かつての漁師町・浦安へ。多くの船が行き交った境川~旧江戸川をたどる【「水と歩く」を歩く】
千葉県浦安市というと現在では大型テーマパークの印象が強いが、元々は漁業の街として有名だった。山本周五郎『青べか物語』(1961年、文藝春秋社刊)では「浦粕町」「根戸川」といった名前で、漁師町だった頃の浦安町の様子が描かれている。埋め立てによって町域を拡大してきた浦安を歩いていると、旧市街と新しい街とで風景が全く異なることに気づく。今回は埋め立て以前より浦安の中心地として栄えてきた「元町」地域を主に歩いてみたいと思う。
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『浦安市郷土博物館』の屋外展示場「浦安のまち」とは?
東京メトロ東西線浦安駅は、地上にホームがある。東京都中野区から千葉県船橋市の西船橋駅までを結ぶ東西線は、江東区の南砂町駅を出たあたりで地上に出て荒川を渡り、そのまま終点まで高架を走る。そのため途中の浦安駅も地上(高架)にホームが設置されているのだ。
駅前にはロータリーが整備されているが、今日の目的地である『浦安市郷土博物館』へ向かうバスは、少し南に歩いた「やなぎ通り」という大通りから出ている。取材の日は8月の頭で、午前中にもかかわらず日差しはすでに強く、バス停までのちょっとした距離が長く感じる。
バスに乗ると10分もかからないうちに郷土博物館最寄りのバス停「市役所前」に着いた。目の前を通る市役所通りをそのまま進むと境川と交わるようになっていて、そこに「境川東水門」が設置されている。埋め立てられる前はここが境川の河口だったそうだ。
境川に沿って歩いていると少し変わった形のオブジェを見つけた。解説文を読むと「べか舟河童」の像と書かれており、左が「かん君」で右は「きょうちゃん」という名前があるようだ。
境川沿いの道から健康センターの敷地を通って郷土博物館の建物を目指す。これらの施設がある浦安公園の敷地には他にも『浦安市立中央図書館』があり、通りを一本挟んで、『浦安市文化会館』、浦安市役所などの公共施設が並ぶ。この辺りが市の行政と教育の中心地なのだろう。1962年に埋め立てが始まるまで、この一帯には金魚の養殖場があった。
今日の最初の目的は郷土博物館の屋外展示場「浦安のまち」を見ることだ。今回の取材では『浦安市郷土博物館』の学芸員松本さんに館内の展示を簡単に案内していただき、その後屋外展示場に向かった。ここでは先に屋外展示場を紹介する。
展示場内には1952年頃の浦安の街並みが再現されている。大正15年(1926)築の「たばこ屋(旧本澤家住宅)」や明治後期頃に建てられた「漁師の家(旧吉田家貸家住宅)」、明治38年(1905)頃の建築「魚屋(旧太田家住宅)」など、実際に市内に建っていた住居や建築を移築したものも展示されている。
これらの建物は一部の場所を除いて靴を脱いで中に入ることができる。都内の博物館では昭和30年代頃の住居を再現した屋内展示をよく見るが、『江戸東京たてもの園』のような野外博物館を除いて、東京近郊の市区町村立博物館で実際の建物を移築して町全体の雰囲気を再現するような屋外展示は珍しいのではないか。
展示場に敷かれている砂利の中には貝殻が混じっている。かつて貝のむき場や家庭などから大量に貝殻が出ていたが、道路に撒(ま)くと道の凸凹が目立たなくなったり水捌(は)けが良くなる効果があると言われ、雨樋の下や井戸のまわりなどに貝殻を撒くようになったそうだ。道に撒かれた貝殻の匂いが浦安特有の匂いだったという。
展示場の一角には山本周五郎の小説『青べか物語』にも登場する、フラワー通りにあった天ぷら屋「天鉄」が再現されている。中は『青べか物語』関連の展示と休憩のためのスペースになっていて冷房も効いているので、この季節の屋外鑑賞には大変助かる。
その他にも三軒長屋や魚屋、共同便所と共同水道など、当時の浦安の生活を偲ばせる建物が移築されており、自然光の下で見ることで屋内での再現とはまた異なる「自然さ」を感じることができる。
埋め立てで激変した浦安の街の歴史
いくつもの建築を巡るうちに屋外展示を回るのにまったく適さない暑さになってきたので、そろそろ屋内に退避することにした。
屋内にある船の展示室「海を駆ける」には、一人乗りの海苔採り用木造船「ベカ舟」が展示されている。『青べか物語』の「べか」とはこのベカ舟の「ベカ」だ。名前の由来については、舟を手で押すと「ペコペコ」なることから「ペコ」が訛り「ベカ」となったとか、「ぶっくれ船」という呼び名が縮まって「ベカ舟」になったなど、諸説あるようだ。1956~57年頃は海苔採り専用のベカ舟で1万円、貝採取も兼ねたベカ舟で2万3000〜6000円したと言われる(当時の大卒初任給は1万円程度)。
『青べか物語』には青く塗ったベカ舟が登場するが、かなり目立ったのではないか。漁業が平成まで続いていたら“痛ベカ”や“デコベカ”が登場していたのだろうか。
漁師町の歴史を紹介するテーマ展示室「海とともに」の「漁師町浦安」エリアでは、実際の道具や古文書なども展示されており、漁業、海苔養殖、貝加工など地域の生業について学ぶことができる。中でも驚いたのは魚の行商についてのパネルだ。
十数年ほど前まで京成線には「行商専用車両」があり、千葉から都内に来る行商の女性たちが利用していた。しかし彼女たちが扱っているのは野菜だったので、行商といえば野菜のイメージが強く、傷みが早い生の魚介類を扱う行商があったとは知らなかった。展示写真には浦安小学校前のバス停から錦糸町行きのバスに乗る行商の人たちが映っている。行商には自転車や鉄道、舟などのルートがあったようだ。確かに浦安からなら自転車でも東京に売りに行けるので、新鮮なまま届けることが可能だったのだろう。
続く「新しい浦安」エリアでは、漁業権を放棄し、埋め立てによって計画的に新しい町を作るに至った経緯について、映像やパネル、模型などを用いて説明されている。
1973年策定の長期的なまちづくり計画「浦安町総合開発計画」では「良好な住宅地の形成」「公害を出さない鉄鋼流通基地の誘致」「東洋一の遊園地の誘致」が土地利用の三本柱とされた。現在の浦安のイメージを担っている「東洋一の遊園地の誘致」がこの時点で計画されていることに驚く。
80年代の東京ディズニーランド開園、京葉線新浦安駅・舞浜駅開通、2000年代のディズニーシー開園と、今浦安と聞いて思い浮かべる施設はどれも埋め立て以降の新しいまちづくりによるものだ。
かつての海岸線「浜土堤」から、境川沿いを歩く
博物館屋内・屋外で充実した展示を見た後は、実際に街に出て境川から旧江戸川までを歩いてみることにした。ただ、境川沿いを北上する前に、以前大山顕さんが記事に書いているのを読んで以来気になっていた「浜土堤(はまどて)」をまず見ておきたかった。
市役所通りの中央にある構造物「浜土堤」は、境川河口から見明川に至る堤防のことで、埋め立てられる前はここが海岸線だった。埋め立て地側の方が高くなっているため、地元では「段差道路」と呼ばれているそうだ。私のiPhoneに入っているアプリ「東京時層地図」は浦安市の一部もカバーしているので、大正時代の地図を見てみると、自分が今立っている場所が海岸線だったことがわかる。向かいの住宅地は養魚場だったようだ。
浜土堤を見て満足したあとは、境川をひたすら北上し、旧江戸川を目指す。この日は日差しを遮るものが少ないルートだったので日傘を差して歩いたのだが、地面からの照り返しが思った以上に強く、下からの暑さは日傘では対処できないことを学んだ。とにかく日陰とベンチを見つけるたびに休憩をとる。
途中昼食をとるための店を探していたら、浦安三社に数えられる豊受神社のそばを通った。「浦安魚市場協同組合」と書かれていた玉垣があったのだが、おそらく2019年に閉鎖した浦安魚市場の関係者のものだろう。残念ながら市場があるうちに訪れることはできなかったが、調べてみたところ閉場までの様子を記録した映画が制作されているらしいので、機会があれば観てみたい。
浜土堤や今はなくなってしまった魚市場の文字など、海と土地との関係を示す痕跡があちらこちらにあるのは、埋め立てによって拡大してきた街ならではかもしれない。
さらに境川沿いを北に歩くと、左手に立派な洋館が見えてくる。昭和4年(1929)に建てられた浦安最初の洋風建築物『旧医院』だ。病院部分は洋風、住居部分は和風となっている。月曜〜金曜は住居スペースで子育て事業が行われており、施設の見学はできないと思いこんでいたのだが、どうやら待合室などの展示部分は見ることができたようだ。次回は内部も見学してみたい。
境川沿いにはもうひとつ、江戸時代末期に建てられたと推定される千葉県指定有形文化財『旧大塚家住宅』があり、こちらも開館日には自由に見学することができる。農業と漁業を営む比較的規模の大きな家だったらしく、境川に近い方に土間があったり、水害時に家財道具をしまうための小屋裏2階があるなど、川沿いの生活を反映した構造になっている。
旧大塚家住宅からフラワー通りに出て少し歩くと、今度は浦安市指定有形文化財『旧宇田川家住宅』があり、こちらも開放されていて内部を見学することができる。明治2年(1869)に建てられ、商家として使われた後、大正3年(1914)に一部が改造され浦安郵便局が開かれた。
係の方が店舗部分1階の「揚戸」の用途を説明するために実際に上げてみせてくれたのだが、保存修理されているとはいえ、現在でも普通に機能することに驚いた。
旧宇田川家住宅の立つフラワー通りはかつて「一番通り」「堀江銀座」などと呼ばれ、映画館、寄席や演芸場が並ぶ浦安一番の繁華街だったという。通りから一本入った場所にある駄菓子屋の店主にお話を伺ったところ、日常雑貨の店、飲食店、洋品店(「ヨウシンテン」と言っていた)などがあり、商店街だけでなんでも揃ったそうだ。漁師たちが仕事の汗を流す銭湯も通り沿いに数件あったが、もう全てなくなってしまった。今は商店街というより、住宅が並ぶ静かな通りになっている。
境川の河口から江戸川沿いへ
再び境川沿いを歩く。郷土博物館から旧大塚家住宅のあたりまでの境川沿いは護岸がきれいに整備されていたが、旧江戸川近くになると古いコンクリートの護岸がそのまま残っていて、ここだけ船がひしめきあっていた時代の面影をとどめているようだ。
東京メトロ東西線の高架をくぐり、旧江戸川の堤防に出る階段を上る。『青べか物語』のに登場する船宿のモデルとなった店が現在も営業していて、旧江戸川には釣り船が何艘も係留されている。
昭和15年(1940)に浦安橋が架かるまで、対岸の葛西との往来には渡し船が利用されていた。明治から大正にかけては深川とを結ぶ蒸気船が東京方面への通学、行商などに広く利用され、蒸気船の発着所は「蒸気河岸」とよばれていたという。
浦安橋が架かり、昭和17年(1942)に東京市営バス(のちの都バス)が浦安橋西詰(現江戸川区東葛西)まで路線を延長すると、水上交通は徐々に衰退し、主な移動手段は陸上交通へと移っていく。
1964年に地下鉄東西線が開通し、1969年に浦安駅が開通すると、大手町までわずか17分で結ばれるようになり、農地は次々と宅地化され、東京のベッドタウン化が進んだ。開通から10年が過ぎるころには浦安で農業を営む家がなくなったというから、その変化の急激さに驚く。
葛飾区で育った私にとって、東京と千葉県との境には江戸川が流れているというイメージが強かったのだが、江戸川区の都営新宿線以南の地域では江戸川(江戸川放水路)と分流した旧江戸川が都県境を流れていて、境界の風景がずいぶん異なることに気づいた。
江戸川土手は『男はつらいよ』でおなじみの矢切の渡しが行き来するような、河川敷が広がるのどかな風景なのだが、旧江戸川(蒸気河岸付近)はコンクリートの護岸ぎりぎりまで住居や建物が迫っていて、より街なかの河川といった雰囲気だ。この違いを知ることができただけでも、今回浦安に来た甲斐があった。住んでいる街のすぐ近くにも自分の見たことがない風景がある。
今回は浦安の「元町」地域と呼ばれる埋め立て前からある旧市街を中心に歩いたが、次回の連載では埋め立てによって出現した新たな町「中町」「新町」を歩きたい。
(次回に続く)
取材・文・撮影=かつしかけいた
【参考文献・URLなど】
浦安市公式サイト, 2008年9月,「まちの様子」」(2025年9月8日参照).
https://www.city.urayasu.lg.jp/kanko/kyodo/josetsu/1002065.html
浦安市郷土博物館, 1997年5月,『浦安のベカ舟』(館内配布冊子).
浦安市郷土博物館,「浦安の行商」, 物館浦安郷土学習BOX(2025年9月8日参照).
http://localbox.city.urayasu.chiba.jp/kyodo_box/contents/study/theme_box/gyosyo/gyosyo/01_02.html
浦安市郷土博物館, 1998年1月, 『周五郎が愛した「青べかの町」』(館内配布冊子).
「浦安 吉野屋」HP, 「青べか物語と吉野屋」(2025年9月8日参照).
https://www.urayasu-yoshinoya.com/aobeka.html
大山顕, 2015年12月, 「浦安と芦屋の海を失った防波堤」, デイリーポータルz(2025年9月8日参照).
https://dailyportalz.jp/kiji/151211195252
映画『浦安魚市場のこと』公式サイト(2025年9月8日参照).https://urayasu-ichiba.com/
浦安観光コンベンション協会, 「旧濱野医院」, 浦安観光イベントガイド(2025年9月8日参照).
https://www.urayasu-kankou.jp/facility/11
千葉県観光物産協会, 「旧医院」, ちば観光ナビ(2025年9月8日参照).
https://maruchiba.jp/spot/detail_10047.html
浦安市郷土博物館, 1998年1月, 『周五郎が愛した「青べかの町」』(館内配布冊子).
浦安市教育委員会 浦安市郷土博物館,「浦安市内に今でも残る文化財住宅 旧大塚家住宅 旧宇田川家住宅」パンフレット.
うらやす財団, 「文化財住宅(旧宇田川家住宅 日大塚家住宅)」(2025年9月8日参照).
https://www.urayasu-zaidan.or.jp/bunkazai/index.html
浦安市教育委員会生涯学習課 編 , 2001年3月,『浦安 文化財めぐり』,浦安市教育委員会.
浦安市郷土博物館, 1998年3月, 冊子『水に囲まれたまち』(館内配布冊子).
かつしかけいた
漫画家・イラストレーター
葛飾区出身・在住の漫画家・イラストレーター。2010年代より同人誌などに漫画を発表。イラストレーターとしても雑誌や書籍の装画などを制作する。漫画『東東京区区(ひがしとうきょうまちまち)』1巻が発売中。