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「一週間のごぶさたでした」の玉置宏の名調子で1000回、ひばり、御三家、新御三家、花の中三トリオら人気歌手が日曜日の午後の家族そろっての団欒を楽しませてくれた「ロッテ歌のアルバム」

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「一週間のごぶさたでした」の玉置宏の名調子で1000回、ひばり、御三家、新御三家、花の中三トリオら人気歌手が日曜日の午後の家族そろっての団欒を楽しませてくれた「ロッテ歌のアルバム」

1953年にNHKが開局し、続いて民放初の放送局日本テレビが開局以来テレビはいつも、その時代を映し出してきた。小さな子どもたちから、おじいちゃん、おばあちゃんまで家族一同が集うお茶の間の中心にはテレビがあった。人々にはそれぞれの時代にやきつけられたテレビが映し出した映像が記憶にある。
残念ながら、テレビ離れが囁かれて久しい。視聴率も二桁取れれば及第点と呼ばれる時代だ。果たして今放送されているテレビドラマやバラエティ番組などは10年後の人々の記憶に残っているだろうか。タレントやお笑い芸人たちのバカ騒ぎ番組には辟易しているのに。本シリーズでは過去のテレビ番組から、時代の記憶をよみがえらせてみたい。

 今回ご紹介する「ロッテ歌のアルバム」は、1958年5月4日から77年10月2日まで、玉置宏が司会を務めた時代にフィーチャーしたものである。毎週日曜のお昼の12時45分から13時15分まで、TBS系列で放送されていた歌謡番組。ぼくがこの番組を観るようになったのは、舟木一夫のデビュー前後だと記憶しているので、おそらくは63年ころからだったと思う。ぼくは小学三年生だった。

 そのころの日曜日といえば、ぼくと妹の役割は自分の部屋をはじめ、居間や台所、階段などすべての部屋の掃除機かけだった。そして10時半になると、ジャーナリストの兼高かおるがプロデューサー、ディレクター、レポーター、ナレーターまで務めたTBS系列で放送されていた「兼高かおる世界の旅」を家族そろって観る。兼高が訪れた世界の国々を紹介する番組で、現在のように海外旅行も一般的ではない時代にあって、見知らぬ国の人々の暮らしは珍しく、食い入るように観ていたのを思い出す。兼高の相手をアナウンサーであり、「水戸黄門」や「木枯し紋次郎」などで名ナレーターとして知られる芥川隆行が務めていたことも思い出される。ぼくと妹はミルクを、父と母はコーヒーを飲みながら観ていた。父はハイカラ好きで、新しもの好きだったので、そのころからサイホンでコーヒーを淹れていた。パンアメリカン(パンナム)航空が協賛していて、番組タイトル・テロップのバックで流れていたテーマ曲は映画『八十日間世界一周』の主題曲だった。コーヒーの香りとテーマ曲は今もぼくの匂いと音の記憶として残っている。

 正午の時報とともにチャンネルを合わせたのはNET(現・テレビ朝日)系列で12時45分まで放送されていた「大正テレビ寄席」だった。「あーやんなっちゃった、あー驚いた」のフレーズでおなじみのウクレレ漫談の牧伸二が司会進行を務め、オープニングの枕として、ネタも披露していた。「あーやんなっちゃった」は子どもたちの間でも流行っていた。そして、45分になるとお待ちかねTBS(我が家の福岡ではRKBだった)にチャンネルを回し「ロッテ歌のアルバム」を観る。ちょうど昼飯の時間である。その当時わが家に下宿していた中学校の若い2人の男性教師も一緒だ。

 「一週間のご無沙汰でした。玉置宏でございます。お口の恋人、ロッテ提供『ロッテ歌のアルバム』……」という、司会者玉置宏の冒頭の名調子は今でも語り草である。その年代を知っている多くの人々の記憶にも刻まれているに違いない。

イラスト:山﨑杉夫

「ロッテ歌のアルバム」が、それまでの歌謡番組と違っていたのは、スターの原石を一早く見つけ出し出演させていたところではないだろうか。そしてそれは「潮来笠」でデビューした橋幸夫に始まったのではなかったか。若手の歌手たちの登場に、若者たちはとびついた。その後、舟木一夫、西郷輝彦、三田明、梶光夫、久保浩、安達明、美樹克彦、三沢あけみ、梓みちよらが週替わりで出演していた。月刊「平凡」「明星」といった芸能雑誌の表紙が映画スターから、テレビから誕生した若手歌手たちに移行し始めたころと重なる。花嫁修業のためか、日曜日にわが家にお手伝いにきていたお姉さんがいたが、彼女が一番夢中になっていたのを思い出す。三田明のファンだったのではなかったか。

 確か64年の正月第一週の放送には美空ひばり、三波春夫ら大ベテランに、橋幸夫、舟木一夫、三沢あけみらがそろって出演していたような記憶がある。また、68年初回の500回記念だったか、美空ひばり、三波春夫、村田英雄、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、三田明らのそろい踏みだったような。ブルー・コメッツも出演していたかもしれない。少々記憶が怪しい。だが、普段はなかなかそろうことが難しい売れっ子たちが一堂に会するのは、見応えがあった。それだけ、この番組には歌手も一目置き、威力があったことの証だろう。都はるみは「この番組に出ないうちは一流歌手ではないと思っていた」と言っていた。

 その後も、森進一、五木ひろし、にしきのあきら(現・錦野旦)、フォーリーブス、小柳ルミ子、野口五郎、西城秀樹、郷ひろみ、南沙織、桜田淳子、山口百恵、ピンク・レディーら、その時代の人気歌手らが次々に出演し、77年8月7日放送の1000回記念には、前述の歌手たちがこぞって出演している。そして、玉置宏はこの番組を卒業した。

 玉置宏の司会番組にはNET系列で日曜の夜に放送されていた、人気歌手たちがモノマネを競う「象印スターものまね大合戦」もあり、三田明や森昌子が自慢のモノマネを披露していた。玉置宏は、文化放送のアナウンサー出身だが、フリーに転身しての歌謡番組での司会にプロフェッショナルとしての仕事を見せていた。

 ちなみに「ロッテ歌のアルバム」にひいきの歌手が出演していないときには、NET系列の裏番組「オリエンタルがっちり買いましょう」という買物ゲームを見たりもした。上方芸人の夢路いとし、喜味こいしが司会する視聴者参加番組だ。確か、3万円、5万円、7万円と3つのコースがあり、所定の範囲内で値段の伏せられた商品を購入すると買物した商品をすべて持ち帰ることができるという庶民には嬉しい番組だった。オリエンタルというのは、カレーや香辛料などの食品メーカーで、マースチャツネを付けた即席カレー「マースカレー」が人気だった。

「ロッテ歌のアルバム」のことを思い出すとき、子ども時代の日曜午後の家族団欒の風景がよみがえってくる。もう、60年以上も前の昭和の景色である。

文=渋村 徹

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