「オーストリアとオーストラリア」なぜこれほど名前が似ているのか?
世界地図のまったく違う場所にある、ヨーロッパの「オーストリア」と、オセアニアの「オーストラリア」。
日本語でも英語でも文字がそっくりで、世界中で聞き間違いや書き間違いが絶えない国名コンビだ。
「きっと何か共通のルーツがあるに違いない」と思う方もいるかもしれないが、結論から言うと、両国名に直接的な語源上のつながりはなく、これほど似ているのは偶然なのである。
オーストリア 〜歴史が刻んだ「東の国」
ヨーロッパの内陸に位置するオーストリアは、ドイツ語でエスターライヒ(Österreich)と呼ばれる。
この言葉は「東」を意味する部分と「国・領域」を意味する部分が合わさったもので、「東の国」という意味を持っている。
中世、この地域はバイエルン公国の東方に位置する辺境地域として、東方からの侵入に備える最前線の一つだった。
996年、神聖ローマ皇帝オットー3世の寄進状には、この地域を指す「Ostarrichi(オスタリヒ)」という名称が初めて記録されている。
西側から見て「東にある領域」という意味を持つこの名が、後のエスターライヒへとつながっていった。
こうして生まれた「東の国」という名称は、やがてラテン語で「Austria(オーストリア)」と表されるようになり、その形が英語などにも受け継がれていった。
つまり、この国の名前の本質は「東」であり、かつてヨーロッパの地政学的な最前線であったという血生臭くも重厚な歴史の痕跡が、そのまま国名として今に受け継がれているのである。
オーストラリア 〜南の大地を夢見たラテン語
一方、地球の南半球に広大な領土を持つオーストラリアの名は、ラテン語で「未知の南方大陸」を意味する「Terra Australis Incognita(テラ・アウストラリス・インコグニタ)」に由来する。
このうち「Australis(アウストラリス)」は「南の」という意味であり、これが「Australia(オーストラリア)」という国名につながっていった。
大航海時代、ヨーロッパの航海者や学者たちの間には、ある奇妙な地理的信念が存在していた。
それは「地球という球体のバランスを保つためには、北半球にある広大な大陸の重みに対抗して、南半球にも必ず同じくらいの面積の巨大な大陸が存在していなければならない」という仮説だった。
まだヨーロッパ人がその実像を知らないにもかかわらず、彼らはその想像上の大地を「未知の南方大陸」と呼び、熱狂的に追い求めたのである。
その後、何世紀もの時を経て、オランダ人やイギリス人の航海者たちによってこの大陸の姿が次第に明らかになっていった。
17世紀以降は「ニュー・ホランド」と呼ばれることも多かったが、19世紀初頭になると航海者マシュー・フリンダースが「Australia」という名称を使用し始め、その後、植民地政府や英国海軍省にも採用され、大陸名として定着していった。
「東」と「南」、交わるはずのない二つの言葉
つまり、オーストリアはドイツ語圏の歴史から生まれた「東」がルーツであり、オーストラリアは大航海時代の学術的なロマンから生まれた「南」がルーツとなる。
ヨーロッパの古い地政学的言葉と、近代の幕開けを告げた大航海時代のラテン語という、まったく異なるルートで生まれた二つの名称が、最終的に「Austria」と「Australia」という驚くほど似た姿にたどり着いたのである。
歴史の偶然が生んだそっくりな国名のルーツに思いを馳せてみると、見慣れた地図の景色が少し違って見えてくるかもしれない。
参考 :
Austrian Federal Ministry, Austria: Information and More – From the Beginning
D. F. Branagan, “Terra Australis Incognita,” Australian Natural History, Vol.19, No.2, 1977. 他
文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部