三億円強奪事件時効まで半年というタイミングで放送され、犯人を演じたジュリーの魅力が大爆発! 「悪魔のようなあいつ」
1953年にNHKが開局し、続いて民放初の放送局日本テレビが開局以来テレビはいつも、その時代を映し出してきた。小さな子どもたちから、おじいちゃん、おばあちゃんまで家族一同が集うお茶の間の中心にはテレビがあった。人々にはそれぞれの時代にやきつけられたテレビが映し出した映像が記憶にある。
残念ながら、テレビ離れが囁かれて久しい。視聴率も二桁取れれば及第点と呼ばれる時代だ。果たして今放送されているテレビドラマやバラエティ番組などは10年後の人々の記憶に残っているだろうか。タレントやお笑い芸人たちのバカ騒ぎ番組には辟易しているのに。本シリーズでは過去のテレビ番組から、時代の記憶をよみがえらせてみたい。
1968年12月10日、東京都府中市の路上で白昼堂々、現金3億円が強奪された。しかも犯行は人一人傷つけることなく、わずか数分で終わった。まだ小学5年生だったぼくは、3億円という金額(現在の貨幣価値にし20億円以上)より、犯人を英雄視する声が少なくないことが新鮮だった。ワイドショーで犯人を称賛する出演者に対し、司会者が「褒めたらダメですよ」と、たしなめた場面を漠然とだが覚えている。
事件から8年後の1976年。東京の大学に入学したぼくは府中の犯行現場を見に行った。すでに時効となった事件の犯人を推理したかったからではなく、現場の雰囲気を体験したかったのである。歩いてみて、この場所なら近道もあるし、単独犯もありかなと直感した。いや、直感ではなく、前年の75年にTBS系列で放送(6月6日~9月26日)されたドラマ「悪魔のようなあいつ」の影響だったかもしれない。つまり、ぼくの記憶にジュリー(沢田研二)が演じた3億円事件の犯人像が刷り込まれていたことになる。彼も単独犯だった。
ドラマは事件の時効が迫りつつある犯人の日々を追う。毎回、放送の最後に「時効成立まであと〇〇日」というテロップが入り、物語はリアルタイムに近いかたちで進んだ。
犯行の一部始終が描かれた回もあった。雨中のブルートーンの描写がリアルでドキドキした。この臨場感を受け継いでいるのが映画『初恋』(2004年)である。この作品での3億円事件の犯人は、宮﨑あおいが演じた女子高生だ。計画立案者は別にいるが、実行犯は彼女一人。ジュリーも、宮﨑あおいも、単独犯がよく似合った。
「悪魔のようなあいつ」のジュリーは元刑事の藤竜也が営むバーで働く歌手で、男娼としての裏の顔も持っている。藤とはホモセクシュアルな関係が匂い、篠ひろ子、安田道代(現・大楠道代)ら周囲の女性も次々に虜にしてしまう。ここに犯人を執拗に追う刑事・若山富三郎が絡んでくる。そうそう、ジュリーの妹役は「まちぶせ」をヒットさせる前の新人、三木聖子。下半身不随で長期療養中である。ジュリー自身も脳腫瘍を患い、先は長くない。こう書いてくると、ステレオタイプな設定にも思えるが、全編に漂う破滅に向って走るしかない虚無感は今のドラマにはない種類のものだった。
原作は阿久悠と上村一夫による漫画で、演出は久世光彦。脚本は今年1月に帰らぬ人となった長谷川和彦。鳴り物入りで始まったドラマだが、視聴率は低迷した。何度も取材で会ったゴジさん(長谷川監督の愛称)が面白い話を聞かせてくれた。
「当時、年収100万円の助監督にはおいしい仕事だったぜ。最初はヒルトンホテルにカンヅメだったから、食えない仲間たちを呼んでガンガン食った。メシ代だけで月60万円。ところが、視聴率に合わせてホテルの格がどんどん落ち、最後は局の前にあるアパートの一室だった。まあ、初回13%だった視聴率が最後は6%まで落ちたからな」
でも、ぼくには視聴率が下降していった終盤のほうが断然面白い。隠していた3億円が持ち去られ、それが転々としながらスリリングな展開を見せる。4年後、ゴジさんとジュリーが再び組んだ映画『太陽を盗んだ男』も同じだ。自作の原爆が警察に奪われ、それを奪い返し、という展開から映画はどんどん破天荒な勢いを増していった。
「3億円」も「原爆」も、必ずしも富や力の象徴として描かれているわけではない。むしろ人間の無力を感じさせるものとして描かれている。そして、個人が巨大な組織に勝つことはまずない。それでも個人は個人として、ときには負け戦覚悟で生きて行こうぜ。ぼくにはゴジさんのそんなメッセージが聞こえてくる。
文=米谷紳之介