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SaToMansion 10年間の道のりや4兄弟のバンド活動について語る、オフィシャルインタビューが到着

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『SaToMansion 10th anniversary one man show "SHINING"』

11月22日に代官山UNITで結成10周年記念公演を行うSaToMansion​。8年前、東京初ワンマンを行った会場でアニバーサリーを迎える理由には、「初心に帰る」という熱い思いがあった。今回は佐藤和夫(Vo.)、佐藤伸之(Gt.)のおふたりに、これまでの道のりや、地元二戸で開催される南部事変への願い、そして4兄弟のバンド活動について深いところまで語ってもらった。

ーーまずは10年間を振り返って、いかがでしたでしょうか。

和夫:10周年を振り返って5年目か6年目ぐらいの時にコロナになって、 2020年だね。そこまでは割と紆余曲折ありつつ、調子が良かったんですよ。というのも、ちょっと上向きというか。なんか YouTube活動始めたりとか、『ROAD TO EX』ってテレ朝のイベントに出て、そのバンドバトルで戦って決勝戦まで行ったとか。そういうメディアに露出できるようなイベントを自ら起こしたり、そこに取り込んでもらったり、いい調子でいたんですけど。コロナになって、その勢いを失いつつあって、そこから3年間はいわゆるYouTube活動をやっていたんですけど、配信とかそれで活動費稼ぎながらみたいな。
(振り返ると)全部やってきたことが全て意味があったなと。ライブハウスの活動で出来なくなっても、やってきた活動とかファンの人たちの理解がすごくその親和性を高めてきたので止まらずにできたというかで。今月10年経つんですけど、まあそれもそういうそういったストーリーがあっての10年だなと。支えられた10年というか、自分らがやってきたことが全て、まあ間違いじゃなかったので続けられているみたいな。

ーーコロナを乗り越えたきっかけとして挙げられたYouTube、武井壮さんの1万人企画※1とかもあったと思うんですけども。今はYouTubeや個人でもいろんな企画をされておりますが、一番最初にネットを活動拠点に加える意見はどなたからだったでしょうか。 ※1:「年内に1万人のYoutubeチャンネル登録を達成しなければ解散」。無事達成。

和夫:話し合いしながらって感じなんですかね。これからの時代、現場だけとかツアーは(他バンドも)もうわんさかもあったから、絶対(やった分だけ必ず)伸びていくわけではないと思うので、いわゆる空中戦というか、地上戦はもうちょいやりつつ空中戦のやり方を考えなきゃいけないねというのもあって。10代、20代ではないので、もうなんか、ただただわんさかツアーすることに達成感を覚えるだけではなくなってきたのか、やっぱある程度結果みたいなのを出すためにインターネットをうまく使う必要があるよねっていうところで。YouTubeは5、 6年前とかですけどバンドであんまりやってる人が少なかったんで。俺結構 YouTube好きだったんですよ。発信が自由じゃないですか。自由な発想で喋ったり表現したり、自分の生き様みたいなのを伝えられるっていうのが、いわゆる昔のパンクとかロックやってる人の表現と近いなと思って。もちろん全然土俵が違うんですけど、その自分の生き様を発信するって意味では、今のバンドマンなんかよりも全然その自由な発想してるという点で。プラットフォーム自体がね。自分が使ったらどうなるのかなみたいなっていうのでやってみたんですけど、まあもちろんあの甘くはないというか。なんでちょっと繋がりを持たしてもらっている武井壮さんにお願いして、よくしてもらえないかな、みたいな思ってたら 1万人登録企画になってしまいまして(笑)。もう、あの逃げ場をなくてですね。苦しい戦いでした。

ーー私も『ROAD TO EX 2019』を見に行った時に、会場前でチラシを受け取りました(笑)。

和夫:チャンネル登録よろしくみたいなチラシですよね。でも、その結果こうして無事今まで続けていられたというね。現場だけで稼いでた人というか、現場が全てだった人はもちろん活動としては間違いじゃないですけど、やっぱコロナとかになった時にちょっと差が出たというか、コロナになってすぐYouTubeなりそのウェブでのマネタイズをやろうとした時に、すぐできる人と「もうやべえなんもできない」みたいな人の差が出て。どっちが正解っていうのはわかんないですけど、とりあえず、なんとなく未来を見せた活動としては正解だったのかなという。まあ、沈没してしまっては終わりじゃないですか。どれだけかっこいいことをやってても、そのリスクヘッジみたいなのはやっぱ一応みんなで頭使ってやってる活動としてすごい正解だったのかな。

ーー今回のワンマンに向けての100日連続生配信企画は、慣れてる配信者としても難しいなって思いますが。

和夫:そう。やりたくないなと思ってやってます(笑)。まあ、やってしまえばちょっと乗ってきたりするんですよ。なんかこう伝えたいことがある人間だからステージ立ってるわけだから。ただ、そのきつい気持ちを叩くのも自分でやらなきゃいけないので。セルフプロデュースの自分らでやってるバンドの大変なところで、いくらでも楽はできるんですけど、楽を選ぶと何もしなくなる。逆にそこで、ちょっとより困難な方へっていうのを選ぶっていうのが大事なんですね。

伸之:最初に和夫が100日連続配信っていうのを言い出して、それを聞いて全員「え」みたいな。「やばくないそれは」みたいな感じになって、その場は一旦終わったんですけど、改めてワンマン公演に向けてどうするかっていう会議した時に、そのなんていうんですかね。客観的にみたら、それが盛り上がりそうだっていうのと、やりたくないっていう気持ちで両方あった上で。やっぱそこは今あった通り、自分らでケツを叩かなきゃないってところで、やろうってなって。寝不足が続いた日でもやらなきゃいけないんですよ。まあそんなことを分かった上でやってるんですけどね。

ーー見てる側としてはすごい楽しく見させていただいてるんですが、そんな背景が(笑)。

和夫:裏ではそういう感情、苦しんでる姿も見せないといけないレベルじゃないですか。だから、そういうのも分かりやすいやり方として。基本的にはもう配信なんて誰でもできるし、無料で、ある程度勉強すればスマホ1台でも配信できるような時代だから。なのに意外と誰もやってないので逆におもしろいんじゃないかなっていう。ただね、やっぱそこはプラットフォーム越えが難しいっていうところで。YouTube上は盛り上がったりするんですよ。新しくメンバーシップが増えてるとか、毎日頑張ってるから投げ銭も入れてくださるとか、あの海外の人からも見てもらったりするようになったりとか。一応YouTube配信、ライバーとしての筋肉がちょっとずつついてきてるんですけど、そこからチケット券売にはなかなか繋がりにくいと。今回は11月22日をゴールとしてやってますけど、その先を見据えて、本気度みたいなのが伝わればなっていう。それこそ10周年イベントが今月だけじゃなくて、 来年4月にも地元で南部事変っていうのがあって、無料でフェスをやりたいっていうところで、クラウドファンディングとか協賛を集めなきゃいけないっていうところも含めて、その信頼度を今高めてる。そのきっかけとして、今回のワンマンもって感じですね。

ーー今回の会場の代官山UNITは東京初ワンマンの会場でもありますが、当時を振り返るとどんなものだったでしょうか。

和夫:うんとね、それこそ『ROAD TO EX 2017』のすぐ後だから、その盛り上がりのままその熱を冷まさないようにやっちゃう感じだったような気がします。その時の手伝ってくれてた人が「東京ワンマンは結構考えてやった方がいいぞ」みたいな。岩手から出てきてるっていうのを売りにしてるSaToMansionはとくに地元ワンマンとか、東北からこう攻めてきて中央で勝負するって時のはずで、そういうのを聞いてて、それがなんとなく頭に残ってて。 (『ROAD TO EX』の)決勝戦をリキッドでやったあたりに、その関係者とかに勧められてだったかな。うん。UNITだったら恰好つくなみたいな。立ち向かう場所としては、すごく最適というか気合の入る箱みたいな。今回のワンマンでUNITを選んだ部分も改めて立ち向かう勇気ですね。初心に帰るとか初期衝動を忘れずに 11年でもやっていこうみたいな気持ちですかね。

ーーありがとうございます。今回のタイトルとして"SHINING"とありますが、どんな意味で込められましたでしょうか。

和夫:セカンドアルバムの【the garden】ってアルバムのリード曲に『シャイン』っていう曲があるんですね。それをちょっともじったというか。曲の意味としては、その転がり続けながらも、こう走り続けた坂を登っていって、何度でも何度でもまた歩き出そう走り出すぞみたいな。もっとロックに走り続けようぜっていう曲なんで。今回のタイトルにはふさわしいかなみたいな。なんとなくそのサトマンの歌詞の方向性っていうのは、ロックンロールに向かって傷つきながらボロボロになって走っていこうみたいな、そういう意味合いのものがかなり多くて、コンセプトがそういうものなので、それをすごくわかりやすく表した曲であり、10年超えても我々なりの輝きをこれからも作っていこうっていう。そういう意味での"SHINING"ですかね。

ーー曲の部分に触れさせていただきたくて、作曲のルーツはミッシェルさんやイエモンさんなど感じる部分がありますが、作詞周りについて言葉選びのルーツはあったりするんでしょうか。

和夫:歌詞ってことですね。でもどうなんだろうな。その尊敬してるソングライターはやっぱり吉井和哉さんもそうです。山下達郎もそうだし、ミスチルもそうだし。あとは結構20歳ぐらいの時からあの村上春樹とかすごい好きで。賛否両論ある村上春樹ですけど(笑)。なんていうのかな。ちょっと文学っぽいというか。別にそういうのを学んでるわけじゃないんですけど。一番大事にしてることっていうと、言葉が持つメロディー。メロディーっていうワードにも「てれれー」って音階があるじゃないですか、それをすごく大事にしてるというか。そこと大きくずれないようにしていきたいっていうのを、さだまさしさんが言ってて「へー」って。そういうなんか日本人だからこそ、言葉のセンテンスが多い人種だからこそ、メロディーを大事にしていきたいみたいな。すごい難しいんですけど、(メロディーの)パズルを当てはめられる箇所が限られちゃうので、それを選んでいくと本当に限られたものでしかはまっていかなくて。作ってる側はすごい大変なんですけど、だからこそ、すごく綺麗なというか、一発で聞きやすい、覚えやすいなとか。だから懐かしいなとか。 1回のライブで聞いたら割とメロディーが思い出せるって言ってもらえるのは、多分そういうこところなんだろうなって。言葉のメロディーがハマってるから、メロディーが美しく聞こえるみたいな。それはめちゃくちゃ考えてやってますね。

ーー先日校歌として提供された「栄光」は、10年後やこの先、多くの学生が懐かしさを感じる母校の歌になるかと思いますが、こちらはどういった気持ちでオファーを受けましたでしょうか。

和夫:最初はね、すごくやっぱり迷いましたけど。いわゆる青少年の模範となるべき人間である必要があるじゃないですか。いや、俺は違うなという気持ちだったんですけど。すごく光栄なことだし、これまでも震災をテーマにして作ってくださいとか、 Jリーグサッカーチームをテーマにとか。色々こうそういう意味ではやったことない挑戦をしてきて、あの全てプラスに変わってきたので、今回もそういうことなんだろうなと。この挑戦を成功に変えていけということなんだろうなと思って受けさせていただいて。なかなか制作は大変でしたけど、これ以上ない曲ができましたね。おかげさまで、はい。

ーーロックンロールの両立といいますか、ライブハウスで聞いてても校歌としても心に響くすごい素敵な歌だと思っております。ちなみに普段作詞作曲はどのような感じで思いついたりされるんでしょうか。

和夫:大体もう大きく分けると 2パターンあって、その曲を依頼されてから考えるパターンと、もともと自分が作り溜めているもの。それによって全然作っていく過程は違うんですけど、依頼されたものはいわゆるクライアント様の意向をまず聞いて。「こうでこうでこういう曲」自分はできないこともあるので「こういうことはできないですけど、これだったらできます」みたいなのを選んで書いていくと、割とイメージがもうできるんですよ。そういうパターンと、まあ自分の内から出ていくものっていうのは。なんだろうな。まあ、走ったりしてる時とか、夜に一人で飲んでる時とか、後は、ふっと時間が空いた時にギターをなんとなくね。なんとなくコード進行弾いたときに「あれ、意外とこれいいか」そこから始まるみたいな。結構日常の中でと出てくる。それで言うと『JUST AWAKE』とかは、走ってる時の結構ハイテンションな時に思い浮かんだりするものでした。格闘技のイベントを立ち上げるっていうところでメインテーマを作ってもらわせた。だから攻撃的なあれになってますけど。なんとなくやっぱ、こういう曲を作りたいとか、アルバムの中でこういう曲が必要だとか言われる方が作りやすいんですよ。メンバーからこういう曲を作ってくれっていうときもあって。それこそアルバムの足りないピースを作ろうとしてて、前回の『the umbrella』もそういう発注が入ったっていうのもありましたね。ある程度最終的な青写真もできてから作らないと、僕もあの、忙しいじゃないですか(笑)色々と。なので無駄に作詞制作の時間を取りたくないんですよ。10時間書いたらいい曲ができるんだったら、多分 10時間みんな費やすと思うんですけど、10時間経っても 20時間経ってもできない時もあるので、だからゴールを決めないと最近は制作に向かってないんですよ。無駄な時間を過ごしたくないので。なんかつまんないミュージシャンみたいになってきます。

ーーそんなことはないです(笑)。今回の『Voyager』はタイアップではないシングルとして出されましたが、この曲はどういったきっかけで生まれましたか。

和夫:それは割とね、もともと宇宙とか星とか、ゴールのないテーマを考えることが好きで。YouTubeとかでも最近すごいじゃないですか。そういうテーマの動画を見てるんですよ。ボイジャーはNASAの探査機のやつで、地球の中の人工物としては、もう世界、一番遠くにみたいな、そういうのがかっこいいなと思って。さまよう旅人みたいな孤独、ゴールのない旅ってかっこいいなみたいな。なんか俺みてえだなみたいな。そこから溢れる思いから、久しぶりに自分を投影した曲が自然に出てきたかなっていう。特に何かをリリースするとかでもないというか、ここで何かを出さなきゃいけないみたいなのもなくて、この時期にこれをリリースしなきゃみたいなのは他で決まってたんで、割と自由な時間自由な時間っていうか、自由な制作をしてよかったタイミングなのでできましたね。好きなものや、逆にしがらみもなく、心の中からの5、6曲を作ってた時期があって、いろんな実験みたいなのを踏まえつつ、今までにはなかった、それこそもうサトマンも全く関係なく「自分が今作りたい音ってどんなんだろう」みたいなのをバーって作った中での1曲で。そういう意味では本当にこう。うん、一番クリエイターらしい曲というか。

ーークリエイターとしてとのことですが、これまでの経験を経て、音楽的な向き合いで変わったことはありますでしょうか。思いつく歌詞がちょっと変わってきたとか。

和夫:うん、特にないです!あの頃の気持ち 20年前ともあんま変わってないですよ。あ、でも金を考えて曲作るようになったな。それです。

ーーこれは記事にしていいんですか(笑)。

和夫:そしたら生配信で話すので(笑)。みなさんYouTubeもご覧ください!

ーー4人兄弟のバンドって本当に珍しいと思いますが、今回3男・4男と弟サイドのお二人にお越しいただいているので、弟から見た兄の部分でなにか変わった部分はありますか。

伸之:じゃあ一番の弟の「ザ弟」から。ただ、一番上の長男に関しては、僕が8歳の時にも上京して、もう家にいなかったんで、ほぼ知らない人だったんですよ。たまに帰ってくるけどみたいな感じだったんで。東京に来てから、自分も18歳とか大人になってしゃべるようになったって感じだったんで。その時からもうバンドをやってる兄っていう感じだったんで、バンド関係での会話しかなかったか。それでいうと当時からあんまり大きな変化はないかもしれないです。同じバンドにはなりましたけど。

ーー私も年が離れている兄がいて、「親戚の人」レベルの距離感に思うときがあるんですが、どの兄弟もそこは変わらないんですね。

和夫:大体はみんなそうだよ。そんなに一緒にいる兄弟ってまずないと思いますよ。逆に今回このSaToMansionってものがあって、逆にある意味より深く話せるきっかけになった。なんか兄弟の会話って学生時代ぐらいで大体終わるんですよ。学生時代ってなんかちっちゃい時って何でも一緒に遊ぶじゃないですか。おもちゃが 1個でひとつ屋根の下、なんか一緒に遊んだりして、そこから大人になっていくと、それぞれの道があって別に特に会話もないみたいな。誰かが死んだら集まるみたいな。だいたいそうものだと思うんですよ。

俺らは音楽っていう共通のものがあるので、そのテーマに沿って話すことがすごくあって、それこそ俺は長男とは 5歳離れてて、次男とは3歳離れてて、次男の方はまあ割と近かったんで、例えば次男が卒業して、俺が中学に入学すると「高校でバンドやってる英樹さんの弟」みたいな。その時点でちょっとあのカーストが上がってる(笑)。そういうやりやすさはあったりして、まあ割と伸び伸び音楽できたっていうか。そういう意味では(年が離れている)メリットがあって。でもね、大人になってからも、その音楽という共通項があるから一緒にいるだけなんですよ。なんなんだろうな、昔から音楽の話しかしてないような気がする。おもちゃがずっと一緒みたいな、それを今でもやってるような感じで、なんか変わった兄弟だなと思いますね。

ーーある意味では、兄弟だからずっと一緒にバンドを組んでるってよりは、同じ音楽性や楽しさを持っている4人が一緒にいて、今も続いてる形なんですね。

和夫:うん。それもあるかもしれないですね。同じ目的を持った船に乗ってるって感じになるのかな。

ーー『Voyager』の意味である「航海者」も、バンドの在り方も表しているように思えますね。音楽性の部分だと、実は兄弟それぞれ好きな系統がバラバラだったりってするものなんでしょうか。

和夫:多分ざっくり一緒なんですよ。聞いてきたものが一緒だから。長男がいろんなところから集めてきた CDみたいなものは部屋で流れているので、同じようにみんな聞いてきて、学生時代から一緒にバンドやってたりしたので。あとはメンバーの中でも俺と長男は結構いろんな音楽を聴くんですけど、多分ゴールは(兄弟)一緒なんだと思いますよ。やっぱりこういう音楽がいいよねとか、やるならこういう音楽しかできないよな、みたいなのとか。

ーー直近だとビレッジマンズストアさんや首振りDollsさんなどと対バンをされていますが、そこもメンバー内の音楽性とか反映されてるものなんでしょうか。

和夫:そうですね。やっぱ対バンに出るっていうのは、自分らのお客さんに対しての責任だったりするので。(お客さんは)見なきゃいけないじゃないですか。別に見ないこともできるけど、全部見よう全部楽しもうって思ってくれる人たちが多い分、全て(のお客さんに)格好いいなと思えるイベントにできるように考えています。

ーー少し話は戻りますが、先ほどの南部事変について無料で実施したいという部分も深く聞かせてください。

和夫:予定としてほぼほぼ90パーそれでいくと思います。無料にするのには、僕らが学生時代にあの二戸という田舎でもロックイベントをやり続けてくれた先輩がいて。そこに触れさせてもらったから、今の自分たちがいるんですよ。無料や500円のイベントだったり、学生でも全然楽しめるようなロックとかその爆音に触れられる機会を作ってもらえてきたので。

僕らは今、逆にそういうイベントを起こす側として、二戸という場所に音楽とかロックとかっていうものを触りやすい機会や受け皿を作っていきたいっていうのが一つと。また、やっぱりそういうお祭りごとになると、地方の方々はチケットを払ってお祭りに行くってことはあんまりないんですよ。まあ、矢沢永吉が来たらみんな買うかもしれないですけど。なるべく触れやすいとか、まず見てもらいたい人が一番なので。ちょっとビジネス的な観点になりますけど、チケットを売るよりもクラウドファンディングした方が使える予算が伸びるんですよ。前回(2024年)試しにやってみたんですけど「行けないけど応援するよ」っていう人の力も入ってて。離れたところ、例えば関西方面とか九州方面にいるけど、あの曲を聞いてるよとか、元気をもらってるのでイベント頑張ってほしいですって支援してくれる人も多くて。そういうのがすごい助かるし、本当なんか元気玉みたいなもんなんで、一つのプロジェクトを起こすためにも、その場にいないけど全世界から力を集めてみんなの力を持ってして南部事変を起こしたいっていう。チケット制にすると来れる人だけじゃないですか。興行としてはもちろん当たり前ですけど、僕らそれだけだと興すことができないんですよ。できないからやめるんじゃなくて、じゃあやれることはってなった時に元気玉を集めるしかない。 収支を考えなきゃいけないので、やろうってなったら、こけて制作費が全赤字になったらもう二度とできないので。そうじゃなくて、あんまり大した利益にはならなくても、サトマンが頑張るって言うんだったら応援するよっていう愛が集まったイベントって、すごくすごくクリーンなものというか。そういう部分でクラウドファンディングがすごく合ってるなと思いました。

ーー最後になりますが、これから未来についていただけますでしょうか。

和夫:10周年っていうのは一つの節目なので。ワンマンやフェスを興したりとかってするんですけど、やりたいことはずっと変わらなくて、ずっと自分たちが作っていく音楽をいろんな人に聞いてもらいたいっていう気持ちが変わらなくて。でも、こういう節目だからこそ大きなことができるので、ここで初めてライブ来る人とか初めて配信を見る人とか、そういうのが増えて、本当にいいきっかけとなるような10周年イヤーの走り方ができたらいいなと思ってます。

ーーありがとうございました!

取材・文=菅原慶悟 撮影=部長​

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