「元気なら学校に行けばいいじゃん!」姉の不登校で壊れていった妹の本音
18歳と16歳の女の子を子育て中のママ(48歳)です。
【画像を見る➡】新たな選択肢【学びの多様化学校】はフリースクールと何が違う?子育てをしていると、予期せぬ壁にぶつかることがあります。わが家にとって最大の転機がやってきたのは、数年前。当時中学生だった長女の不登校でした。
親として長女を必死に支える日々のなかで、私は大切なことを見落としてしまいました。それは、2歳下の次女の存在。これは不登校になった姉の陰で、限界を迎えてしまった次女の視点から見た、ある夏休みの記録です。
※本記事はママの実体験を取材し、プライバシーに配慮して構成したものです。
姉は私にとってのスーパーマン
私は13歳の中学1年生です。私には2歳上の姉がいます。明るくて、誰にでも優しい姉は私の自慢の存在でした。勉強を教えてくれたり、困ったときには一番に味方になってくれたり。夜お互い部屋を行き来し、その日あったことをおしゃべりをする時間が、私は何よりも大好きでした。
幼い私の目には、姉は「なんでもできるスーパーマン」のように映っていました。「私もお姉ちゃんみたいになりたい!」と、髪型や服装、持ち物など、いつも姉をまねしていました。
学校で嫌なことがあっても、姉が「○○なら大丈夫だよ。私がついてるからね」と励ましてくれる。姉がいてくれることで、私はいつも安心して過ごせていたのです。
しかし、姉が中学校に進学してしばらく経ったころ、突然学校へ行けなくなりました。それまで穏やかだった家の中の空気は一変。お父さんもお母さんも、姉の顔色をうかがい、リビングには緊張感が漂うようになりました。
私さえ我慢すれば…
次第に学校を休む日が増え、リビングにも姿を現さなくなっていった姉。母は、そんな姉のことで頭がいっぱいのようで、何か思い悩んでは、ため息をつくことが増えていきました。
ある日、リビングにいた私に母が「あなたは本当に手がかからなくて助かるわ」と声を掛けてきました。毎日、姉のことで心をすり減らしているように見える母。元気そうな私の姿に、ちょっとホッとしたのかもしれません。でも私は、静かに頷くことしかできませんでした。
本当はそのころ、私は学校の友だち関係で悩んでいました。でも「あなたは手がかからなくて助かる」と母から言われてしまったことで、話を切り出すタイミングを失ってしまったのです。
不登校になった姉に比べれば、私の悩みなんてちっぽけなもの。娘の不登校に心を痛めている父や母に、私のことでこれ以上心配をかけてはいけない。徐々に、私は自分の気持ちにフタをするようになったのです。
「最近学校はどう?」と聞かれても、「大丈夫!」と笑顔でこたえる。母に何かお願いしたいことがあっても「今は、やめておこう」と言葉を飲み込む。気づけば私は、自分の気持ちよりも「家族の空気を読むこと」を優先するようになっていったのです。
お父さんもお母さんもお姉ちゃんのことばっかり…
イラスト:べるこ
家族で食卓を囲んでも、話題の中心は決まって姉のことでした。
「今日はご飯を食べられた?」「明日は学校へ行けそう?」──そんな会話が毎日のように続き、私が学校での出来事を話すタイミングは、いつの間にかなくなっていました。
「今日ね、学校でね……」
そう言いかけても、母が姉の部屋へ向かう姿を見ると、「また今度でいいか」と飲み込んでしまうのです。
授業参観や学校行事も、母に「今回はお父さんに行ってもらうね」と言われることがありました。本当は母にも来てほしかった。習い事を始めたいと思ったこともありましたが、姉のことで手いっぱいの母を前にすると、とても言い出せません。
誕生日やクリスマスでさえ、姉の体調や機嫌を気にして予定が変わることもありました。何度も「今は仕方ない」と思おうとしました。姉が悪いわけではないことも、母が必死だったこともわかっていたからです。それでも、「なんで私だけ……」というモヤモヤとした感情は、少しずつ溜まっていったのです。
あんなにお姉ちゃんのことが大好きだったのに
私が中学校に進学してからも、家族が姉中心に回る生活は変わりませんでした。家族行事はすべて姉の体調次第。姉のために両親が有休を取ることが増え、次第に、私の授業参観や学校行事に両親が来ることは減っていきました。
いつしか私は、家で姉の姿を見かけるたびにイライラするようになっていきました。大好きだった姉、私の憧れだった姉。それなのに、姉の姿を見るたびに「なんで私ばっかり、こんなに我慢しなきゃいけないの!?」という怒りがどうしても湧き上がってしまうのです。
その一方で、かつてあんなに大好きだった姉に対して、ひどい嫌悪感を抱く自分のこともだんだん嫌いになっていきました。姉が不登校になって以来「私くらいは元気にしておかなきゃ」と思ってきましたが、もう限界。そんな日々が続くうちに、家での私はだんだん口数が減っていきました。
「元気なら学校に行けばいいじゃん!」
息苦しい日々の中で、迎えた中学最初の夏休み。このころ、母は姉を少しずつ外へ連れ出すようになりました。最初は近所のコンビニやスーパーへ行くだけでしたが、それでも両親は「一歩前進だね」と涙ぐんで喜んでいました。しかし私は、姉のチャレンジを素直に応援することなどできませんでした。
外に出ることがいい刺激になったのか、家のなかでも少しずつ、姉は笑顔を見せるようになっていきました。家族と話すことが増えていったのもこのころです。
私は姉の回復を喜ぶよりも、「ずるい、許せない」という気持ちでいっぱいでした。これまで抑え込んできた感情を処理できなくなっていたのです。
そしてとうとう、私はリビングで姉に向かって言ってしまいました。「元気なら、学校に行けばいいじゃん。私は毎日、頑張って学校に通っていてもほめられることなんてないのに。おかしくない?」
文/構成・橘サチ