Yahoo! JAPAN

すしや横丁から東京交通会館へ、街の変遷と変わらぬかつ丼のうまさ。有楽町『とんかつ あけぼの』<後編>【街の昭和を食べ歩く】

さんたつ

P7233020とんかつあけぼの

文筆家・ノンフィクション作家のフリート横田が、ある店のある味にフォーカスし、そのメニューが生まれた背景や街の歴史もとらえる「街の昭和を食べ歩く」。第6回は戦後、東京五輪や都庁移転など表情を変えていった街・有楽町の『とんかつ あけぼの』で、「すしや横丁」時代から変わらぬ味わいの【かつ丼】を。後編では、有楽町という街の戦後史と『あけぼの』の歩みにフォーカスします。

とんかつ あけぼの

すしや横丁の成立史

有楽町駅前、「東京交通会館」内の『とんかつ あけぼの』でお話を伺った。

有楽町の老舗『とんかつ あけぼの』の創業から遡(さかのぼ)ること十余年、混沌の終戦直後に「すしや横丁」は生まれた。ためしにいま、その時期の有楽町駅前にタイムスリップして時空散歩をしてみよう――。

空襲の焼け残りのビルは、すでにいくつも進駐軍に接収されている。駅西側に立つ「第一生命館」(「DNタワー21」に改称ののち現在は「第一生命日比谷ファースト」)では、連合国軍最高司令官であるマッカーサー元帥が執務し、米兵たちは街を闊歩している。埋め立て前の外濠川(現在の東京高速道路付近)にかかる数寄屋橋あたりには、シューシャインボーイ(戦争孤児の靴磨き)、寄付を募る傷痍軍人たちが大勢おり、日が落ちれば、橋から駅にかけてパンパンと呼ばれる街娼たちも姿を現す。「ラク町のお時」という二つ名の少女は、パンパン約150人を束ね、NHKに取材されて有名になり、小説や映画のモデルになるほどであった。

都交通局の印刷工場の焼け跡(現在の「東京交通会館」付近)では、酒を飲ませる店もできた。ヤミ市である。引揚者や在日コリアンの人々が多かった。当初はヨシズ張りの一坪飲み屋ばかりであったものが、やがてバラック建てになっていった。最盛期は350軒(一説には500軒)もの店が並んだが、やがて駅の目の前、国鉄の線路に沿ったわずか100mほどのスペースに整理された。

1948年頃には組合も組織され、100軒もの寿司屋や飲み屋、ホルモン屋などが密集して商売をするようになっていった。これが「すしや横丁」なのだ。

1965~1967年頃のすしや横丁。駅前から銀座方面に向けてなだらかな丘のようになった土地に、背中合わせに2軒ずつの木造2階建てが国鉄の線路に沿うように、まさにすし詰めで1列続き、路地をはさんで今度は1軒ずつの店が並んだ列が2つ、合計で3列あった。写真の当時、店は100軒超あり、中には3階を建て増しした店もあった(写真提供=東京交通会館)。

東海道新幹線、東京高速道路、東京交通会館——街の変化のうねりの中で

客は、新聞記者が多かった。当時、朝日、読売、毎日と、新聞3社の本社が近くにあったからだ。そしてもうひとつ、横丁を闊歩していたのが都庁の職員である。新宿に移転前は、有楽町に都庁舎(現在の『東京国際フォーラム』の場所)があったのだ。

時代は、戦災の復興期から、高度成長期へと入っていく。1964年開催の東京五輪を目指して、首都東京は大規模なインフラ整備が進んでいった。東海道新幹線、東京高速道路、丸ノ内線などの工事ラッシュとなり、駅前には杭打機の音が鳴り響き出す。

2025年現在の東京交通会館(右)と、通過する東海道新幹線。

「すし横」は駅の目の前である。新幹線敷設の用地にかかっていた。そして、焼け落ちた交通局も、本来の場所に戻ってくることになった。ところが、店の立ち退き交渉が難航。私は以前に、「すし横」で長年店を営んでいたある女将さんに、この時期の模様を聞いたことがある。

「新幹線の線路が先にできてきちゃったのよ。そうしたら、線路側の店はその影の下になって暗くなっちゃった」

バラック街を壊しきれないまま、東海道新幹線が先に開通してしまった。そして「すし横」は、五輪もとうに終わった1968年、最後まで動かなかった一軒の寿司屋が退去して、ようやく撤去されたのだった。横丁のすぐ脇に建ったのが、「東京交通会館」だった。「すし横」移転組の飲食店はこのビル内に何軒もが入居していった。『あけぼの』もその一軒だったのである。

取り壊される「すしや横丁」。奥に先に完成した東京交通会館が見える(写真提供=東京交通会館)。

“都庁の胃袋”だった時代、そして現在まで変わらぬ味と思い

先代とともに写る『あけぼの』店主の中村文造さん(右/写真提供=中村さん)。

『あけぼの』には、横丁時代から引き続いて、都の職員たちが足しげく通ってきた。ビル内に入ろうとも、横丁時代と変わらぬ味をしっかり守っていたからである。

「そうです、このビルは昔は『都庁の胃袋』だったんですよ。だから夜はさびしいときもありましたね」

中村さん。

『とんかつ あけぼの』店主の中村さんは笑う。かつ丼やとんかつを求めて、昼は都庁職員でごったがえし、休みもまったく取れないほどにぎわったが、夜になれば官庁街に人通りは少なかった。中村さんは先代の父と常連客がのんびり酒を飲んで過ごしていたことも覚えている。味は変えずに守ってきたが、店の外、有楽町の街はどんどん変化していった。

「その都庁がなくなって、飲食店はごっそり減って、物産店が増えました。その時代はきつかったですね。でも、それでも明るい父と母に会いに来てくれるお客さんたちがいてくれたので、店を守れたんです。私はそれを見習っているだけです」

2025年、開館60周年を迎えた「東京交通会館」。

都庁が新宿へ移転し、有楽町駅前から新聞社はいなくなり、周囲は新たなビルが次々に建てられ、街の表情は大きく変わった。「東京交通会館」は1965年竣工、2025年で60歳のビルである。なかを歩く人は、勤め人比率が下がり、女性が増えた。その地下で、個人店が、昭和のころと変わらぬ味を出し続けている。いや、厳密には変わったところもある。

「父のころより私の代になってからのほうが量が増えていますね。多めに盛ってしまうんですよ、近眼なもので(笑)」

おどける中村さんだが、お客さんに喜んでほしい、この一心で、あえて量を十分にしている。

私としては余計な心配をしてしまう。繰り返しますが、お値段、良心的過ぎです。どうかどうか、これからも昭和の味を守るため、もう少し払わせてください!

かつ丼はみそ汁、自家製漬物が付いて1000円。

とんかつ あけぼの
住所:東京都千代田区有楽町2-10-1 東京交通会館B1 /営業時間:11:00~15:00ごろ※米がなくなり次第終了・17:30~20:00(土・祝は11:00~15:30)/定休日:日(土は不定)/アクセス:JR・地下鉄有楽町駅から徒歩2分

取材・文・撮影=フリート横田

フリート横田
文筆家、路地徘徊家
戦後~高度成長期の古老の昔話を求めて街を徘徊。昭和や盛り場にまつわるエッセイやコラムを雑誌やウェブメディアで連載。近著は『新宿をつくった男』(毎日新聞出版)。

【関連記事】

おすすめの記事

新着記事

  1. <失礼のないように>中学1年生、先輩から修学旅行のお土産をもらった!お返しはしたほうがいいの?

    ママスタセレクト
  2. 【熊本市中央区】10月新規オープン!800円前後で味わえるこれぞ台湾の味!【黒熊食堂】

    肥後ジャーナル
  3. 「隣の工事現場で事故か!?」 料理中に聞こえた〝爆発音〟――その真相に4.6万人がく然

    Jタウンネット
  4. 室内で快適!滋賀・東近江「つりぼり トム・ソーヤ」で金魚釣りを満喫!!

    WEBマガジン HEAT
  5. 【記者ノート】新潟アパタイトとWith Youが作る「エソ」の焼き干しが、『えそだしつゆ』と『えそのみそ汁の素』として製造販売(山崎醸造)を開始

    にいがた経済新聞
  6. こだわりの強いお義母さんにも褒められた、治一郎の「カットバウムクーヘン」

    おとりよせネット
  7. 【この白菜食べないまま冬終わるのヤバい!】「箸止まらん♡」「今夜のもう一品はこれで決まり!」レンジだけでマヨ玉白菜

    BuzzFeed Japan
  8. 猫を『抱っこの虜』にさせる方法3つ 心掛けるべきポイントからNG行為まで解説

    ねこちゃんホンポ
  9. ゴンチャ新作はテンション上がる“いちご”づくしの3種類!フィナンシェや季節の和紅茶も出るよ♪

    ウレぴあ総研
  10. 健康と美味しさを両立したドリンク専門店『WILLchá』が元町商店街内にオープン 神戸市

    Kiss PRESS