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『風、薫る』大関和は母親としての愛情に乏しかった?孫が残した祖母への複雑な思い

草の実堂

画像 : 明治43年 母と子 public domain

朝ドラ「風、薫る」のヒロイン・りん(演・見上愛)には娘の環(たまき)がいるが、そのモデルとなった大関和(おおぜき ちか)にも、一男一女の子どもがいた。

看護婦として多忙な日々を送っていた和は、どのように子どもたちを育てていたのだろうか。

今回は、大関和の子育てと、母の背中を見て育った子どもたちのその後を追っていきたい。

画像 : 明治43年 母と子 public domain

大関和も家族の協力で子育て

りんは最初の結婚で娘の環(たまき)を授かるが、身勝手な夫に愛想を尽かして家を出た。

東京へ逃れた後は、母や妹の手を借りながら環を育てている。

そのモデルとなった大関和(おおぜき ちか)も、最初の結婚生活はうまくいかなかった。

父を亡くした後、和は1876年、10代のうちに20歳以上年上の渡辺福之進と結婚した。
福之進には複数の妾がおり、すでに外にも子どもがいたため、和はそうした女性関係を清算することを条件に結婚を承諾したという。

翌年、和は長男を出産したが、福之進にとっては六番目の男児だったことから「六郎」と名付けられた。

しかし結婚後も福之進の女性関係は続き、和が責めても「離婚すればおまえの恥になる」と言われ、耐えるしかなかった。
やがて長女・心(シン)を妊娠すると離婚を決意し、出産のため実家へ戻ったまま、福之進のもとへは戻らなかった。

このとき六郎は福之進のもとに残していたが、のちに和は六郎も引き取り、母の哲や妹とともに2人の子どもを育てることになる。

家事や子どもたちの世話を主に担ったのは、母の哲だったという。

1887年、和は桜井女学校附属看護婦養成所に入学し、帝国大学医科大学附属第一医院で実習を受けるため、子どもたちを家族に託して寮生活を送った。

養成所を卒業した和は再び家族と暮らすようになったが、看護婦として働き始めると、次第に病院で過ごす時間も長くなっていった。

和が仕事を続けながら2人の子どもを育てることができた背景には、母や妹による家族の支えがあったのである。

娘の死と和の大恋愛

和は子どもたちを母に託し、帝国大学医科大学附属第一医院で看護婦長を務めた後、新潟へ単身赴任している。

1896年に東京へ戻って恩師を看取った後は、鈴木雅が立ち上げた「東京看護婦会」で派出看護婦として忙しい日々を送った。

この時期、和には社会運動家の木下尚江(きのした なおえ)との大恋愛もあった。

画像 : 木下尚江(きのしたなおえ) public domain

2人の関係は結婚話にまで進んだが、周囲の反対もあって実らず、その後にも和には別の男性との再婚話が持ち上がったものの、こちらも破談となっている。

そして1900年、和が42歳のころに大きな悲しみが訪れた。娘の心が結核を患い、20歳の若さで亡くなったのである。

当時、心は東京慈恵医院看護教育所に通い、まもなく実習に入るところだったという。母と同じ看護婦の道を目指していたのだ。

このころの和は『派出看護婦心得』を著すなど、質の低い派出看護婦をなくし、看護婦の教育や地位を高めるために奔走していた。

そんな多忙な日々のなかで、同じ看護の道を歩もうとしていた娘を失った和の悲しみは、計り知れないものだっただろう。

その後、和は心について多くを語ろうとしなかったという。

大関和にさらに悲劇が襲う

画像 : 東京慈恵会医科病院校舎 public domain

息子の六郎は、はじめ文学を志していたが、やがて母と同じ医療の道を目指し、東京慈恵医院医学校(現・東京慈恵会医科大学)に進んだ。

しかし医師になるための医術開業試験になかなか合格できず、次第に家に引きこもるようになった。

もともと六郎は内向的で、どこか斜に構えるところがあったという。

幼いころに両親が離婚し、母の和も看護の仕事で家を空けることが多く、六郎の養育を主に担ったのは祖母の哲だった。
そうした環境も、六郎の性格に少なからず影響していたのかもしれない。

そんな六郎にも転機が訪れる。1904年、和の教え子だった澤本操と結婚し、麹町で文具店を営み始めたのである。

1909年には長男の一郎が誕生し、家庭にも恵まれた。

ところが六郎は仕事でジャワ島へ渡った際、現地でマラリアに感染してしまう。
そして1910年、33歳の若さで亡くなった。

娘の心を20歳で失った和は、今度は息子まで先に見送ることになったのである。

まだ幼かった一郎を抱えた操は文具店をやめ、和と同居するようになった。

しかし、その操も六郎の死から6年後に病気で亡くなってしまった。

残された孫を溺愛

画像 : 大関和(おおぜき ちか)public domain

一郎は幼くして両親を失い、その後は祖母の和に育てられた。

当時の和は、妹やその子ども、弟の遺児なども引き取り、さらに弟子たちを住み込ませて看護を教えていたため、一郎はかなりの大家族のなかで育った。

両親を早くに亡くした孫を、和はことのほか可愛がったという。
我が子に十分な時間をかけられなかったことも、どこか心に残っていたのかもしれない。

しかし一郎は成長すると反抗的な一面も見せるようになり、和は手を焼いた末、かつての教え子の家に寄宿させたこともあった。

高価な時計や服をねだり、気に入らなければ売ってしまうこともあったという。それでも和は一郎を可愛がり続けた。

やがて一郎は明治学院へ進み、1932年に卒業する。同年5月、和は74歳になる直前にこの世を去った。

後年、一郎は「あれほど心から愛してくれた祖母に何の恩返しもできなかった」と後悔を口にしたという。

その一方で一郎は和について「広い視野と包容力を持ちながらも、親としての愛情表現には乏しく、子育てを母らに任せて社会での活動を優先した」とも振り返っている。

和は「ああ、忙しい忙しい」が口癖だったという。

出張や泊まりがけの看護に加え、看護婦の教育や地位向上にも奔走していたため、家庭で子どもたちと過ごせる時間は決して多くなかった。

それでも興味深いのは、六郎と心がともに母と同じ医療の道を志したことである。

母と過ごした時間が少なかった彼らが、なぜ同じ道を選んだのかは分からない。

しかし、家庭より仕事を優先することも多かった和と、その背中を見ながら育った子どもたちの関係は、明治という時代に職業を持って生きた女性の一つの姿を伝えているのではないだろうか。

参考 :
高橋政子「大関和のこと(補遺)」『看護教育』第22巻第9号
上越市「大関和」、環境再生保全機構「大関和に学ぶ看護師誕生の歴史」ほか
文 / 草の実堂編集部

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