リニューアル工事中に「発掘」? 大阪環状線 玉造駅にかつてあった貨物駅の痕跡を辿る!
取材日:2024.11.3(特記以外)
text & photo:福島鷺栖
大阪の通勤輸送を支えるJR大阪環状線。鉄道を見に大阪へ行くなら一度は乗っておきたい路線の一つですよね。近年は駅も大きくリニューアルされ、昔ながらの高架駅から近代的な駅に生まれ変わった駅も多くあります。今回は、そんなリニューアルされた駅のうちの一つである玉造駅にスポットを当てていきたいと思います。
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玉造駅の全景。昔ながらの高架駅ではあるが内装は明るいものにリニューアルされている。
■リニューアル工事中に「発掘」された柱
玉造駅は上町台地の東側に位置する駅で、近くには学校も多い上に、真田丸跡など旧跡も多数ある地域となっています。そんな玉造駅がリニューアルされたのは2019年のことでした。リニューアル後は商業施設が入り、明るい駅として生まれ変わりました。その工事中に我々レイル・ファンにとって非常に興味深いものが見られました。それがこちら。
▲別の柱の角には「長岡操」や「東金沢」が記載されている。
‘19.1.10 玉造駅構内
玉造駅のリニューアル工事中に化粧板を外した際に露出した柱の写真です。駅名のような地名が読み取れます。これはいったい何の表記なのでしょうか。
この柱に記載された駅名を見ただけで詳しい方ならわかるかと思いますが、これらの駅名は旅客駅ではなく、貨物駅の名前になります。では、なぜ通勤電車しか来ない駅に貨物駅の駅名が標記されていたのでしょうか。
■昔の地図で貨物駅の痕跡を見る
▲左側が1945~1950年の空中写真。右側が現在の地図。
出典:国土地理院撮影の空中写真(1948年撮影)と国土地理院発行2.5万分1地形図を加工して作成
上の地図を見ると、玉造駅の西側(地図の左側)にアーモンドのような形の土地が見えます。この土地こそ玉造駅の貨物設備でした。アーモンドのようにに膨らんでいるのは南側に機回し線を設けていたためと考えられます。なお、玉造駅の旅客駅は1932(昭和7)年に高架化されましたが、貨物駅は地上のままとされていました。貨物駅へは現在の大阪城公園~森ノ宮に設けられた猫間信号場から分岐した貨物線で接続しており、市電との平面交差も見られたそうです。また、この貨物線は戦時中には現在の大阪城公園一帯にあった軍需工場である「大阪砲兵工廠」へもつながっていたそうです。また、航空写真を拡大すると改札口が現在と異なる駅の南側にもうけられていることもわかりました。つまり北側は旅客用の設備として使用していなかったので、柱に貨物駅の表記が残っていたのではないでしょうか。
それでは実際に駅の周りを歩いて、貨物駅の痕跡を探していきたいと思います。
■土地の形に残る貨物駅跡
玉造駅の西側からぐるっと回る形で玉造駅を見ていきましょう。土地の形が今でもここに貨物駅があったことを伝えてくれています。
▲玉造駅の西側を南に向かって望む。道路が膨らんでいるのがわかる。
▲貨物駅跡にはJR西日本の変電所も建てられている。
▲貨物駅跡の土地が南に行くほど狭まっているのがわかる。
▲駅の東側に回ると高架下の敷地が一段上がっているのがわかる。おそらく貨物駅跡の名残と思われる。
▲バラストのような石が見られた。当時のものかは不明ではあるものの鉄道用地であることがわかる。
今となっては目立った痕跡はほぼなくなってしまいましたが、土地の形を実際に歩いたりすることで、当時の様子を少しでも感じることが出来るのではないでしょうか。ちなみに、玉造貨物駅は1961年に廃止となりましたが、1970年代まではコンテナ基地として活用されていたようです。
大阪の下町を支えたかつての貨物輸送の名残を感じてみてはいかがでしょうか。
▲玉造駅の新しい名所。大阪環状線を走った103系を模したビル。