元ジュビロ磐田FWの中村祐輝さん(藤枝東高出身)が中央静岡ヤクルト販売社長に!ジュビロ移籍を引き寄せた「出会い」とは…
SBSラジオの静岡サッカー熱血応援番組「ヒデとキトーのFooTALK!」に、元ジュビロ磐田の選手で、中央静岡ヤクルト販売株式会社代表取締役社長に就任した中村祐輝さんをお招きしました。聞き手はパーソナリティのペナルティ・ヒデさんと鬼頭里枝さん。
鬼頭:まずは中村さんのプロフィールを紹介します。1987年生まれ、静岡市出身の37歳。清水エスパルスのジュニアユースから藤枝東高校に進学し、高校2年時に全国高校選手権に出場。国士舘大学を卒業し、ルーマニア2部のチームに加入。その後、チェコやスロバキアのチームを経て、2013年からFC岐阜、2015年からジュビロ磐田でプレーし、2017年に現役引退しました。
ヒデ:静岡市出身で、どうして藤枝東を選んだんですか?
中村:中学はエスパルスのジュニアユースでプレーしていたんですが、ユースに上がれなかったんです。そこで高校サッカーに進むことになって、高校サッカーといえば藤色のユニフォームでした。
ヒデ:中村俊輔さんや本田圭佑さんもクラブのユースに上がれなかったんですよね。みんな悔しさをバネにしました。実際に藤枝東に入っていかがでしたか。
中村:文武両道で苦労しましたけど、いい仲間に出会えました。サッカーだけじゃなくていろんなことを勉強できた時代でした。
ヒデ:1年から全国大会に出場してゴールも決めているんですよね。
中村:運もあったんですが、9番をつけて。ちょっと自慢ですけど(笑)一つ上に赤星さん(赤星貴文・岳南Fモスペリオ代表取締役)、後輩には山田大記選手(ジュビロ磐田)や河井陽介選手(カターレ富山)がいました。
ヒデ:で、大学は名門の国士舘へ。
中村:高校からそのままプロのチームに行きたくて、ジュビロ磐田や浦和レッズの練習に参加したんです。でも、プロはちょっと難しいなと高校生ながら感じて、やっぱり大学に行こうかなと思って国士舘にお世話になりました。
ルーマニアへの挑戦「若さゆえ」
ヒデ:大学卒業後、ルーマニアに行っちゃった。どういうルートで?
中村:同級生にはJリーグクラブに練習参加してる選手もいたんですが、僕はやっぱり海外にチャレンジしたい気持ちがすごく強かったんです。
スパイク一つ、スーツケース一つ、飛行機の片道切符だけで「いったれ」と思って。若さゆえにできたチャレンジだったと思います。ちょっと格好良く言っちゃいましたが(笑)
ヒデ:ルーマニアはどうでしたか?
中村:やはり日本と文化が全然違いました。ほぼ日本人はいない。言葉が違う、食べ物も全然違う。よくあれで生活したなと思います。
ヒデ:何に一番苦労しましたか?
中村:ピッチに入ってしまえば、自分のプレーで力を証明して認めてもらうしかないんですが、ピッチ外の生活が苦労しましたね。寂しかったです。ホームシックになり、当時はスカイプの時代でテレビ電話ばかりしていました。
ヒデ:プレーは通用したんですか。
中村:まず初めはルーマニア2部のチームに入ったので、通用していたとは思いますね。ルーマニアで1年半か2年ぐらいプレーして、その後は自分で海外の代理人と話をしながら、チームを探しました。
ルーマニアからチェコに行った時も言語はもちろん違いますし、プレーも全然違いました。ルーマニアはどちらかというと日本に近いようなプレースタイルでしたが、チェコは本当にフィジカル重視。国の違いはありましたね。
ジュビロ加入「運がよかった」
鬼頭:その後スロバキアにも行って、2013年にFC岐阜に入りました。
中村:ハンガリーのクラブにチャレンジしていたんですが、契約できずに帰国したんです。そこで当時藤枝MYFCで監督兼選手だった斉藤俊秀さん(日本代表コーチ、清水東高校出身)と出会うことができて、FC岐阜を紹介してもらいました。
鬼頭:そして2015年、16年はジュビロ磐田でプレーしました。
中村:FC岐阜の最初の年にハットさん(服部年宏さん)と半年間一緒にプレーして、ハットさんはその後引退してジュビロの強化部に入りました。
ハットさんとの練習最後の日に、「ハットさん、僕をジュビロに入れてくださいよ」って言っていたんです。そしたら1年後に本当にオファーをくれました。人との出会い、運がよかったです。
ヒデ:ジュビロでのプレーは感慨深いものがあったのでは。
中村:地元でプレーできるのはすごくうれしかったですし、自分はエスパルスの下部組織育ちではありましたが、あのサックスブルーのユニフォームは憧れでしたよね。
ヒデ:すごいな。子供たちにこういう話を聞かせてあげたいんだよな。
引退、そして家業へ「スポーツの世界と同じ」
鬼頭:そして2016年の11月に契約満了、29歳で現役を引退。
中村:自分の体のキレやコンディションはピークでした。ただ、自分の人生設計として次のステージも意識していたので…。地元のクラブでプレーしていたし、契約満了も告げられたので、いろんな国やチームからオファーはいただいたんですが、「あ、これはもう引退のときだな」と。
ヒデ:プロとして思い描いているビジョン通りにいかなくなった時がやっぱり引き際なのかな。うちの相方ぐらいですよ、52歳でまだ明石家さんまになれると思ってるの。
鬼頭:あきらめない心(笑)
ヒデ:その時に今の仕事をやるビジョンはあったんですか。
中村:実はですね…中央静岡ヤクルト販売は家業でして…。今は私が社長で、父は会長です。
親からは「やれ」とは言われたことは1度もないですが、やっぱりヤクルトが大好きなんで(笑)自分自身はこの第2のキャリアをイメージしながらプロ生活を過ごしてきました。
ヒデ:そうなんだ!でも大変でしょ?
中村:やっぱり会社はチームで、各自の役割があり、お客様のためであり。スポーツと同じですよね。ファン作りっていう部分も共通してますね。
ヒデ:これまでのいろんな経験が生かされるね。どんなお客さんでも懐深くいけるでしょ?
中村:まず言葉が通じますからね。ちゃんと時間をかけて皆さんとお話すれば、理解し合えるというのはありますね。
鬼頭:ヤクルトレディーさんもファミリーですよね。
中村:そうですね。やりがいがありますね。めちゃくちゃ楽しいです。
ヒデ:ご結婚は?
中村:してます。2歳の娘は毎日ヤクルトを2本飲んでいます(笑)
「地域で一番愛される会社に」
鬼頭:サッカーの試合は見に行ってるんですか。
中村:試合を見に行くことは減りましたけど、結果はチェックしています。友達もまだプレーしているので。
ヒデ:やっぱり一歩引いて初めて分かった、サッカーの魅力とか楽しさもあるのでは?
中村:スポーツから学んだことって、その先の人生にも生きると思います。すごい凝縮されている競技だなと思いますね。
ヒデ:今後のビジョンを教えてください。
中村:今、会社の企業ビジョンで「地域で一番愛される会社」を掲げていて、お客様の健康応援に励んでいます。ヤクルトのファンになってもらう方が1人でも多くなるように。
そして僕の夢はやはり従業者の皆さんがヤクルトに携わってよかったなって思ってもらえるような会社をつくることです。
鬼頭:最後にサッカーファンの皆さんにメッセージを。
中村:中央静岡ヤクルト販売のみんなで静岡とサッカーを一緒に盛り上げていければなと思っています。みんなで静岡の4チームを応援していきましょう!