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スイカを肛門から産んだ?!【私の出産体験】愛しの我が子を胸に抱くまでの3段階

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2人の息子とモンテッソーリ教育を楽しむママライターの“水野谷つむぎ”です。これは長男を妊娠・出産した時のお話。妊娠5ヶ月で退職した私は、「おひとり様を満喫できるのも今のうち!」と、毎日のように出かけていました。

おひとり様を満喫する活動的な妊婦


資格取得や子育てセミナーへの参加など、駅まで片道30分以上を歩いて、週3~4日は電車に揺られて習い事に通う日々。友人には「ずいぶん活動的な妊婦だね」と言われましたが、結果良い運動になりました。

また、モンテッソーリ教育を意識した子育てをしたかったので、乳児期に与える用具やおもちゃを作ることにも精を出していました。そんな中、坐骨神経痛やこむら返り、腰痛などの妊娠中のマイナートラブルが出てきました。

妊娠7ヶ月頃の股関節痛では歩くことができなくなってしまい、50mも行くと足を引きずらないと歩けない状態に。ですが、妊娠8ヶ月後半には落ち着いてきて、普通に歩けるようになり、ほっとしました。

それはある日ある夜突然に…生理痛と共にやってきた


実家に里帰りをしていた妊娠39週に、「腰が重くてだるい」と感じました。それからしばらくして思います。「生理痛がきた」と。いや、それはおかしいと思い直したところで、ようやく「陣痛かも?」と思い至りました。

夜10時半に入院、その時点で子宮口は5cmでした。一人で過ごしたので、ベッドの上で、痛みをアプリで計測、元気な時はスマホゲームをしてやり過ごしていました。その後、うたた寝をするも痛みで起こされるという短い眠りの間隔が精神的に辛くて、「寝かせてほしい」と思っていました。

翌朝9時。検診のために、階段で1階へ移動するよう言われますが、この時すでに痛みが来ると、真っすぐに立っていられない状態。「階段?嘘でしょう」という心の声を発する余裕もなく内診台へ移動。分娩台へ上がることを許されました。

火事場のバカ力を発揮! 出産までの必死の16時間


9時半頃、分娩台へ上がりましたが、ついて下さった助産師さんは容赦なく、ずっと膣穴を引っ張り広げ、何度か中を“ぐりぐり”されました。収縮時で痛みのある時でしたが、その“ぐりぐり”が本当に辛くて「それやだ!」と叫んでいました。

10時半。「あとどれくらいですか」と聞くと、「13時半までには出てくるかな」という助産師さんの返事に絶句。正直、頑張る気力が無くなりかけました。

ようやく子どもの頭が見え、会陰切開に備えて医師が登場。最後の最後はキレたように「もう出て!」と心の中で叫びながら出産。全力で赤ちゃんを押し出している時に思い出しました。「出産は鼻からスイカを出すようだ」と聞いたことがあったことを。

我が子を抱く幸せに落ちる影。おまけの「痛み」たち


出産後は、おなかの上に保冷剤を置かれて休みましたが、この時は痛みもなく、隣に眠る我が子を見つめながら、やり終えた達成感を感じていました。ですが、その後、予想外の痛みに襲われることに。

まずは、後陣痛。授乳中以外でも痛みました。それは生理痛の腹痛のようにズキズキとしていて、鎮痛剤をもらうほどでしたが、産後3日ほどで痛みは落ち着き、退院する頃にはなくなっていました。会陰切開で切ったところは引きつれて座れないし、歩けない。頻回授乳で乳首は切れ、授乳のたびに背中がピリっとなりました。

そして、一番予想外だったのは、両腕両足の筋肉痛。筋肉痛なんて久しぶり過ぎて、なんで痛いのか全く分かりませんでしたが、よくよく振り返ってみれば、あれだけ両手両足で突っ張って、踏ん張っていたのです。筋肉痛にもなるというもの。

出産後の入院期間中も地味な痛みとの共存を強いられることになるとは、想定外でした。妊娠中は経過に問題がなかったので、時間に余裕を持って動けば、かなりいろいろなことができました。
陣痛が来てしまえば、「後は体が知っている」。そんな気がしました。そもそも子どもが出ないことには、出産は終わらないのです。痛みの怖さも何もかも吹き飛ばして、踏ん切りをつけさせてくれるための陣痛。痛くなければ、あれほどいきめないと思います。出産を乗り切って、小さな命を抱きしめて下さいね。

[水野谷つむぎ* プロフィール] 
2歳と0歳の息子たちとのラブラブな時間を楽しむモンテッソーリアンです。子どもの「できた!」を集めていけば、ママも子どももハッピー♪win & winの関係でいられます。

※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。

●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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