ハーレー乗りなら知ってて当然!? 幾多の経営危機を乗り越え今もなお人気を集めるハーレーの豆知識5選
1903年に創業してから今年で122年を迎えた「ハーレーダビッドソン」は、世界に数あるバイクメーカーの中でも抜きん出るほど長い歴史をもつ。世界最古のメーカーでこそないが、創業してから倒産することなく100年以上続いている例は少なく、その点においてとても稀有な存在だ。アメリカという国に限定すれば、最盛期には大小含め100を超えるメーカーが存在したが、世界大恐慌でそのほとんどが消滅。また、ほかにもさまざまな経営危機に直面したが、歴史を途絶えさせることなく現在まで存続してきた。これは経営陣の巧みな戦略があればこそ。警察や米軍などさまざまな公的機関で採用されたことで新たなる市場を開拓したことも大きいだろう。加えて、奇跡的な追い風も味方につける運の強さもある。大スターに愛されたこと、そして若者の文化や映画とも密接に関わってきたからこそ、いまも多くのファンを生み、強く支持され続けているのだ。そんなハーレーの歴史にまつわる、ハーレー乗りなら知ってて当たり前の豆知識を紹介しよう。
1.戦時需要で巨大企業に
1907年に警察用車両を製作すると、その信頼性の高さが認められ、多くの警察署が採用した。その後第1次世界大戦時に2万台を超える車両を、さらに第2次世界大戦時には、軍用車「WLA」を約9万台も製造して米軍に納めた。
裏庭にあった3m×4.5mの小さな小屋で1号機は製造された。現在まで続く巨大メーカーは、家が隣同士だったハーレーとダビッドソン兄弟の、わずか4人の若者たちによって創立された。
2.1903年に発売されたハーレー1号機
幼なじみだったウィリアム・S・ハーレーとアーサー・ダビッドソンの2人が生み出したハーレー1号機は1903年に完成。設計とテストをハーレーが行ったことから、ハーレーの名を先にして社名を決めたという。
3.隆盛を極めた1950~60年代
第2次世界大戦以降、戦時需要がなくなってモーターサイクル市場は縮小傾向となり、最大のライバルだった「インディアン」は1959年に会社を解散。ハーレー社はアメリカで唯一の2輪メーカーとなり“黄金時代”を迎えた。
4.日本車に対抗して生まれた傑作
1950年代後期から1960年代にかけて、まさに黄金期を迎えたハーレー社だったが、安価で性能が高い日本製バイクがアメリカ市場を席巻し始めた1960年代末期になると最大の経営危機に陥った。“昔から変わらないスタイル”が災いし、時代遅れと捉えられてしまったのだ。AMFに買収され、傘下となった1969年以降、日本車に対抗するべく魅力的なモデルを次々と発表。それを手がけたのがレジェンドデザイナーのウィリーGだ。
1971 FXスーパーグライド
1977 FXSローライダー
5.ピンチを救った渾身のNEWモデル
AMFの潤沢な資金を得ることで日本車に対抗し、さまざまなモデルを投入したもののまるで敵わず、やがてAMFのハーレーに対する経営意欲も薄れ、深刻な品質低下を招く結果となった。そして1981年、13人の役員が株を買い戻し、AMFから独立。渾身のニューモデル「FXSTソフテイル」を発表するや空前の大ヒットとなった。
新しいビッグツイン「エボリューション」を搭載したソフテイルが大ヒット。これによりH-D社は現在の基盤を築いた。