フィジー、サモア、トンガ…なぜ太平洋には小さな島国がこれほど多いのか?
広大な太平洋の海域には、フィジー、サモア、トンガ、バヌアツ、キリバス、ミクロネシア連邦など、数多くの小さな島国が点在している。
地図を見ると「なぜ一つの大きな国にまとまらず、これほど多くの独立国に分かれているのか」と疑問に思うかもしれない。
南太平洋にこれほど多くの小国が生まれた背景には、島々の地理や植民地支配、そして戦後の独立の歴史が大きく関係している。
そもそも島同士が遠く離れていた「地理的条件」
大前提として、オセアニア(ポリネシア、メラネシア、ミクロネシア)の島々は、何千キロもの広大な海によって隔てられている。
古代、カヌーを操り海を渡ってそれぞれの島に定住した人々は、長い時間をかけて独自の言語、文化、社会システムを育んできた。
島々の間では交易や往来も続いていたが、何千キロもの海を隔てた地域では、それぞれに独自の共同体や政治的まとまりが形成されていった。
つまり、陸続きの大陸のように広域の統一国家へまとまりやすい条件ではなかったことが、後の国家形成にも影響を与えたと考えられる。
列強による分割統治がもたらした境界線
19世紀から20世紀初頭にかけて、南太平洋はイギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどの欧米列強によって分割・植民地化され、その後はオーストラリアやニュージーランドも各地の統治を担った。
この時、どの島をどの国が統治するかによって、行政区分(境界線)がバラバラに引かれ、別個の行政管理が行われたのだ。
こうして、それぞれが異なる植民地単位としてバラバラに近代化への道を歩むことになったのである。
戦後の脱植民地化と国連の原則
その後、決定的な転換点となったのは、第二次世界大戦後の世界的な脱植民地化の波である。
1960年に国連で採択された「植民地独立付与宣言」などにより、世界中で「植民地は独立すべきである」という機運が高まった。
南太平洋においても、1962年の西サモア(現・サモア)の独立を皮切りに、1970年代から1980年代にかけて多くの島々が次々と独立を果たした。
この際、国連が掲げた「民族自決の原則」に基づき、それぞれの植民地や信託統治領を単位として、住民投票や自治権の確立などが進められた。
そのため、人口が数万人規模の小さな島国であっても、次々と独立国として国際社会にデビューすることになった。
もちろんすべてが独立を選んだわけではなく、自由連合や他国との統合という道を選んだ地域もあるが、結果として世界地図の上には多くの小さな島国が並ぶことになったのである。
「小さな独立国」が直面する現代の課題
こうして誕生した南太平洋の島国たちは、独立した主権国家として国連総会では大国と同じ「一国一票」を持つ一方、小さな島国であるため経済規模には限界があり、観光や漁業に頼る国も少なくない。
しかし大国がひしめく国際社会において、たとえ小さな島国であっても「独立した1票」を持つことは、国連などの場において発言力を確保し、自分たちの権利や海洋資源(排他的経済水域:EEZなど)を守る上で大きな意味を持っているのである。
参考 : United Nations「United Nations and decolonization」「What the UN Can Do To Assist Non-Self-Governing Territories」他
文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部