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25歳で感じた「違和感」。コンサルからFC今治へ転職移住した中島さんの軸足を定めない生き方

ソトコトオンライン

Profile:1990年大阪府生まれ。高校時代には1年間のカナダ留学を経験。上智大学に進学するも、退学してイギリスのYork St John Universityへ編入。卒業後は東京の経営コンサルティング会社「デロイトトーマツコンサルティング」へ就職。2015年からデロイトのコンサルタントとして「FC今治」に出向という形で参画し、愛媛県今治市に移住。2016年秋より、正式にFC今治の運営会社でもある「株式会社今治.夢スポーツ」に転職。現在はマーケティング部門を統括する執行役員を務める。J2昇格を目指すとともに、2023年竣工に向けた「里山スタジアム」建設にも力を注いでいる。

前職は東京・丸の内のコンサルタント。コンサルという肩書きを手放し、中島啓太さんが移住をして選んだのは、愛媛県今治市のサッカークラブ「FC今治」のチーム運営。きっかけは、元日本代表監督・岡田武史さんの理念に共感したからだ。東京での都会暮らしを手放すことに悩みはなかったのか、縁もゆかりもない今治に移住することに不安はなかったのか? 現在は「FC今治」で執行役員を務める中島さんに、移住と仕事についてたっぷりと話を聞いた。

中島さんは1990年大阪府生まれ。高校時代のカナダ留学を経て、大学はイギリスへ。2012年に日本に戻り、東京の外資系コンサルティング会社「デロイトトーマツコンサルティング」に入社。コンサルタントの道へ進んだそうだ。

_中島さん:「デロイトには2016年まで在籍していました。でも、デロイトの在籍期間の最後の1年間は今治に住んでいたんです。2015年7月末から2016年9月末までの1年間に出向コンサルタントとして、サッカーの元日本代表監督・岡田武史さんがオーナーになったFC今治の経営基盤整備のお手伝いをしていました。実際に今治に住んで、クラブ経営に参画しながら一緒に働くというスタイルを取っていたんです。デロイトの仕事って本当にいろいろあって、国内外のいろんな土地に出向して、取引先の仕事にジョインすることも多いんです。FC今治の仕事をする前は、ヨーロッパや大阪にいたこともありました。
2015年に今治にやって来るまでは、今治はおろか四国にも来たことがありませんでした。でも、個人的にはもともと旅が好きで、高校時代にカナダに留学して以降は毎年引っ越しを繰り返すようなライフスタイルを送っていたので、移住に対する抵抗感が人より少なかったのかもしれません。定住するという感覚は、そもそも高校2年からなくなっていたのかも。どこかに住むとか、自分の環境が変わるとか、今治に来たときにも大きなハードルを感じませんでした」

FC今治の事務所は、今治の里山エリアにある威風堂々とした古民家。中島さんを撮影したのは、日当たりの良い美しい木造廊下。仕事の合間に縁側や庭園でくつろぐスタッフも多く、屋内には茶室もある。

1年間の出向期間を経て2016年末にデロイトを退職し、正式に「FC今治」に転職したという中島さん。そこにはどういう経緯があったのだろうか? 

中島さん:「もともと、出向が決まる前の2014年の段階で、僕は岡田さんに『転職したい』と伝えていたんです。でも、新しい土地で新しいことを始めるにあたって『まだ何も決まっていないのに、雇ってくれとを言われても難しい先行きがどうなるか分からない中で君を引き抜くことはできない』とハッキリ言われていました。だからこそ、デロイトからの出向という立場で、まずは2015年から2016年にかけてFC今治に外部スタッフとして参画するというファーストステップを踏んだんです。僕がそもそもFC今治に転職しようと思ったきっかけは、岡田さんに対して『こんな素晴らしいリーダーと少しでも一緒に仕事をしてみたい』という憧れを抱いたから。

すべての始まりは2013年。僕が25歳のときに、当時のデロイトの社内講演会に岡田さんが来てくれたことにありました。僕は1990年生まれだったんですが、自分の中で社会に対しておかしいなと思う違和感が当時強くありました。岡田さんがそのときの講演会で発したメッセージが「そこから逃げるなよ」というもので、そのとき衝撃が走ったんです。

僕が感じていた違和感とは、困惑する社会と、目の前の平穏な環境との落差に対するものでした。
例えば、僕が生まれた90年にベルリンの壁が崩壊し、消費税が上がり、小学校2年のときに阪神淡路大震災が起こった。小学校高学年でNYのビルに飛行機が突っ込み、一方で日韓ワールドカップで世の中が盛り上がっていた。中学校になったときにロンドンの地下鉄が爆破される事件が起こり、高校のときに学校の朝礼で「君たちはこれから激動の時代を生きることになります。昨日、リーマンブラザーズという会社が破綻しました」と先生に言われた。大学になるとギリシャの財政破綻が起きて、アラブの春が起きたり、テロが世界で頻発したり……。幼い頃から「このまま世界ってどうなっていくのかな?」という漠然として不安があったんです。

一方で、目の前の生活は平穏に過ぎていっている。年金も払っているけど、将来おそらく払った額はもらえない。そもそも破綻するんじゃないかとも言われているけど、今自分の目の前の生活は平和に暮らせている。これって自分の中で、ものすごく違和感があって。どうやって生きていくべきだろうかと悩んでいました。

そのときに岡田さんが講演会に来て「3.11でみんな気付いたはずだ。本当に大事なものを。だけど、あんなこともあったねで終わらせたらいけない。あの時に何かしなくちゃいけないと感じたことを忘れてはいけないと。目を逸らせたらいけない」と。それを聞いて、これだ! と。自分が漠然と目の前のことから目を逸らせていたのを、そうじゃないんだと言われた気がした。素晴らしい方だなと思ったんです。

自分には大きな夢があったわけではないけれど、そういうリーダーと一緒に過ごすことで、少しでも人の役に立てる人間になれるんじゃないかなと思いました。そういう思いがあって、一緒に働きたいなと思ったんです。それが2013年でした。そのあと2014年に岡田さんがFC今治のオーナーになり、デロイトがトップパートナーになった。その後、デロイトでの出向期間を経て、2016年にFC今治に正式に転職した時点では、自分の中では『やっと』という感じでした」

FC今治事務所内には、岡田会長による「次世代のため物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する」という経営理念が掲げられている。


FC今治に正式にジョインして、夢を着実に叶えていった中島さん。移住というと大きな選択肢に思えるが、移住に際して事前に準備したことはあったのだろうか?

中島さん:「僕は移住したくてしたというより、やってみたい仕事がそこにあったから来た、という方がしっくりきます。なので、正直準備も何もしていなかった(笑)。まず「その仕事にありつけるのか」というのを1番に考えていたので、身の回りのことは一切していなかったんですよ。だから移住当時はほぼ身ひとつで来て、家と車をまず探すところからのスタート。FC今治の地元のパートナー企業の不動産屋さんにお願いして、お家を一緒に探してもらったり、地域の人に助けていただきましたしました。なので、十分に準備できていなくても移住ってできるんだなというのが実感でした。もともと、バッグひとつでいろんなところに行っていたので、移住にハードルを感じることはありませんでした」。

実際に今治にやってきて、環境面でイメージと違ったことやカルチャーショックはなかったのだろうか?

中島さん:「2015年に初めて今治に降り立ったとき、駅のロータリーに人が歩いていなかった。そんなことって経験したことがなかったので「岡田さん、新しいチャレンジを地方でやるとおっしゃっていて、自分も感化されてきたけれど、本当にここでやるのか?」という驚きはありました。そのときの第一印象としては、今治は寂れているなという感じは確かにあった。でも2015年に何もなかったところから、FC今治の活動を通して感動が生まれていったんです。その感動に携われたことは大きな財産となりました。

実際に住んでみたら、今治という町は景色も綺麗だし、人も温かい。海も近いし山も近いし、しまなみ海道にはたくさんの魅力的な島がある。僕はこの自然環境がとても好きだし、これからもっと、ここに眠っている資産価値が掘り起こされていくんじゃないかと思っています。FC今治は『株式会社今治.夢スポーツ』という会社が運営しているJ3のサッカーチームですが、会社の理念は『次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する』というものなんです。今治ではきっと、心の豊かさが大切にされている町になっていくのかなという感覚があり、その未来にワクワクしています」。

こけら落としでは5000人を収容して満席となり話題を呼んだ、FC今治のホームスタジアム「ありがとうサービス.夢スタジアム」。

移住後に壁にぶち当たることはなかったのだろうか?

中島さん 「個人もそうですが、チームとして壁にぶつかったことも何度もあります。まず2015年当時は、正直いうと地元の人にあまり相手にされていなかった(笑)。『岡ちゃんと一緒に他所から来てるけど、ちょっとやって今治に飽きたらどうせすぐ帰るんやろ。ずっといないんやろ』と思われていました。

そんなあるとき、事務所で夜中まで喧々諤々と『どうやったらお客さんが来てくれるのか』と話し合っていたら、岡田さんがフラッと来て『そういえば、君たちは今治で一緒に飲みに行くような友達はいるんか?』と聞かれた。そのとき『確かにいないかも』と気付いたんです。そこから、みんな自分たちから今治の町に繰り出すようになった。僕も、地元のフットサルチームに入ったり。そのときを境に、徐々に人とのつながりができるようなったんです。チームとして認めてもらうという前の段階ですよね。まずは自分たちがみんなのことを知る、輪の中に入るという当たり前のことができていなかった。そこをまず変えていって、2017年に待望のスタジアムができてからは町の空気もガラッと変わったと思います。岡田さんたちはどうやら本気だぞ、と町の人たちも感じてくれたのかもしれません。実際にスタジアムのこけら落としの試合を5241名の満員御礼で迎えられたことも大きかったです。2020年からは念願のJリーグクラブの仲間入りできて、今治の街でJリーグが観られるようになった。それでだいぶみんな認めてくれるようになってきました。今では『うちの子どもがファンなんです』『週末にスタジアムに行ってきました』とたくさんの方に言ってもらえるようになりました。ここにきてやっとです。2015年は100社に満たなかったパートナー企業の数も、今では300を超える企業に応援いただけるようになりました」

スタジアムには楽しそうな子どもたちの姿が溢れる。サッカー観戦だけでなく、ファミリー向けの体験型イベントも多く開催されているのがFC今治ホーム戦の特徴。

仕事の仕方は、東京にいた頃と今治に引っ越してきたあとで、変わったことはあったのだろうか?

中島さん 「僕の場合は職種自体が大きく変わったので比較はなかなかできないんですが、町の人と関わり合いながら仕事を進めるというのは、大きく変わった点です。オフィスにいるんだったら、できるだけ外に出て行って人に会ったり、会った方をスタジアムにご案内したり。人との繋がりやネットワークを大切にするようになった。前の仕事はオフィスの中にこもって、対会社でやる仕事が多かったんです。人との繋がりというよりは業務の繋がり。今の仕事は、人との繋がりがまずあって、それが仕事になったり業務になったりする。物の繋がりよりも人との繋がりという、会社の理念にもマッチしています。受発注の関係だけでなく、夢に共感してもらう仕事なので、自分の意識や行動も変わりました。
世界的にもリモートワークが増えてきたので、これから世の中がさらにフレキシブルな関係になっていくのではないかなと思っています。うちの会社も今はリモートワークをやっていて、僕もほとんどオフィスに来ていないんですよ。家の中ではもちろん、たまにアースランド(=「今治.夢スポーツ」が管理する公園)で仕事をしたり、近くの離島・大三島のファミリーマートのイートインスペースで仕事したり。ここはWi-Fiも飛んでいるし、海も見えるしで、日本一環境のいいコンビニなんじゃないかと思っているんです(笑)。
昔はもっとドライな関係で仕事をしていましたが、今は仕事とプライベートの境目が曖昧になっています。混ざるということを受け入れるというのが、ある意味ローカルで仕事をするときの心構えなのではと思うようになりました。まずは人に信用してもらえるかどうか、その結果、お金はあとからついてくるものだと意識も変わりました。

プライベートではカメラをはじめたという中島さん。車で15分ほどで近くの海にも行けるのが今治ローカルライフの醍醐味。

移住したことで、人生の満足度は変わった?

中島さん 「自然環境が身近になったということに尽きるでしょうか。今までは自然に触れるのは旅行に行くときぐらいで、ここまで日常的に自然に触れることはなかった。今だったら15分ほど車を走らせたら海や山、温泉まで行ける。もともとは仕事一辺倒だったけど、引っ越してから『生きる』ということに貪欲になった気がします。『本当にオフィスにこもって仕事をするだけでいいのか? もっと友だちと海にバーベキューに行ったり、余暇を大切にするほうが心の底では求めていることじゃないか』と思うように。そうそう、最近、カメラもはじめたんです。海や島、緑の多い公園などに行って写真を撮るようになりました。『自然に身を浸す』ということに対して貪欲になったように思います」。

今治ライフをたっぷり楽しんでいる中島さん。東京に戻りたいと思うことはないのだろうか?

中島さん 「東京にはたまに行けたらいいかな、と思うぐらい。というより、僕が今までやってきたのは、軸足を定めない生き方。どこの環境も楽しめる心構えやライフスタイルがマッチしているのかもしれません。例えば東京には行きたいときに行けるし、同じように北海道にも行きたいときに行ける……というようなフレキシブルなスタイルが理想です。

僕はUターンとかIターンとかいう言葉が苦手なんです。ターンというと後ろ向きというか、戻ってくるという印象が強い。そうではなくて、みんなが好きなところに住んだり存在している、というのがいいかなと思います。これから、もっと時代は変わってくるんじゃないでしょうか? 会社にさえ、行かなくてもいい時代になるんじゃないかな? 今はコロナという課題があるからこそ、チャンスでもある。コロナが免罪符じゃないけれど、今まではお客さんのところに直接行かなくちゃいけなかったけれど、それが電話会議に切り替わったこともある。これから、もっと移住のハードルも下がっていくと思います。

うちのアドバイザリーボードをしてくれている『サイボウズ』の青野社長からお話を聞いていたら、今はほとんどの職員の方がリモートワークなのだそう。出勤かテレワークかを選べるようにしたら、どんどんみんな移住をしはじめたそうです。軽井沢に移住したり、九州に移住したり。キャンピングカーで縦断しながらリモートする人もいるそうで! 青野社長とは『これからそういう人がどんどん出てくるんじゃないかな?』と話しているんですよ」。

移住前はオフィスでのデスクワークがメインだったが、今では例えば、公園の植栽も仕事の一部になったり(!)と、バリエーション豊かなライフスタイルを満喫している中島さん。

中島さんの移住ライフについて、これからどのように暮らしていきたいかという展望はあるのだろうか?

中島さん 「FC今治でいうと、次の大きな目標は2023年。J2やJ1で戦えるための、今よりも大きなスタジアム『里山スタジアム』の竣工を目指しています。そこはサッカーのスタジアムというよりも、人と人とが集まって心の拠り所になるような場所。人間が生活の根幹として大事にしていきたい、笑顔になって心が豊かになれる居場所を作りたいなと思っています。それがあるから今治に遊びに来てくれるような場所になれたら。
個人としては、今以上にもっとローカルライフを満喫したいなと思っています。まだ仕事に比重があるので、例えば家を買って庭作りをしてみたり、友達とバーベキューができるような場所を持ってみたいな。仕事もプライベートも含めて、根幹にあるのは、いろんな人と出会ったり集まれる場所を作りたい。人と人の心を通わせるような、そういう人生を歩みたいというのが、今治移住を通じて学んだことでもありますね」。

 

取材・文/村上亜耶 写真提供/FC今治、宮田雅生

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