カムチャツカ半島付近地震津波 釜石でも最大50センチ観測 警報で1531人が避難
7月30日午前8時25分ごろ発生したロシア・カムチャツカ半島付近を震源とする巨大地震で、日本の太平洋沿岸などに出された津波警報と注意報。本県では午後8時45分に警報から注意報に切り替わり警戒が続いていたが、31日午後4時30分に注意報は解除された。釜石港でこれまでに観測された津波の最大は、30日午後2時13分の50センチ。津波の影響による潮位の変化はしばらく続く可能性があり、引き続き注意が必要だ。
マグニチュード8.7と推定される今回の地震。釜石市では揺れを感じない状態で突如、鳴り響いた防災行政無線のサイレンに緊張が走った。同市では気象庁が午前8時37分に発表した津波注意報を受け、浸水想定区域に避難指示を発令。午前9時40分に注意報から警報に警戒レベルが引き上げられると、対象範囲を拡大した(6362世帯、1万1382人)。市内の小中学校など6カ所に避難所が開設され、最大で計1531人が避難した。
市の緊急避難場所、拠点避難所に指定されている鵜住居町の鵜住居小・釜石東中には注意報の発表後、地域住民や地区内で働く人などが続々と避難してきた。同地区生活応援センターと学校が連携し避難所を開設。通常は体育館が避難所となるが、厳しい暑さのため、エアコンが設置されている各種教室などを開放し、避難者を受け入れた。同所には最大で373人が避難した。
川沿いにある双日食料水産は、ベトナム人技能実習生18人を含む70人が同校に避難。注意報発表時は始業時間と重なり、点呼などを経て午前10時前には避難を開始した。東梅拓也工場長は「年1回、避難訓練を実施しており、みんな落ち着いて行動できた。従業員は東日本大震災の津波経験者が多いので防災意識は高い」と話した。学校近くの復興住宅に暮らす70代と80代の女性は「全然揺れないで、急にサイレンが鳴ったのでびっくり。暑い時の避難は大変。長い階段を休み休み上がってきた」と涼しい部屋でしばし休憩。「何もなく、早く(警報が)解除されれば」と願った。
鵜住居町根浜地区では旅館や観光施設の従業員らが客を帰した後、津波到達予想時刻の午前10時半前に高台避難を完了。震災後に造成された海抜20メートルの復興団地内の集会所に身を寄せた。岸壁で作業中だった漁業者も即座に高台へ。地区住民らは自宅待機し、テレビなどで情報収集した。
同地区では7月28日から国内外の中高生ら13人がリーダー育成プログラムのキャンプ中だった。14年前の震災の教訓を学ぶのも目的の一つ。津波注意報発表時は、海辺でのライフセービング体験に向かう直前だった。岡﨑律さん(高3、東京都)は「津波について学んでいる最中だったので、より恐怖を感じ、他人事ではないと思った。避難の不安もあったので、実際の災害を想定して家の備蓄品や持ち出し品を確認しなければ」と気を引き締めた。佐々夏希さん(高1、同)は「初めての経験でちょっとパニックになり、右往左往するところがあった。想定外のことにも一旦冷静になり、対処することが大切。日頃から訓練しておきたい」と学びをさらに深めた。4泊5日のプログラムは一連の影響で変更を余儀なくされた。
避難所開設に大きな力 自主防結成の釜石東中生 率先して避難者をサポート
鵜住居小・釜石東中の避難所開設で今回、大きな力を発揮したのは、釜石東中(高橋晃一校長、生徒86人)の生徒36人。夏休みの部活で登校していた1、2年生らが、避難者の案内や食料の配布、困りごとの聞き取りなど精力的に活動し、長丁場となった避難所運営を支えた。今年1月に生徒会が中心となって自主防災組織(自主防)を立ち上げた同校。日頃の学びや訓練の成果が生かされた。
7月30日、生徒らは午前8時半ごろから、部活の活動場所となっていた学校近くの市民体育館で準備を進めていた。ほどなくして津波注意報のサイレンが…。生徒らはすぐさま、高台の学校へ避難。避難者が増える中、避難所開設の必要性が高まり、教職員の指示のもと受け入れを開始した。エアコンがある図書室や音楽室など4室を開放。入り口で受付を済ませた避難者を生徒らが各部屋に案内した。
昼前には、校内に設置されている市の防災備蓄倉庫から飲料水と非常食の缶パンなどを運び出し、避難者に配布。トイレットペーパーの補充、段ボールベッドの組み立てなども行い、校内を回りながら避難者の困りごとを聞いた。熱中症対策や感染症予防を呼びかける校内放送も生徒が担当。地元製パン業者が差し入れたパン、夕食用に市から配送された非常食カレーなどの配布も手伝った。
現1、2年生は実際の避難所開設、運営にあたるのは初めての経験。2年の板澤莉琉さん、旦尾歩暖さんは「最初は落ち着かなかった。みんなそわそわして…。でも『避難所、やらなきゃないのでは』との声も多かった」と、注意報から警報への時間帯の仲間の様子を振り返った。1年の新屋碧さん、小國怜義さんは「困っている人には積極的に話しかけ、要望などを聞いている。少し不安もあるが、互いに声をかけ合って頑張っている」とし、「また同じようなことがあったら、今回の経験を生かしたい」と意を強くした。
同校では4月に防災オリエンテーションを実施。その後も小中合同の下校時津波避難訓練のほか、朝活動での防災意識向上を図る取り組みを続けている。高橋校長は「日常的に防災に特化した活動をやっているので、生徒たちはスムーズに動けたのではないか。これまでの学びがしっかり身に付いている」と活動の成果を実感。また、「市の対応にはなるが、防災備蓄倉庫の物品の補充、更新など定期的な点検も必要と感じた」と今後の課題も示した。この日は警報から注意報になった時点で、市教委から生徒の保護者への引き渡しの指示があり、午後10時ごろまでに学校にいた全生徒が帰宅に向かった。