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大阪学院大高校野球部の歴史、江夏豊でも果たせなかった夏の甲子園狙う

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イメージ画像,ⒸmTaira/Shutterstock.com

春季大阪大会で履正社と大阪桐蔭を破って優勝

高校球界で大阪学院大学高等学校がにわかに脚光を浴びている。2024年の春季大阪大会4回戦で履正社を9-8、準々決勝で大阪桐蔭を2-1で破り優勝したのだ。5月26日の近畿大会1回戦で須磨翔風(兵庫)と対戦する。

同一大会で大阪桐蔭と履正社に勝ったのは2009年夏のPL学園以来だった。何しろ、2強以外で大阪から夏の甲子園に出場したのは南北大阪に分かれる記念大会を除くと2011年の東大阪大柏原が最後(2018年の第100回大会は近大付が南大阪代表)。近年の甲子園を独占してきたと言っても過言ではない2強を撃破したのだから恐れ入る。

大阪では以前から強豪の一角ではあったものの、甲子園出場はベスト8入りした1996年センバツが唯一で、全国的には無名に近い。改めて大阪学院大高の歴史を振り返ってみよう。

1966年夏の大阪大会準決勝で敗れた江夏豊

同校HPによると、1959年に関西経済学院商業高校として開校。1963年に大阪学院大学高校と改称した。

野球部も1959年から大会に出場しており、プロ野球で206勝193セーブを挙げた左腕・江夏豊の母校としても知られている。

1966年夏、剛腕・江夏を擁する大阪学院大高は4回戦で八尾、準々決勝で明星と甲子園出場経験のある学校を下し、ベスト4入り。準決勝で対戦したのは桜塚だった。

同年秋のドラフトで江夏とともに阪神から指名されるエース奥田敏輝との投げ合いになったが、0-1で惜敗。甲子園まであと2勝に迫りながら江夏は涙を呑んだ。

ちなみに同年の決勝で桜塚を下して甲子園に出場した北陽(現関大北陽)には長崎慶一がおり、3人とも後に阪神でプレーしたのも不思議な巡り合わせだ。

1996年センバツで8強入り

大阪学院大高は翌1967年も準々決勝でPL学園に、1968年も同じく準々決勝で明星に敗れ、上位進出はするものの甲子園を逃している。

その後、低迷した時期もあったが、1990年代から強さを取り戻し、1996年センバツに初出場。初戦で阿部真宏(現西武内野守備走塁コーチ)や松井光介(現ヤクルトスコアラー)のいた横浜と対戦し、2-1で初勝利を挙げた。

2回戦も米子東を8-4で下してベスト8入り。準々決勝で高陽東に4-5で惜敗した。ちなみに同年は夏の甲子園に出場したPL学園も3回戦で高陽東に敗れている。

大阪学院大高が春夏連続出場を狙った同年夏は、大阪大会準決勝で上宮に敗退。夏の大阪大会で準決勝に進出したのは江夏を擁して敗れた1966年以来30年ぶりだった。

その後、2000年夏は準決勝で履正社に、2018年夏は北大阪大会で初めて決勝に進出したが根尾昂(現中日)、藤原恭大(現ロッテ)らを擁する大阪桐蔭に2-23と大敗。甲子園に届きそうで届かない状況が続いている。

プロ注目のショート・今坂幸暉

現状を打破すべく野球部の強化に本腰を入れた同校には、2022年に人工芝グラウンドや室内練習場が完成。トレーニングジムではトレーナーのアドバイスを受けながら最適な筋力トレーニングができるという。

2023年には大阪市立大(現大阪公立大)の監督を13年間務めた辻盛英一監督が就任。生命保険代理店を経営しながら二足の草鞋を履く指揮官が、大阪の高校球界に風穴を開けようとしている。

ショートを守る今坂幸暉はプロ注目のドラフト候補。春の快進撃から夏の甲子園を目指す戦いはこれからが本番だ。

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記事:SPAIA編集部

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