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野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その6①」

まるごと青森

野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その6①」

温泉とガニ汁

2024年2月17日(土)

「えんぶり」を観るため八戸に向かった。10数年前にも観てはいるのだが、ほかのイベントのついでといった具合だったので、独特の所作に深い印象を抱きながらも、その歴史や意味を知らないままになっていた。今年は初日である17日夕に開かれる「お庭えんぶり」の予約が取れたため、じっくり鑑賞するつもりでやって来た。

その日の午前中、目抜き通りで「一斉摺り」が始まった。34のえんぶり組が通りを埋め、それぞれの場所でそれぞれの摺り、つまり舞を披露する。装束、舞、歌、口上。どれも800年の歴史の中で練り上げられ、完成されたものだ。国の重要無形民俗文化財に指定されている。

その詳細については様々な媒体で紹介されているのでそちらに譲るが、特筆すべきは豊作祈願の祭りではあるけれど、願いがすでに叶い豊作になったこととして感謝する「予祝」の祭りであることだ。そこがほかの田植え舞とは違っている。そのことを地元のフリーライター、栗本千尋さんがビジット八戸に寄せた解説で初めて知った。

そして私は思う。昨夏、八戸三社大祭を沿道で観て、そのスケールの大きさと熱量の凄さに圧倒された。なのに2月の寒さの中、それと同じ場所で趣が全く異なる盛大な祭りが催されている。三社大祭に一体どれだけのエネルギーと時間を割いたのか。加えてえんぶり組の伝統を守るためにどれだけの汗を流してきたのか。

私は以前、「青森県は祭りの国だ」と書いた。それは津軽のねぶた、ねぷたに感動し、南部八戸の三社大祭に目を見張ったからだったのだが、こうして旧暦では春の、実際は厳寒の中で繰り広げられるえんぶりを眼前にすると、その思いがさらに増す。かがり火の前で披露されるお庭えんぶりへの期待が高まった。それまでには時間がある。よしカニを食べよう。土地の言葉だとガニか。

車で三戸町に行き「割烹白山(しらやま)」ののれんをくぐった。注文したのは「川蟹すいとん」。川蟹はシャンハイガニの近縁種、モクズガニのことだ。このカニを使った汁ものは各地にあり、私は何カ所かで口にしているが、すいとん仕立てのものは初めてだった。

汁の色からして味噌味かと思った。しかし「いえいえ味噌ではありません。醤油です」と店の女性は念を押す。

一口すする。色からは想像できないようなカニの風味が立ち上がる。すいとんを頬張る。また汁をすする。食べても食べても大ぶりの器からすいとんが湧いてくるようだ。目を凝らせば黄色のカニ味噌が砂金のようにきらきらと輝いている。

店の女性は言った。「甲羅が10センチほどのカニを3杯使っています。脚を外して味噌を取り出し、身を擦って裏ごしします。昔はどの家でも包丁でたたいてこしらえていましたが、この辺ではウチだけになりましたね」

東京の感覚だと、大盛りのうどんを食べた満足感。これで1210円だった。

八戸に戻る前にひと風呂浴びようということで、三戸町から新郷村を目指した。新郷村には「キリストの墓」を見るために行ったことがあるが、温泉は初めてだ。道はすべて山中を走っていて、ふと見れば道のそばの断崖の下に、雪に覆われた田畑がある。「ぽつんと一軒家」的な風景をいくつか過ぎたら、忽然と大きな建物が出現した。「新郷温泉館」だ。目指すのはその先で源泉があふれる野沢温泉。こちらはこじんまりした建物だが、中は高齢者で賑わっている。湯船に浸かった瞬間、羽二重の衣をまとったかのような湯の軟らかさに驚く。手のひらを立てて軽く湯を押すと波紋が静かに盛り上がり、ゆっくりと広がっていく。美しい。温泉成分が豊かなのだろう。入浴料は400円。

ロビーに戻って牛乳を飲む。傍らの男性が「前は温泉館の方に行っていたけど、こっちの方が温まるから、いまはずっとこっち」と言っても野沢温泉の営業は土日と水曜の3日だけ。それ以外の曜日は新郷温泉館に行くのだろう。

新郷温泉館をのぞいてみた。広々としたロビーの一角にミニコンビニ風の売店があった。菓子類は当然として地元メーカーのハムやソーセージを置いている。老眼鏡、腕時計まで売っている。

来た道はずっと除雪されていた。しかし野沢温泉のすぐ先で通行止めになっている。ということは温泉館と野沢温泉に来る人のために除雪しているわけだ。道すがらコンビニはなかった。スーパーの看板すら目にしなかった。近在の人々にとって温泉はただの温泉ではなく、唯一と言っていいような憩いと娯楽の場であるに違いない。誰かと世間話をし、知人の近況を知りたいと思ったら温泉に来るのが手っ取り早い。

八戸に戻ると街は暮れなずんでいた。お庭えんぶりの時間が迫っている。

野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。食文化研究家。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。

◇店舗情報◇

店舗名割烹白山住所 三戸町同心町古間木平39−1 電話  0179-22-2177 店舗名野沢温泉住所 新郷村西越温泉沢1 電話 0178-78-2079 営業時間 水曜、土曜、日曜日   9:00〜21:00

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