葛飾北斎の多彩な浮世絵の魅力に迫る【江戸時代に隆盛した文芸・美術『すみだ北斎美術館』編vol.3】
葛飾北斎専門の美術館として海外からの旅行者にも愛されている、東京・両国の『すみだ北斎美術館』。北斎は日本を代表する浮世絵師として知られ、海外では日本趣味・日本的を意味する「ジャポニズム」という現象まで起こした。代表作である「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」に描かれる波は日本国パスポートの中面デザインにも採用されている。今回は、大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』でも登場し話題となった北斎の作品の魅力について、学芸員の山際真穂さんに伺った。
北斎が人気ジャンルにした風景画と、世界的にも好評のホクサイブルー
「北斎といえば誰もが思い浮かべるのは風景画だと思います。『冨嶽三十六景』は北斎が70歳代前半に描いたものです。
風景画は当時の浮世絵の中ではあまり人気がなかったのですが、庶民の富士信仰も重なり、『冨嶽三十六景』が大流行することで風景画というジャンルが確立されたといえます。青を基調とした10枚と多色摺りの錦絵が26枚の『冨嶽三十六景』は評判を得、もっと見たいという要望もあってさらに10枚追加されました。
続いて発表した『諸国瀧廻り』『諸国名矯奇覧』などの風景画もヒットしています」
「冨嶽三十六景」は爆発的にヒットし、数年後に発行された歌川広重の「東海道五十三次」も大ヒット。風景画は人気ジャンルになった。
ちなみに「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は「北斎を学ぶ部屋」で高精細レプリカの展示をしているとのこと。迫力ある浮世絵は必見だ。
「冨嶽三十六景」や「諸国瀧廻り」など、北斎は波や滝が描かれた風景画を数多く残す。青を基調にしたそれらの作品は海外では「ホクサイブルー」と呼ばれ、海外の芸術家たちに影響を及ぼした。
「以前、『変幻自在!北斎のウォーターワールド』という企画展を行ったこともありますが、北斎は波や滝など、“ベロ藍”を使った水=青が生きた浮世絵を数多く残しています。ベロ藍は化学顔料の先駆けで輸入品です。当初は非常に高価でしたが、この時代になると、浮世絵版画でも使えるほどの値段になっていました。
『冨嶽三十六景』では、ベロ藍と本藍で濃淡をつけた浮世絵10枚を先行販売したようです。富士山が描かれた青を基調とした浮世絵は斬新で庶民の心をつかみました。目の覚めるような鮮やかなベロ藍の浮世絵を見た海外の芸術家たちにも大きな感動を与え、『ホクサイブルー』と賞賛されたのだと思います」
より本質に近づくデフォルメと、森羅万象を描いた『北斎漫画』
北斎の風景画以外の浮世絵にはどんな魅力があるのだろうか。
「北斎は風景画が一番有名ですが、今回の特別展(※2025年11月24日〈月〉まで開催の「北斎をめぐる美人画の系譜」)の美人画に加え、花鳥画、あまり多くはないですが武者絵、さらには読本の挿絵など、どのジャンルでも優れた作品を残しています。魅力は語り尽くせないぐらい多くあるのですが、大胆な構図や緻密な表現、特にすごいと思うのが、描くものの本質を捉えた描写などが挙げられると思います。
写真のように本物の形をそっくりになぞったものではなく、独特の構図によって写真以上に本物らしいというか、より一層リアリティが感じられ、見ているだけで心が震えてきそうです。
例えば美人画ですが、首を極端にかしげてみたり、手の角度をデフォルメして描くことで、より女性らしさが伝わってくるような表現をしており、本当に描くものの本質を伝えているのだと思います」
多才な北斎は、弟子たちのために絵手本の制作も行っている。絵手本とは文字通り、絵を学ぶときに手本になる教科書のようなものだ。
「優れた浮世絵師に学びたいと思う人は多いのですが、北斎には約200人の弟子がいたといわれています。これは孫弟子を含めた人数で、実際に一人ひとりに教えていたわけではありません。
弟子や孫弟子のために、北斎は絵手本を作成しました。『北斎漫画』もその一つです。全15編で構成され、絵の数は約4000点が収録されています。ここでいう漫画は「漫(そぞ)ろに描いた画」という意味です。北斎の一般的なイメージとは異なり、ユーモラスで滑稽なイラストもあります。さまざまな画題が取り上げられていて、まさに森羅万象が描き出されています。弟子がお手本にしているほか、工芸品の図案として使用されていた事例もあります。
海外でも『ホクサイ・スケッチ』と呼ばれ、大ベストセラーになっています。フランスの印象派の画家、エドガー・ドガの「踊り子たち・ピンクと緑」という作品は、『北斎漫画』にある力士の構図とそっくりに描かれています。これを見ると大きな影響を与えていたことがわかります」
『北斎漫画』は、海外に渡り『ホクサイ・スケッチ』として海外の芸術家たちの教科書にもなっていたとは……。そう思うと、北斎の弟子・孫弟子は世界中にいるかもしれない。
北斎作品の楽しみ方
最後に山際さんに北斎の浮世絵の楽しみ方を聞いてみた。
「浮世絵は基本的に庶民に向けて描かれたものなので、わかりやすく心に伝わると思います。さらに、北斎の浮世絵は、大胆にデフォルメされていながらも不自然さを感じさせないという魅力があります。じっくりと見ていると、北斎が対象物の一番表現したい部分、北斎の心の動きのようなものを感じられるのではないでしょうか。肉筆浮世絵ならば、北斎の緻密な描写ですとか、繊細な筆使いも楽しんでいただけると思います。
北斎はさまざまなジャンルの浮世絵を描いています。『すみだ北斎美術館』で企画展や特別展を鑑賞していただき、風景画や美人画など、自分好みの浮世絵を見つけてみてほしいです。そうすれば、北斎や弟子たちの新たな魅力にふれられるはずです」
世界に誇る浮世絵師・葛飾北斎の浮世絵を間近で見られる『すみだ北斎美術館』で、北斎の卓越さを体感しよう。
すみだ北斎美術館(すみだほくさいびじゅつかん)
住所:東京都墨田区亀沢2-7-2/営業時間:9:30〜17:30(入館は~17:00)/定休日:月(祝の場合は翌平日)/アクセス:JR総武線両国駅から徒歩9分、地下鉄大江戸線両国駅から徒歩5分
取材・文・撮影=速志 淳(アド・グリーン) 画像提供=すみだ北斎美術館
アド・グリーン
編集プロダクション
1982年創業の編集プロダクション。旅行関係の雑誌・書籍、インタビューやルポルタージュを得意とし、会社案内や社内報の経験も多数。企画立案から、取材・執筆、デザイン、撮影までをワンストップで行えるのがウリ。