年齢とは、一筋の暗闇の道 ─萩原 朔美の日々
—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、11月14日で紛れもなく77歳を迎えた。喜寿、なのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第16回 キジュからの現場報告
いつだったか、詩人の鈴木志郎康さんが
「70歳過ぎたら、ビルの工事現場に『何年度完成予定』って書いてあるの見て、ああ、自分は見れないなあ、って思うようになった」
と言った。私は鈴木さんより10歳下なので、その時はそんなものかなあ、と実感が湧かなかった。
自分が77歳になって、鈴木さんの言葉を思い出した。
たしかに、都市開発の完成年度とか、新しい交通手段とか、10年20年先の完成はもはや自分の守備範囲を越えているように感じる。
勤めていた大学の創立80周年の時、
「この記念行事が無事に終わったら、次は創立100周年記念です。
まあ、その時はここにいる皆んなは居ないかもしれないけど」
と挨拶して爆笑してもらった。年齢はネタの一つなのだ。
1990年に私が演出を担当した三島由紀夫の戯曲「弱法師」に、こんなセリフがある。
「年齢が何だって言うんです! 年齢が! 年齢というものはね、一筋の暗闇の道なんです。来し方も見えず、行末も見えない。だからそこには距離もないし、止まっているも歩いているも同じこと、進むも退くのも同じこと、そこでは目あきも盲らになり、生きている人間も亡者になり、僕同様杖をたよりに、さぐり足でさまよっているにすぎないんです。赤ん坊も老人も青年も、つまりは同じ場所で、じっと身を寄せ合っているにすぎない。夜の朽木の上にひっそりと群れ集まっている虫のように。」
このセリフに出会ってから、私は年齢にあまりリアリティが持てなくなってしまったのだった。
第15回 今こそ<肉体の理性>よ!
第14回 背中トントンが懐かしい
第13回 自分の街、がなくなった
第12回 渡り鳥のように、4箇所をぐるぐる
第11回 77年余、最大の激痛に耐えながら
第10回 心はかじかまない
第 9 回 夜中の頻尿脱出
第8回 芝居はボケ防止になるという話
第7回 喜寿の幕開けは耳鳴りだった
第 6 回 認知症になるはずがない
第 5 回 喜寿の新人役者の修行とは
第4回 気がつけば置いてけぼり
第3回 片目の創造力
第2回 私という現象から脱出する
第1回 今日を退屈したら、未来を退屈すること
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。