【10歳の壁】『整形したい』と言い出した子どもに親は何を伝えるべき?ルッキズム時代の想定問答
「脱ルッキズム※」「見た目より中身で判断しよう」とは言われるものの、SNSや加工アプリ、手軽になった美容医療の広告に囲まれる現代の小中学生は、私たちが子どものころとは比較にならないほどの「ルッキズムの世界」の中に生きています。
我が子が「どうせ私はブスだから」「痩せたい」などと悩み始めたとき、親はどんな言葉をかけ、どうやって家庭を「安全地帯」にしていけばよいのでしょうか。
新刊『つまり、それがルッキズム ~23の事例と解説~』を上梓された前川裕奈さんと、共著者であり現在2児の子育て真っ最中でもあるウィルソン麻菜さんにお話を伺いました。
※ルッキズム=「外見至上主義」「容姿差別」
【▶画像】麻生久美子が子育てで大切にしていること10歳は「自分を取り巻く目」が一気に増える難しい時期
撮影:日下部真紀
──前川さんは前の著書の中で、10歳のころにクラスの子につけられたあだ名がきっかけで、自分の見た目を過剰に気にするようになってしまったと振り返られています。今の子どもたちを取り巻く環境を、お二人はどう捉えていますか。
ウィルソン麻菜さん(以下、ウィルソン):私自身、8歳の娘と5歳の息子を育てていて実感するのですが、10歳前後というのは、それまでの「家族だけの世界」から「お友だちやまわりの人たちとの世界」へと、一気に社会が広がっていく時期なんですね。
同時に、その新しい世界で生きていくために、周囲の目が気になり始める時期でもあります。これまでは親の価値観に疑問を持たなかった子どもたちも、他者からの評価に晒されるようになり、さらに今はそこにSNSまでが入ってくる。子どもたちを取り巻く「目の数」が異常に増えているな、と感じます。
誰かが自分を直接ジャッジしてくるだけでなく、ネット上の誰かの容姿に対して、見知らぬ人たちがさまざまな言葉を投げ合っている光景まで目に入ってきます。多感な時期の子どもたちにとって、この環境は想像以上にプレッシャーが大きい気がします。
前川裕奈さん(以下、前川):今の10代はルッキズムが「激化」している状況だと思います。私の友人に10代のお子さんを持つ人がいるのですが、彼女の言葉を借りるなら、今は「娘の敵の数がすごい」と。
私たちの時代は、テレビの中の限られた芸能人だけが「美しい存在」でしたが、今はTikTokを開けば、一般の人も含めてキレイな人は無限に出てくる。その結果、一部で「スマホを開けばみんなキレイ、みんな敵、それに比べて自分はブス」と思い詰めてしまう状況が起こっています。
さらに美容医療のハードルが下がったことで、世間の「美の基準」そのものがかなり高くなっているのも事実です。
一方で、SNSの普及はネガティブなことばかりではありません。ポジティブなメッセージや、「ルッキズムってこういう問題だよ」という注意喚起のメッセージも、ショート動画などで届きやすくなりました。
情報の取捨選択を自分の頭でできる、リテラシーの高い10代も確実に増えています。学校の中でも、ルッキズムに囚われてしまう子と、そこから脱却しようとする子の二極化が始まっているような気がしています。
親の「悪気のない自虐や謙遜」を、子どもはすべて聞いている
──そんな厳しい世界に出ていく子どもたちのために、親はどんな意識を持てばいいのか、また家庭でできることはあるのでしょうか。
前川:家の中での対話も大切ですが、まずは親自身が「ルッキズムに加担しない」と決めるだけでも大きな一歩だと思います。例えば、たまに集まる親戚の席などでは、悪気なく「なんか太ったね」「痩せた?」という容姿の話題が飛び交うことがありますよね。
空気を壊したくなくて「そんなこと言っちゃダメだよ」と強くはいさめられない関係性の場でも、「そういう話題のときは黙る」「一緒に笑わない」と決める。それだけで、自分のスタンスを保ち、子どもを守る自衛になります。
もしカジュアルに言える関係性なら、「なんでそんなこと言うの?」と無邪気に質問で返してみるのも手です。質問で返すと、相手はハッとすることも多いです。
ウィルソン:毎日顔を合わせる家庭内では、親の「癖」がダイレクトに子どもに伝わる気がします。特に気をつけたいのは、親自身の「謙遜」や「自虐」です。
近所の方から「○○ちゃん、かわいいね」と褒められたときに、親が「いやいや、そんなことないですよ」と否定してしまう。あるいはママ友との会話で、「お宅の子は背が高くていいけど、うちの子はこれ以上伸びないと思うから残念」などと言ってしまう。親同士の何気ない会話であっても、子どもは驚くほどよく聞いています。
さらに盲点なのが、親が自分自身に向ける自虐です。「太っているからこの服は着られない」「私なんて美人じゃないから」といった言葉。親は自分のために言っているつもりでも、子どもにとっては「痩せていないとダメ、美人じゃないと恥ずかしい」といった価値観として刷り込まれ、それが世界を見る基準になっていってしまう可能性もあります。
──確かに、親とそっくりの話し方をするお子さんを見かけることがありますね。
ウィルソン:そうなんです。さらに無意識的に親がしてしまうことに、他の子どもたちの特徴を「あのかわいい子」や「背が高い子」など容姿に絡めて表現してしまうことがあります。これが良くないほうに発展すると、「あの子はかわいいからモテるでしょ」と過剰に持ち上げてしまったり、「○○ちゃんは背が伸びないね」と無意味な比較をしてしまったりして、子どもに「外見で人を評価する価値観」を植え付けてしまうことがあります。
本当は「サッカーを頑張っている子」「理科が好きな子」など、容姿に触れなくても伝える方法はたくさんあるのに。容姿であっても「よくポニーテールしてる子」みたいな、その子が選んでしているものならいいですよね。とにかく、まずは大人がそういった癖に気づくことが大切だと思います。
褒めるときに「理由(形容詞)」はいらない
──親から「かわいいよ」と大切に育てられていても、学校で誰かから酷い言葉を言われてショックを受けて帰ってきたとき、親はどう寄り添えばいいのでしょうか。
前川:私自身、幼少期は両親に褒められて育ったタイプだと思います。当時は海外で暮らしていましたが、親は「背が高くて羨ましい!」「顔もかわいい」というふうに常に私を肯定してくれていました。
でも小学校のときに日本に帰国して、周囲から容姿をディスられたり、いじめに遭ったりしたとき、親の言葉が信じられなくなってしまって。「かわいいって言ってたのウソじゃん」と、何が本当かわからなくなってしまった。
今思えば、親は100パーセント善意で言ってくれていましたし、いじめてきた子たちにも強い悪意があったわけではなく、ふとした一言だったのだと分かります。ただ、当時の私は過剰に気にするタイプだったこともあって、深く傷ついてしまいました。
今になって思うのは、親からのポジティブな言葉は本当にありがたいものだけれど、「背が高い」「肌が白い」などといった、形容詞は褒め言葉にはいらないのかもな、と。
──「理由つきの褒め言葉」が、かえって呪縛になってしまうことがあるのですね。
前川:そうだと思います。理由をつけて褒めると、その条件から外れたときに「自分には価値がない」と思ってしまう。だから親が子どもに手渡すべきなのは、「○○だからかわいい」ではなく、「理由はないけれど、あなたの存在そのものが大好きだ」という圧倒的な安心感。
ただ、そうやって育てられてきても、子どもが外で傷ついてしまうこともありますし、そのときは周りの大人がいくら「そんなことないよ、素敵だよ」と言い続けても、その言葉はなかなか響きません。
私自身を振り返っても、結局は自分が納得しない限り、救われることはないんです。
ただ、その長い戦いの中で、親や周囲が条件なしに自分を肯定し続けてくれた記憶は後々、自分で自分を救うための「大きな後押し」にはなります。だから、伝え続けてあげてほしいです。
ウィルソン:本当にそうですね。親が自信を持たせる方法としては、努力を誉めたり、小さくても達成したことを褒めていく、などといったやり方もあると思いますが、これも行き過ぎると「できた」「できない」で評価が変わるものになってしまう。
だから、それらとは全く別のところで、「できなくても、どんな姿であっても、あなたの価値は1ミリも変わらないし、私があなたを大好きなことは変わらない」というメッセージを、言葉にして何度も伝えてあげることが、家庭を安全基地にする土台になっていくのかなと思います。
「量産型」も一つの経験。大切なのは「健康」と「内的動機」
──子どもが「かわいくなりたい」とおしゃれに興味を持ち始めたとき、親としてはどう向き合えばいいでしょうか。例えば、小学校でのびのびしていた子が、中学に入った途端にみんなと同じ「量産型」のファッションやメイクになり、個性が消えてしまうように見えて寂しさを覚える親御さんもいます。
ウィルソン:私は、それなら一回「量産型」になってみたらいい、と思います(笑)。それも子どもにとっては、自分の好みや「かわいい」を探す大切なプロセスになるのではないでしょうか。
ただ、周りに合わせるために我慢している(外的要因)のか、それとも「みんなと一緒にいることで安心したい」という自分の幸せのため(内的要因)なのかは、大人でも切り分けるのが難しいですよね。
大切なのは、それを否定することではなく、子ども自身が「これって本当に自分が好きでやってることのかな?」と問い続けられる環境を、親子で作ることだと思います。
前川:ただ気軽にいったん「量産型」を目指すのは、体型や顔の造形だと話は別かなと思います。ファッションやヘアスタイルは、いろいろ試して失敗して、初めて「これが一番落ち着くな」という場所に着地するもの。
パンクが好きでも、ふんわり系が好きでも、本人が好きなら何でもいいんです。 ただ、ファッションと違って、「ダイエット」や「美容整形」に関しては「いったんやってみたら?」では済まないリスクがあります。
「キレイになりたい」という向上心は素晴らしいし、私も自分磨きが大好きですが、大前提として「心身の健康を害していないか」は、親がしっかり見守る必要があります。特に10代の体は、無理なダイエットをしても若さで動けてしまうし、体重が減る快感に依存してしまいがちです。
でも、生理が止まったり、心を病んでしまったりしてからでは遅い。体型を変えること自体は悪ではないけれど、健やかであることの優先順位を下げてはいけません。なので、体型への変化に関しては、いったん目指すのではなく、目指す前に考えてほしいです。
深刻にならず、「なんでそう思ったの?」から始める
──もし我が子が極端なダイエットに走りそうになったり、「私ブスだから」と塞ぎ込んだりしたとき、親は具体的にどうやって対話を始めればいいでしょうか。
前川:もし子どもが「痩せたい」と言ったら、まずはその背景を聞いてあげてほしいです。例えば「体育の授業で体が重くてついていけない」「部活でもっと良いタイムを出すために絞りたい」という理由なら、「じゃあ一緒に夜のお菓子やアイスは控えようか」と伴走してあげるのは素敵なことですよね。
でも、背景に友人関係の悩みや、歪んだ容姿へのコンプレックスが隠れているなら、アプローチは変わってきます。
ウィルソン:「痩せたい」「私なんて」という言葉の裏には、必ず何かしらの背景があります。そのときに親として絶対に気をつけたいのは、「深刻になりすぎないこと」。子どもを心配するあまり、「えっ、どうしたの!? 何があったの!?」とシリアスに詰め寄ると、子どもは防衛本能で逃げてしまいます。
「もういい」と心を閉ざし、次からは親に隠れてこっそり絶食する、なんてことになりかねません。だからこそ、まずは気軽なトーンで「へえ、なんでそう思ったの?」と、雑談の延長のように聞いてあげる。
全部を否定も肯定もせず、「ちょっと教えて」くらいのフラットな姿勢でいることで、子どもは背景にある本音をポロッと言いやすくなります。
絵本を読んでいるときなどに、「ママはこの子がかわいいと思うけど、あなたはどの子が好き?」「みんな好みはいろいろあって面白いね」といった会話を小さいうちからしておくのも良いかもしれません。
小さな子は「一番」を決めたがることがありますが、「かわいい」の正解は一つではないと体感している子は、社会に出て周りと違う壁にぶつかったときも、自分を保つ強さを持てるのではないかと思います。
つまり、それがルッキズム ~23の事例と解説~
前川 裕奈(著) ウィルソン 麻菜(著)
発売日:2026年7月9日
価格:本体1700円(税別)