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藤原紀香さんと、ハイアット リージェンシー東京ベイで優雅な夕暮れ時を。

TBSラジオ

昼から夜へと生まれ変わる夕暮れのひと時……Magic Hour。そして、海と緑に囲まれた癒しのリゾートホテルの優雅なリラックス空間で、素敵な景色と音楽を楽しみながら、幅広いジャンルのお客様を迎え、さまざまな話題でトークする番組。

今月のゲストは、俳優の藤原紀香さん!

最上階10階にある 『エグゼクティブ オーシャンビュー テラス スイート 1007号室』で
東京湾を眺めながら、お話伺います。

要:お久しぶりです!

藤原:お久しぶりです!

要:なんかね、変な感じなの!僕たち共通のスタイリストさんがいて、すごい良い方で。紀香さんとも僕とも近しくて。その方を通じてお互いの情報が行き交ってるの(笑)

藤原:そうそうそう(笑)

伝言ゲームのように、情報を交換することはあるそうですが、、
要潤と藤原紀香さんがお仕事でしっかり話すのは初めてかもしれない!とのこと。

4週間、たっぷりとお話を伺います!

共通点のお話

まずは、要潤と藤原紀香さんの共通のお話から、、

近藤:お二人は関西弁同士!

要:もう関西弁は僕はもう本当にね、申し訳ないです関西の方に!僕は四国弁なので、、、、

藤原:なんで?似てるやん!

要:もうね、おこがましいから、、

藤原:橋渡ったらすぐじゃないですか!(笑)

そんな二人のお仕事での共演は…ショートショートフィルムフェスティバルでした!

藤原:別所哲也さんがやられている映画祭で、たくさんショートフィルムを見てね~

要:二人とも審査員でね。

藤原:私はこのおかげで、すごくショートフィルムが好きになったし、すごく覚えているのが、韓国のチョン・ウソンさんがいらしてて。

要:『私の頭の中の消しゴム』の方ですね。

藤原:もうすごい高身長!要くんとチョン・ウソンさん並んだらすごい光景で(笑)お客さんが喜んでいましたよ(笑)

名誉館長の語る日本館とは?

現在「2025年大阪・関西万博が開催中ですが、藤原紀香さんは日本政府が出展する「日本館の名誉館長を務めていらっしゃいます。

藤原:日本館のテーマって循環なんですよ。3つのエリアに分かれていて丸くて、真ん中には水盤があるんですけど。万博内の生ゴミを集めて、日本館のシステムで、微生物から綺麗な水とかエネルギーに変えているんです。この美しい水盤は全部万博内の生ゴミから生まれてるんですよ私これすごいなと思ってね

近藤:へえー!!

要:すごい…!

藤原:めちゃくちゃ綺麗で、みなさんよく言われますけどインスタ映えする場所で、風も心地よくて。単なるごみではなく、ごみから命がうまれるっていうことをちゃんと見られる場所で!あとはね、火星の石なんかも置いてあります。

要:火星の石!

藤原:1970年代の前の万博の時は月の石が置かれてたけど、今回は火星の石。これはね、南極で見つかった火星の石を調べてみたら、中に水が無いと生まれない化合物があったんです。ということは、、火星には水があるんですよ。命が生まれているかもしれないという。

要・近藤:へえー!

藤原:これ、日本館で世界初の一般公開!火星の石触れるパートもあるんですよ!

他国のパビリオンも楽しんだそうで、、、ご紹介いただきました!

藤原:行ったことない国なので興味を持ちまして、入ってみたんですけど。立体映像で、ルクセンブルグを見せてくれて。もう旅をした感じで。すごくよかったですね!

近藤:万博に行くだけで、世界旅行ができますね!

藤原:そうですね!車いすの方々もたくさんいらっしゃって、声をかけてみたんですけど。『前の万博も私行ったのよ、3世代でくることが夢だったの!』って。そういう方がとても多かったですね。それぞれの方にとって、人生の節目の思い出になるという。

大阪・関西万博は10月13日(月曜日)まで開催されています!
是非みなさんも足を運んでみてください!

伝える仕事に憧れていた

続いては、藤原さんのキャリアのお話を伺いました。
はじめてテレビに出たのは16歳の時、セブンティーンリポーターとして『選抜高等学校野球大会』に来ている高校球児や、選手を支える寮母さん、アルプス席で応援している両親たちを取材したことでした。

藤原:もう真っ黒に日焼けして、そこでね、スポーツの世界でも光り輝く人の裏には、これだけ支えている人がいることを知りまして。現場の裏側も取材してみたい!と思いまして。大学に入ってからは、アナウンサー読本を買ってみたりして、、、

要:へえー!何かを伝えるアナウンサーのようなお仕事がしたかったんですか??

藤原:現場にいって何かを伝えるということがしたいと思っていましたね。

そんな中、大学生だった20歳の頃に、お母さまが、紀香さんをミス日本グランプリという大会に応募!そのままグランプリを受賞されます!
ここから人生が変わり、いろいろなスカウトも受けたそうですが、、ご両親がすべて断っていたそう!

藤原:大学はもちろん4年で卒業させるから、一単位も落としたあかんから、そんな仕事はさせへん!と(笑)

要:お母さまが応募したのに?!(笑)

藤原:なんで?と思って聞いてみたんですよ。そしたら、母は実はミス和歌山になりたかったらしいんです。でもおじいちゃんおばあちゃんが『あかん!』と。女性は台所に立っていればいい。という今じゃ考えられないような昔の考え方だったので、我慢してきたんですって。それで、母がちょっと私を応募してみたら、グランプリを取ってしまったという(笑)でも、お見合いの拍付けにしたかったんでしょうね(笑)

近藤:なるほど!素敵な肩書が一つ増えたらよいなと!(笑)

藤原:そしたら私が、その気になってしまって。女優さんになりたいなと。女優さんになれれば色々なところのレポートに行けるんじゃないかなと夢が膨らんで。でも、大学を卒業しても、反対されていましたね。

父からかけられた一言

きっかけはお母さまによる応募でしたが、見事ミス日本グランプリを受賞された藤原さん。
ですが、女優さんへの道は反対されていたそう。そんな藤原さんの状況のきっかけは『阪神淡路大震災』でした。

藤原:阪神淡路大震災で、いろいろなことをやっぱり考えて。自分の中でも後悔したくないなと思って、“援助もいらないから!私は上京します!”と。

要:あら!

藤原:でも父は腕を組んで口もきいてくれなかった。で母が『あんたは決めたら聞かないから行っといで』と。父とはこのまま別れ別れになっちゃっていいのかな、、、と思いながら当日を迎えたんです。

要:うんうん

藤原:そしたら、あれだけ反対してたのに、トラックを用意してくれてて。家財道具、なけなしの自分の部屋のものを積んで、東京まで運転してくれたんですよ。東京までの7時間くら、一言も口きいてくれなかったんです。

要:えぇ~!

藤原:私も最初『ありがとう』って乗り込んだはいいけど、何を話していいかわからないし、途中休憩してても話しかけられなくて。それで着いて、荷物を入れ込んで一言だけ『戸締り毎日しろよ』って。うん、ありがとうって言ってそのまま帰っていったんです。

要:うわぁ~~~!もうでもお父さんの気持ち無茶苦茶わかるわ~~~!なんて言っていいかわからないですよね。

近藤:ちょっと泣きそうになりましたね、道中にいろいろなことを考えてずっと、、

要:考えて考えて、、、そのまま引き返したい気持ちだろうけど、行って。『戸締りだけはちゃんとしろよ』って。素晴らしいですね。

藤原:やっぱり、想っててくれたんやなと。そんな思いで出してくれたんやから、私も頑張らなあかんと思って。オーディション落ちまくりましたけど(笑)
でも、当時はオウムのサリン事件が起こったり、東京でいろいろな怖いことがあって。泣きながらテレビを見てたり。でもあかんって。神戸の震災で1から家建て直して高架下のお店が潰れたとこもみんな立て直して。紀香も頑張りや!っていうコールをもらって『わかった私も絶対頑張る』っていうエールの交換していたので。なんだかすごく、覚えてますね

(TBSラジオ『要 潤のMagic Hour』より抜粋)

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