〈冬季五輪企画2〉大正時代の「スキー美人」 袴やスカート姿の最新ファッション
オーストリア・ハンガリー帝国の軍人、レルヒ少佐が新潟県上越市高田で日本で初めてスキー技術を教えたのが1911年(明治44年)1月12日。この日に歩兵第58連隊の営庭を利用し鶴見宜信大尉ら14人に技術を伝授したことが、日本での本格的なスキー普及の第一歩となった。
《画像:高田にスキーを伝えたレルヒ少佐(小熊和助撮影)》
女性がスキーをするなど考えられない時代
同市のレルヒの会が編纂した『日本スキー・ほんとうの源流』によると、2日後に開かれた第2回講習会には、教員ら33人が参加し、そのうち女性が3人参加したという。同著は「パンティーも着用していない時代に、女性がスキーを嗜(たしな)むことなど考えられないことでした」と書く。長岡外史高田師団長は「だからこそ、女性がスキーを始めれば、一層普及する」と考え、女性がスキーをするように仕向けた。
《画像:女性のスキーを奨励した長岡外史髙田師団長(旧師団長官舎の胸像)》
わら靴を履いてスキー
高田高等女学校は最も早く体操の授業にスキーを取り入れた学校の一つだった。当初は竹割りスキーを使っていたが、1912年(明治45年)1月に30台のスキーを購入した。わら靴を履いてスキーを付け、青竹を金剛つえのように使って、庭の練習場で体操の時間に実施した。
《画像:当時の最新ファッションで滑る「スキー美人」》
高田芸者もスキーを練習
長岡外史高田師団長の方針で民間講習会には、学校の女教師や将校夫人らも参加した。女性はスキーのときも和服で、はかま姿で滑った。「高田芸者もスキーができなくては」と、置屋の主人らは雪で斜面を作って練習させたという。また、相馬御風の作詞や中山晋平の作曲により、スキー用語を織り込んだ歌詞や、競技の様子を表現した軽快なメロディーが特徴のスキー民謡が多く作られ、芸者衆がお座敷で歌うなどして親しまれた。スキー民謡は「雪のお山で」「さらさらと」「高田スキー音頭」「スキー小唄」など、多数あった。
《画像:スキーを練習したと思われる高田芸者衆》
「スキー美人」は最新ファッションだった
スキーは大正初期から一般に広がり、スキーを楽しむ女性の写真を印刷した絵はがきが「スキー美人」と称して販売された。注目されるのは彼女たちのファッション。ニット服やジャケットを着て、スカートの下にタイツをはき、マフラーや帽子でアクセントを付けた「スキー美人」は、当時最新のファッションだった。
《画像:当時の最新ファッションで滑る「スキー美人」》