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【追悼】山田太一さん(89)が本誌に遺した言葉、「岸辺のアルバム」は八千草薫さんでなければだめだった…と、その舞台裏を明かしていました

コモレバWEB

【追悼】山田太一さん(89)が本誌に遺した言葉、「岸辺のアルバム」は八千草薫さんでなければだめだった…と、その舞台裏を明かしていました

12月1日朝、山田太一さんの訃報に接し、かつてご健筆を揮っていただいた本誌にとっては深い悲しみとともにただただご冥福をお祈りするばかりです。享年89。
「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「早春スケッチブック」「ふぞろいの林檎たち」などテレビ史に残る数々の名作ドラマを手がけられ多くの賞を受賞されました。小説家としても活躍され、「異人たちとの夏」は、イギリス映画『All of us Strangers』として2024年春に公開予定だそうです。
2013年10月、雑誌¿Como le va?の八千草薫さんとともに表紙を飾っていただきました。「岸辺のアルバム」で八千草さんに出演交渉するものの初めは断られ、山田さんは冷や汗だった、と述懐しています。2011年4月には本誌の名物コラム「私の生前整理」を執筆、「別れたくない」と題した珠玉のエッセイでした。コモレバWEBマガジン編集部は、アーカイブファイルにて再録し哀悼の意を表したいと存じます。

2013年10月1日号 PERSON IN STYLE《美しいとき》より

八千草薫という女優を思うとき、チャーミングという言葉が浮かびます。
人生の年輪を重ね、その年齢それぞれの美しさを感じさせてくれる人。
八千草さんのようなキャリアをもつ女優が、若いころ同様に現在も年に数本の映画やドラマに出演しているのは驚異的です。
おそらくその時代時代の八千草薫さんのたたずまいに多くのクリエーターたちの創作力がくすぐられるのでしょう。
11月16日(2013年)には主演映画『くじけないで』が公開されます。
脚本家の山田太一さんはドラマ「岸辺のアルバム」以来八千草さんとは36年というおつきあいで、数々の名作を生み出した仲。
八千草さんとの思い出の作品を紐解きながら山田太一さんならではの「女優・八千草薫」論を披露していただきました

誰も八千草さんにはなれない

文=山田太一

 学生のころ何人かでごろごろとしゃべっていて、趣味が悪いといわれたことがある。
「一番は、なんといったって、八千草薫だろ」といったのである。敬称略です。一ファンでした。
「あんな清純派のどこがいいんだ」と鼻で嗤われた。他の奴も「うん」「うん」と同調したので、くらくらした。
「そんなのお前らの気取りだよ。あんな綺麗な人を評価しないなんて、大人ぶろうとして無理してるんだ」といった。本気でそう思った。
 別の時、別の友人についその時の無念を愚痴ると、その友人は「いいよな、八千草薫、あの唇、あのおでこ」ととろけるような目になったので、二人で盛り上がって、「触りたいよなあ」「皮膚じゃなくていいから」「ブラウスの袖とか」「スカートの端とか」と讃嘆して平(ひれ)伏したいような気持になったのだった。
 その友人が寺山修司で、それから二十年ほどして、自作の映画『田園に死す』で彼なりのマドンナとして遇し、八千草さんへのオマージュを果たしたのだった。
 羨ましかった。そのころ私はテレビドラマのライターになっていたが、まだ八千草さんをチラリと見ることもできずにいた。いや、それは少し卑下しすぎかもしれない。望めば自作に出ていただけたかもしれないのだが、憧れの人なので、こんな役では勿体ない、こんな役では失礼だろうとひるんでいたのだった。
 すると同年輩の倉本聰さんが「うちのホンカン」という、すばらしいドラマを八千草さんで書いたのだった。北海道の小さな町の駐在所の巡査が大滝秀治さんで、その奥さんが八千草さんである。ハキハキして労を惜しまない見事な美しい女っぷりだった。
 さて、もうこれ以上待っていられない。 
 そこでお願いしたのが「岸辺のアルバム」だった。断られてしまった。すぐ会っていただいた。渋谷のホテルのコーヒーショップだった。目の前で八千草さんと話をしているのだから、達成感でもう満足でした、といいたいところだが、断られてはそうもいかない。ほとんど一方的に私がしゃべりまくって、呆れたように聞いてらして、最後にとうとう引受けて下さった。
 あとになれば、そのプロセスもよかったと思う。要約すればそのドラマは「不倫をする人妻の話」なのだから、こっちが勝手に「でもよくあるドラマとは違う」と思っていても、八千草さんには通じようがない。ためらいは当然だったと思う。

 それから三十六年がたった今でも、時折どこかのメディアが思い出してくれるドラマを一緒につくれたことは私の大きな喜びであり誇りでもある。
 そのあとは図に乗って、いくつもの作品をお願いすることになった。はじめて芝居の脚本を書くことになった時も八千草さんにすがった。これが『ラブ』というスワッピングの話で、しかし自分では「よくあるやつ」とは全然違うと思っていて、もし断られたらしゃべりまくろうと身構えていたが、なにもおっしゃらずに引受けて下さった。大当りで再演もあり、全国を回っていただいた。
 別の芝居の時だったが、初日の幕が揚がる寸前の袖で八千草さんに出会ってしまったことがある。そんな時に用もないの脚本家が舞台裏をウロウロしているのは普通ではないが、なにか今更手後れでしかない事で情緒不安定になっていたのかもしれない。
 突然、ポツンと八千草さんが立ってらした。
 幕あき寸前だから、スタッフや他のキャストもいたはずだが、私にはポツンと一人でいらしたというイメージが消えない。

「あ」と私は急に間近の八千草さんに気がついて、「初日って、ほんと、ドキドキしますね」といった。
「ほんと、ドキドキするわね」

 それだけで私はもう客席(いつも自作は一番後ろで見ることにしていた)に急いでいた。急ぎながら、ちっともドキドキしていない八千草さんに感嘆していた。いや、ドキドキしていないのではない、初日の主役がしていないわけはないだろうが、そんな不安や心配は当然のことと飼いならして、むしろ演技の助けに変えてらっしゃるのだと感じた。ヴェテランなのだ。なにしろ宝塚からである。

「ほんとドキドキするわね」と穏やかに私に合わせてくれたけど、そのドキドキは、私如きのドキドキとは、厚みがちがうのだった。ポツンと立っていらしたけれど、そのポツンは当然ながら新人のポツンではなく、歳月を重ね、多くの経験や感情をぎっしり秘めた上でのポツンで、その何気ない静けさに、じわりと成熟を感じた。なにしろ、もうすぐ幕が揚がり、勝負に出る寸前だったのである。肝が据わっているなあ、とたちまち劇中の人になってライトを浴びた八千草さんを見ながら感嘆していた。

 昔、高峰秀子さんがいってらしたのを思い出す。文章か発言かは忘れたが、いわゆる分かりやすい美人ではない杉村春子さんだと名演技とほめられるところが、自分はスターになってしまった美人なもので、同じくらいの演技をしてもなかなかうまいといってもらえないという嘆きだった。思い切ったことをいうものだと気持がよかった。
 八千草さんにもそういうところがあると思う。「演技派」などという言葉で飾られることは少ないのではないだろうか。しかし、実際はまぎれもない演技派で、たとえば地人会公演の翻訳劇『階段の上の暗闇』『花咲くチェリー』など、美女であることは損かもしれない舞台での輝きも忘れられない。

 強い人だと思う。
 かつて、犬と長々と暮している喜びを書いたエッセイで、本当は馬と、更にライオンや狼の子どもと暮せたら嬉しいけど、現実には無理だから大型犬にしているということだった。猫は一言も出て来ない。胸を張って背筋をのばして御自分を維持してらっしゃるんだと思う。

「いちばん綺麗なとき」というドラマを八千草さんで書いたことがある。今から十四年ほど前のことだ。八千草さんは六十代でいらした。何人かの人から茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」というタイトルの盗用ではないかといわれたが、無論そんなことはない。茨木さんからなにかいわれたというのでもない。茨木さんの御作は御自分の若かったころ、たぶん十代から二十代にかけての御自分とその時代を主題にした作品で、私のは八千草さんの(そして加藤治子さんの)六十代の現在を描いたもので、昔は綺麗だったという話ではない。その六十代が、いちばん綺麗なのではないかという話だった。若さの愚かさも、情念の荒々しさも鎮(しず)まり、人の悲しみも身勝手も分り、それでも尚、新しい他者との結びつきを諦めない静かな物語を書いてみたかった。

 その美しさは十代二十代の美しさのように分りやすくピカピカではないが、感じようによっては、人生でいちばん美しいころといえるのではないか、とまだ枯れていない老境を描こうとしたものだった。それにしても、こんな強引な思い込みをドラマにしようとしたのは、八千草さんの美しさがあってこそだった。
 十代二十代だけ美しいなんて世を偽(いつわ)るものだといったことがある。自分を棚に上げてよくそんなことをいえたもんだとはずかしいが、私を含めて多くの人々のそのような変化のなかで、八千草さんは会うたびに美しい。変わらないというのではない。その齢その齢を自然に受けとめて変ってらっしゃるのだが、ジタバタしていないのがいいのだろう。

 先日も久しぶりでお目にかかったら、九十八歳で第一詩集を出した柴田トヨさんの映画で、その人を演じて来たばかりとのことだった。
「それは、かなり相当老けなければなりませんね」というと「そうなの。分からなくて」とからりと笑ってらした。

 清純派? ああ、そうかもしれないなあ、と今となって納得するような気持が湧く。人間のあるべき水平を、みんなのために維持してくれているような──とてもとても代りがいない人なのである。

八千草薫
女優。大阪府出身。1947年に宝塚歌劇団入団。51年『宝塚婦人』で映画デビュー。以後、映画、『宮本武蔵』『蝶々夫人』『男はつらいよ 寅次郎夢枕』『田園に死す』『阿修羅のごとく』から最近の『ディア・ドクター』『日輪の遺産』『ツナグ』『舟を編む』、舞台『二十四の瞳』『細雪』『女系家族』『華岡青洲の妻』『黄昏』『早春スケッチブック』、ドラマ「銭形平次」「うちのホンカン」「前略おふくろ様Ⅱ」「岸辺のアルバム」「阿修羅のごとく」「ちょっとマイウェイ」「茜さんのお弁当」「あめりか物語」「シャツの店」「拝啓、父上様」「ありふれた奇跡」、最近では「歸國」「テンペスト」「最高の離婚」「母。わが子へ」と現在にいたるまで常に第一線で活躍を続ける。菊田一夫演劇賞、テレビ大賞優秀個人賞など多くの受賞歴があるが、21世紀になっても多くの映画賞に輝いているのは現代を代表する女優の証だろう。97年紫綬褒章受章、03年旭日小綬章受章。 ‎2019年10月24日逝去、享年88。

山田太一
脚本家、作家。1934年東京浅草生まれ。58年早稲田大学国文学科卒業後、松竹大船撮影所演出部に勤務。木下惠介監督の助監督を経て、65年フリーの脚本家となりテレビ史に残る数々の作品を手がける。「3人家族」「藍より青く」「それぞれの秋」(テレビ大賞)「岸辺のアルバム」「沿線地図」「あめりか物語」「獅子の時代」「想い出づくり」「男たちの旅路」「ながらえば」「(以上2作で芸術選奨文部科学大臣賞)「夕暮れて」「ふぞろいの林檎たち」「日本の面影」(向田邦子賞)「シャツの店」「ありふれた奇跡」などドラマの他、舞台でも『ラブ』『黄金色の夕暮』など話題作がある。山本周五郎賞受賞の小説『異人たちとの夏』の他多数の著書がある。85年菊池寛賞、92年毎日芸術賞他受章歴多数。

2011年4月1日号 「私の生前整理」より

別れたくない

文=山田太一

書庫という贅沢が重く……

 自分のこととは思いたくないが、人に残して喜ばれるような物はなにも持っていない。大切なものはいくらかあるが、それは思い出の品で、その記憶と縁のない人には意味がない。

 だから、死後に厄介をかけまいと周囲を見回すと、いつの間にかたまったアルバムをはじめとして、ほとんどすべてを処分しておいた方がいいような気持になってしまう。

 とはいえまだ生きてもいるので、そうさっぱりともいかない。いや、さっぱりどころか実はどすんと重く整理できないままでいるものがある。

 女である。ではなかった。本である。

 私は人生で一回だけ贅沢をした。家を建てた時、地下に書庫をつくったのである。

 図書館にあるような、ハンドルを回すとステンレスの書棚がレールで移動するという書庫である。これが重荷になろうとしている。

 いや正確には、私には少しも重荷ではないのだが、ほとんど愛しているといってもいいのだが、生きる上では面倒になっている。

 三人の子どももとうに独立し、妻と二人になって共に七十歳を越えてしまった。それでもまだなんとか元気だから、体力のあるうちに暮しを縮小して、便利なマンションに入った方がいいのではないかと妻もいうし、私もその方がきっといい筈だと思うのだが、書庫と別れたくないのだ。

生前整理は蔵書との別れから

 インターネットの時代に自宅に本の山をかかえているのはまったく時代おくれなのだが、必要ならネットで検索すればいい。図書館へ行けばいいという合理性にぐずぐず適応できないでいる。

 たとえば天野忠のある詩を読み返してみたいと思う。ルナールの日記のどこでもいいからパラパラと読んでみたくなる。正宗白鳥のフランス紀行のフローベールの家を捜すあたりとか。仕事ではないから手元になければ思っただけで終ってしまう。ネットで捜すとか図書館へ行くというのでは大げさすぎる。

 そういう読書の愉しみは、長年本を親しんだ歳月があって、その本が手元にあればこその老人の喜びである。

 だったらそういう本だけ残してあとは処分すればいいといわれるが、その区分けが悩ましいのが道楽のつらいところである。

 それでも思い切って図書館に寄附しようとしたことがあったが、収納が限界で寄附は受けないといわれた。古本屋も、こんなのは売れないとかいって、いくらも買ってくれないので嫌になった。価値は問わずに買う方針の本屋にかなり売ったが、あまりに値打ちの評価がないので痛ましくも売れなくなってしまった。

 生前整理は、他にもいろいろすべきことがあるのは分かっているが、目前の大仕事は本との別れである。私のように人生の楽しみを日々本から得ているタイプの人間にとっては、酸素と別れるような思いだったが、これは別れなければいけないと、ほぼ心に決めてある。

やまだ たいち
脚本家、作家。1934年東京・浅草生まれ。58年早稲田大学国文学科卒業後、松竹大船撮影所演出部に勤務。木下恵介氏の助監督を経て、65年フリーの脚本家となり現在に至る。ドラマ「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」「獅子の時代」「遠まわりの雨」、舞台「ラブ」「早春スケッチブック」など多数の話題作を手掛ける。82年「ながらえば」「男たちの旅路」で芸術選奨文部大臣賞、88年小説『異人たちとの夏』で山本周五郎賞受賞。著書に『丘の上の向日葵』(新潮文庫)『これからの生き方、死に方』(講談社)『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』(PHP研究)など多数。

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