹海に入るのかとかは……。
関野:……いつ死ぬか、本当に死期を見定められる人は富士の樹海に入ってもいいけど。いい医者は「この人はいつ死ぬ」とわかる人だって言うんですけども、普通は医者でも結構当たらなかったり。だいたい余命半年とか3か月とか言われて、何年も生きてる人がいっぱいいますからね。
―確かに。じゃあ、むしろ考えなくていいことなんでしょうか?
関野:ただ、真言宗の人たちの死は……チベット仏教もそうなんですけれども、それは見事です。それをこの映画では何も言っていないけれど、実際に見たんですよ。ネパールのチベット圏で、いちばんチベットらしい暮らしをしている人たちのところに4ヶ月いたんですけど、若い女の子の父親が病気になった。彼はお坊さんなんですよ。
チベット医学って漢方に似ていて東洋医学で、やっぱり鍼灸とか薬草、ちょっと呪術も入ってるんですけどね。ただ漢方と違うのは、前世と来世があるということ。西洋医学は病気の原因を科学的に探そうとしていて、東洋医学もそれに近いんですよ。でもチベット医学だと「前世で悪いことをしたから病気になった」とかいうのも出てくる。
で、その病気になった人のところに行ったら、弟子たちや先輩のお坊さんに囲まれて苦しそうに座っている。お坊さんに囲まれている患者を診るなんて初めてでしたよ。聴診器なんかいらない。もう聴診器を当てる前にゴボゴボいってるわけ。それは肺に水が溜まっているんですね。肌が土色になってお腹が膨らんでいて、完全に肝臓がやられてるんですよ。すぐ「この人は長くないな」と。
僕は彼の死の瞬間には立ち会えなかったんだけど、彼のお兄さんが高僧で死の瞬間に立ち会ってるから、「誰が死を確認したんですか?」と聞いたら、誰もしてないって言うんですよ。高僧になると自分がいつ死ぬかわかるんです。手助けさせて瞑想の姿勢を取って、家族とか弟子や先輩たちを集めて最後の言葉を言うんです。それで「行きます」と言って、“死”なんですね。誰かが看取るとかじゃなくて、「本人が決めること」だと。
日本でも、空海がそれをやっているわけです。彼はまず最初に、いつ死ぬか、「春分の日に死ぬ」と計画を立てるわけですね。何をするかというと、まず五穀断ち。穀物、食事をやめるってことですね。だんだん弱ってくるわけですが、その後に水を断つ。でも長くないんです。水を断てば病人だったら3日で死にます。そういうことを、じつは真言宗はやってきた。即身仏もみんなそうなんです。
空海もやっぱり「行きます」って最後の言葉を遺すんですけど、その伝統がずっと東北、山形県とかを中心にあったんですね。でも100年くらい前に即身仏は禁止されたんですよ。みんな食事を持って行ったり、姿勢が崩れたら直したり介護しないといけない。そうしないと自殺幇助罪になっちゃうんですよ。それで100年くらい前に、医者が“死”を決めることになったんです。本人が決めちゃいけない。
そのころ(死の)指標はしっかりしてたんですね。それは「息が止まる」「心臓が止まる」「瞳孔が開く」なんですよ。だから医者でなくても誰でもわかることなんです。それが最近になって、ここ20~30年で変わったのが“脳死”。医者でもわからない、特別な医者じゃないと。……で、僕が言いたいのは、自分で死を決められて「いいなあ」って。
「うんこにハエがついたら、そのハエが死んじゃった」
―映画の話に戻りますけれども、伊沢さんの章で、ご友人が出したモノによってセンチコガネ(本作中で“最強の悪食”と称される昆虫)が死んでしまったことが私は結構ショックで、やっぱりああいうことには添加物とか家畜の飼料のホルモン剤とかPFAS(※新たな環境汚染源としての報道が増えている有機フッ素化合物)とか、様々な背景があるのかなと思ったんですけれども。
関野:うーん、でもねPFASなんてみんな平等に影響を受けてるわけで、まあ多重に受けてるかもしれないけれど、食べ物のなにか(が原因)ですよね。なんか変なもの食べたんですよ。でも、それで言ったら高槻さん、保全生態学の先生が見たのは、うんこにハエがついたら、そのハエが死んじゃった。
―ああ……(絶句)。
関野:食べ物っていうのは、もろに影響するわけですから。
―虫が死ぬような毒を排泄している人体があるということに非常にショックを受けました。
関野:だって人工添加物なんか我々ものすごく食べてるんだよね、キロ単位で。気をつけてる人だって、ものすごい量を摂ってますから。
―そういった問題提起にもなりそうですね。
関野:それをやろうとしたんですよ。コンビニ食とか、めちゃくちゃ食べたの。ほんとに添加物実験をして、そのあと学生も参加して一緒にやっていたんですけど、あんまり変わらなかった。(虫が)コロっと死ななかったし(笑)。第一それは、あんまり科学的じゃないんですね。どのぐらい食べたらいいか? とか。だって1年経てば細胞も全部変わるわけで、結構影響を受けると思うんですけども、やっぱり1週間くらいではね。
―そうですね。ハエが死ぬようなモノが出るようになるまでには相当、体がボロボロになりそうな気がします。
関野:みんなすごい量の添加物を食べてるわけです。でも、みんな元気で働いてるじゃないですか。だからすぐには影響はないけれども、じわじわときていて、たぶん長生きできないんじゃないかな。それは西丸震哉(1923 – 2012)さんという、作家で農林省の役人でもあって栄養のことをずっとやっていて、パプアニューギニアに行ったりする探検家でもあって、いろんな作品を作っていて、オーケストラも自分で持っていた人がいて。(当時)その人が「いまの若者たちは平均寿命41歳になるだろう」って。ならなかったんですけどね(笑)。
「南米の人たちには“七色の職業を持ってる”と言われていた」
―舘野(鴻/絵本作家)さんの章でも、とても面白いところがあって。舘野さんと話していらっしゃったときに、まさにキャッチコピーとなっている台詞が出ましたが、そのときに「去年くらいから、こいつらすげえなと思いはじめた」と仰っていたんですよ。こうした感銘は、映画を撮りはじめて観察が進んでから生まれてきたんですか?
関野:その前に高槻さんとトラップをかけてマウスを使ったりしてたんだけど、すぐに蛆虫がすごい来るわけです。すげえなと思っていたのはそれで、ずっと前ですね。
―同じ章で、毛についた虫を集めていたときに舘野さんが大興奮してらっしゃる横で、監督は「ふーん」みたいなフラットな相槌で、「もっと喜んでくださいよ!」と言われていて。
関野:違う(笑)。向こうがノッちゃってるから、こっちはノれないわけですよ。だって、ものすごく喜んでるわけ。その「食べてくれた」ということ以外に、その虫自体が珍しいものだから興奮しちゃって、こっちは冷めちゃうよ。「それで?」って(笑)。
だって「自分の体を虫が食べてくれる。でも、毛は食べてくれないんじゃないか。毛だけ残ったらイヤだな」と彼は思ってたんですよ。だから「俺の毛も全部食べてくれるんだ!」って喜んでるんだけど、別に毛もね、骨と違って埋めれば無くなるんですよ、微生物が分解してくれるので。と、僕は思っていたから。それは言わなかったけどね、すごく喜んでるのに……(笑)。
―そういう感じで、監督のお人柄が出てくるところも面白かったです。先ほどの玉川上水について監督は、いま保護活動もされていますけれども、都知事選の結果もあり、今後こうした政治状況、都民の意識で、私たちは今後どのように自然を守っていけるでしょうか? どのような展望をお持ちですか。
関野:いまやっているのは反対運動じゃないんですね。もちろん道路は造ってほしくないんですけど、とにかく都知事に(現場を)見てほしい。玉川上水の、とくに小平の橋を造る計画がある部分がいちばん自然が残っているところなので、興味はないだろうけれど、それを見てきてほしい。それと、アセスメントをやり直してほしい。一回やっているんですよ。だけどそれは官製のアセスメントで、道路建設ありきでやっているんですよね。
―御用アセスメントですね。
関野:だからちゃんとしたアセスメントをやってほしい。東京都は、市民と専門家が一緒になって調査することが必要だとか、良いことはいっぱい言っている。それに準じてやってくれと言ってるんですよ。で、そのための署名運動をやっているんですね。そこが焦点だった選挙だったんだけれども……。
―焦点だったはずの自然保護が論点にならなかった残念な選挙戦でした。ところで監督は、学生のころからアマゾンに通い続けて、アマゾンの方々の役に立とうとお医者さんになられて、その後グレートジャーニー(※自身の脚力と腕力だけで遡行する旅)に44歳で出発されて、映画も監督なさってという、もう4人分ぐらいの人生を送ってらっしゃる感じなんですけど、その原動力は何だと思っていらっしゃいますか?
関野:原動力、原動力……。あ、病気!(ニッコリ)。
―えっ、なぜですか?
関野:僕、作家の高野秀行と仲がいいんだけど、あるとき「関野さん、もしかして注意欠陥多動性障害(ADHD)じゃないですか?」って言われたんですよ。「じつは僕もそうなんです」と。で、角幡(唯介)という探検家がいて、彼もそうなんだ。共通点があって、一つのものに気を取られると、それ以外に興味がなくなる。過集中で、ほかはどうでもよくなる。だから片づかない。片づけてる暇があったら好きなことをやりたいから、そのうち床が見えなくなる、とかね。それが三人とも共通点だということがわかって、きっとほかにもいっぱいいるだろうなって。
僕はそれ、自分で気がついてて、学生のころジャン・ジャック・ルソーの「告白録」を読んだんです。“若者の人生を変えちゃう本”とよく言われている、いっとき麻疹みたいになっちゃう本が3冊あって、それがルソーの「告白録」と、ドストエフスキーの「地下生活者の手記」と、太宰治の「人間失格」なんです。その「告白録」に<あることにとらわれると、地球が何かしようがどうでもよくなって>という文章があって、「えっ、これ俺のことじゃないか!」と(笑)。
ところが集中して、終わると冷める。でも、次に何か待っているわけです、集中するものが。常に(興味の対象が)変わるので、「この人、何なの?」と。南米の人たちは(僕の)そういうところを知っているわけですよ、いろんなことに手をつけるっていうのは。だから僕は“七色の職業”を持っている、虹のような職業を持っていると言われていて。だから説明するのが非常に難しくて。娘が保育園に行っていたころに困ったみたいで、「お父さん何やってるの?」って聞かれるじゃないですか。「うん、いまは自転車に乗ってるけど、その前はね……」と(笑)。
―でも、すごくユニークな人生ですよね。いまは映画ですか?
関野:<地球永住計画>でいろんな人と対談していて、自分の肩書きは大体「探検家、医師」にしてるんですけれども、今度は「『うんこと死体の復権』の監督、医師」(笑)。
前田:いまは旧石器生活に夢中になっていて、『うんこと死体~』の取材中も本当によく通っていたんですよね。
「大好きな黒曜石に失礼しちゃったなって(笑)」
―前田さんに「そういえば75歳おめでとうございます」と言われているのも、とても印象的でした。
関野:あれ、やめてほしかったんだけど(笑)。
―しかも、しっかりした歯で鹿の燻製にかぶりついているときにそう言われていて、世の中の同世代の方々に比べて、このたくましさはなんだろう? と。とても印象的でしたし、皆さん元気づけられると思います。
関野:(笑)。あのとき「ナイフなんかいらねえよ」って言っちゃってるでしょ。あれは失敗だったなって。黒曜石のナイフは使ってるわけですよ。大好きな黒曜石に失礼だなと。
前田:あれはでも、石じゃないですか。だから“ナイフなしで山に入る”と。
関野:ナイフは自分で作っているわけですけど、「鉄のナイフ」って言えばよかったんだよね。黒曜石に失礼しちゃったな。
―(笑)。鹿は罠か何かで獲るんですか?
関野:罠は、木の棒で穴を掘るのが大変なんですよ。1ヶ月はかかっちゃう。旧石器時代、実際に大がかりな罠はあったんです。1メートルから1.5メートルくらいの穴と、もう一つ小さな穴を掘らないといけない。大きい穴だけだと、鹿のジャンプ力はすごいですから、2~3メートルはボーンと跳んで逃げちゃうんです。だけど鹿の足が小さな穴に入ると、動けなくなる。そういう罠が遺跡に並んでるんですよ。こう、遺跡があったとしたら、その穴と穴との間を遮蔽して通れなくしちゃって、それでこっちから追いかけると必ず落ちる。それで……(夢中でお話しになり、こちらも聞き入ってしまう)。
前田:そういうのはできなかったから、という話でしたよね(笑)。
関野:できなかったから(笑)、罠猟師にお願いに行って「分けてください」と。一人だから子鹿で良かったのに、食いきれないのに60キロですよ。
―とても印象的なラストでした。
関野:ただ、あれに関しては、舘野さんと高槻さんが一緒に試写を観て、二人で話し合ったらしいんです。「いい映画だったね、けど、あれは余計だった」と。僕は最初に「なぜこの映画を作ったか」とプロローグで言っていて、じゃあ最後のエピローグで、3年間彼らと付き合い虫たちと付き合ったことによって、どのように変わったかを書いてくれとプロデューサーが言うので、それをエピローグで読んだんだけど、ああなったわけです。
前田:エピローグのまとめがなくて終わっちゃうと、三人の生き方はわかったけど、我々はどうしたらいいの? という感じになってしまうので、最後にまとめようと。
関野:それで書いたんだけど、観ている人にとってはそれまで“うんこと死体”とか言っていて、(エピローグでは)全然関係ない石器時代に行っちゃったから。本筋とちょっとずれるじゃないですか? だけど、なんか関野さんらしくていいやってことで落ち着いたんだって(笑)。
―確かに、あれをそのまま実践はできないなとなるかもしれませんが、何らかの生き方のヒントを得られるのではないかなと。
関野:共通して、両方ともアマゾンのマチゲンガという先住民の影響なんです。彼らはナイフ1本で生きていけるので。自分もアマゾンならナイフ1本で行けるけど、じゃあ(日本だし)ナイフなしでやろうじゃないかっていうね。いや、ナイフはあるんですけどね。結構鋭いんですよ、黒曜石ナイフ。だけど鉄のほうが使いやすい。鉄ってすげえなって(笑)。
取材・文:遠藤京子
『うんこと死体の復権』は2024年8月3日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー