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掛布以来のスターを待つ!プロ野球における背番号31の選手たち

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(左から)ソフトバンク・栗原陵矢、阪神・ジェフリー・マルテ、ヤクルト・山崎晃大朗ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「31」

2020年各球団の背番号「31」は下記の選手が背負っている。

西武:佐藤龍世内野手
ソフトバンク:栗原陵矢捕手
楽天:福井優也投手
ロッテ:菅野剛士外野手
日本ハム:村田透投手
オリックス:太田椋内野手
巨人:畠世周投手
DeNA:柴田竜拓内野手
阪神:ジェフリー・マルテ内野手
広島:石原慶幸捕手
中日:渡辺勝外野手
ヤクルト:山崎晃大朗外野手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:3球団
捕手:2球団
内野手:4球団
外野手:3球団

投手、野手どちらの印象もある背番号「31」。2020年シーズンもポジションの偏りはなく投手、捕手、内野手、外野手が背負っている。

売り出し中のソフトバンク・栗原陵矢やオリックス・太田椋ら期待の若手からベテラン、外国人選手まで様々。長く背負っているのは広島の石原慶幸くらいだ。今後、背番号「31」の新たなスタープレーヤー誕生に期待したい。

「ミスタータイガース」掛布雅之

現役時代に「ミスタータイガース」と呼ばれた掛布雅之。背番号は入団当時から「31」だった。

1973年ドラフト6位で習志野高校から入団し、2年目からレギュラーを獲得すると、1979年には48本塁打で初のタイトルを獲得。その後も2度の本塁打王に輝くなど、生え抜きの長距離砲としてファンに愛された。また、阪神の4番として、巨人のエースで同学年の江川卓とは多くの名勝負を繰り広げた。

1988年の現役引退後は萩原誠、広澤克実、濱中おさむ、林威助が「31」を受け継いだが、2016年からは掛布二軍監督が28年ぶりに背番号「31」に袖を通した。

また、一軍監督に就任した金本知憲監督も自信の現役時代の背番号「6」を着用。一軍・二軍の両監督が、ともに現役時代の背番号を背負うこととなったことも話題を呼んだ。

就任から2年間で金本監督が掲げる「超変革」というスローガンのもとに若手を鍛え、一軍に多く選手を送り込んだ掛布二軍監督は2017年シーズンをもって退任した。「31」は2019年からジェフリー・マルテが背負っている。

日大出身、左投左打、小柄と共通点の多い真中満と山崎晃太朗

2015年から3年間ヤクルトの指揮を執り、2017年シーズン限りで退任した真中満元監督。現役時代の背番号は「31」だった。1992年ドラフト3位で日本大学からヤクルトに入団し、6年目のシーズンとなる1998年にレギュラーを獲得すると、翌1999年には打率.308をマーク。その後も青木宣親らが台頭するまでレギュラーを務めた。

また、2007年には日本記録となっているシーズン代打起用98回、31安打をマーク。代打の切り札としても活躍した。2008年限りで現役を引退後はコーチ、監督となり背番号は「77」に変更した。

背番号「31」は松元ユウイチへ受け継がれ、2016年からは山崎晃太朗が背負っている。山崎は真中元監督と同じく日大の出身で、左投げ左打ちの外野手と共通点は多い。また、170センチの真中と同様に173センチと小柄である。

真中元監督は2017年シーズン後半に山崎を1番・中堅として固定で起用し育成に務めた。山崎は背番号「31」の外野手として飛躍が期待される。

イチローも背負ったヤンキースの「31」

オリックスからメジャーへ活躍の場を移したイチローの背番号は、ほぼ一貫して「51」だった。ただ、ヤンキースでは、「51」ではなく「31」を着用した。ヤンキースのレジェンドの一人でもあるバーニー・ウィリアムスが「51」を着用していたからだ。

ヤンキースの「51」は2015年に永久欠番となっているが、イチローが移籍した2012年は空き番になっており、着用は可能だった。しかし、イチローは、ウィリアムスが背負っていた「51」を固持し「31」を選択。イチローが「51」以外の番号を背負ったのは、ヤンキース時代の「31」のみとなっている。

ヤンキースの「31」は多くの選手が着用している。その中でも歴史に名を残したのが、1981年から1990年途中まで在籍したデーブ・ウィンフィールドだ。

ウィンフィールドは、サンディエゴ・パドレスからヤンキースに移籍した1981年から1988年まで8年連続でオールスター出場。メジャーリーグ通算3110安打を放ち、野球殿堂入りも果たしている名選手だった。

野茂英雄とバッテリーを組んだマイク・ピアッツァ

メジャーリーグでイチローやウィンフィールドも着用していた背番号「31」。その他、日本でも馴染み深い選手が着用していた。ドジャースなどで活躍したマイク・ピアッツァだ。

ピアッツァは野茂英雄がドジャースへ移籍した際、正捕手としてバッテリーを組んだ選手でもある。その当時の背番号が「31」だった。

強打の捕手として知られ、計5チームで1912試合に出場して通算427本塁打。第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではイタリア代表としてもプレーした。

日本でCM出演も果たすなど、異例の人気を誇っていたピアッツァは、現役引退後の2016年にアメリカ野球殿堂入りも果たしている。

記事:SPAIA編集部

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