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『彼女を笑う人がいても』主人公を演じる瀬戸康史に聞く~「役を通して自分の中にない感覚を模索しています」

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瀬戸康史

瀬戸康史が出演する『彼女を笑う人がいても』(2021年12月4日~12月18日、東京・世田谷パブリックシアター/他、福岡・愛知・兵庫公演)は、注目の劇作家・瀬戸山美咲の書いたオリジナル戯曲。1960年代の安保闘争を取材する新聞記者とその孫で東日本大震災の被災者を取材する2021年の新聞記者の物語で、過去と現在が交錯する。日本を代表する演出家のひとり栗山民也の演出プランは、大掛かりな装置の転換などに頼ることなく、俳優の肉体で時代の変化を見せる趣向だそうで、瀬戸は出ずっぱりとなる。俳優としてやりがいを感じると共に重責も感じると言う彼に、この作品に出演する意気込みを聞いた。ふたつの時代を凝視するような台本が発する強烈な思いを瀬戸はどう受けとめたのかーー。

――お稽古をしてみて何を感じていますか。

すごくエネルギーを使うお芝居ですね。僕は1960年代に生きている吾郎と、その孫で現代に生きている伊知哉のふたりの新聞記者を演じますが、60年代の学生や記者がもっていたパワーは現代とは比べものにならないと感じています。吾郎を演じるためには常に何かを燃やしながらいないといけない。そういうことが今までにない経験で体を慣らすことにひと苦労しているところです。

――吾郎に比べると現代人の伊知哉は静かな感じなのでしょうか。

伊知哉は吾郎の孫で血が繋がっている上、どちらも新聞記者なので、伊知哉にも祖父譲りのジャーナリストとしての熱いものが流れてはいます。ただ、燃やし方が違うという感じでしょうか。60年代は炎が目に見えるほど勢いよく燃え盛り、現代は内側でメラメラ燃えているような……。

――その違いの演じ分けはどのように行う予定ですか。

時代は一瞬で切り替わります。音が入って照明が切り替わったら、別の時代、別の人になっています。その変化は丁寧に確実にやりたいと思います。舞台上にはほぼ何もないんです。テーブルや椅子がありますがそれだけでは現代なのか60年代なのか違いはわからないので役者自身が時代感を出すしかないと演出の栗山民也さんはおっしゃっています。

――瀬戸さんは出ずっぱりですか。

そうです。はけることなく、へんな言い方ですが、一生出ています(笑)。

――安保闘争というものを知っていましたか?

知らなかったです。今回の舞台に出演が決まってから調べて、安保闘争は60年代と70年代と2回あったこともはじめて知りました。しかも時代によってやり方も違うんですね。いずれにしても僕のセリフに「強行採決された」というものがありますが、今ではありえないことが行われていたことを知って驚きました。『彼女を笑う人がいても』というタイトルにもなっている「彼女」も実在する人物ですが、彼女の身に降り掛かった出来事がまるで物語のようで、本当にあった出来事だなんて信じられない気がしました。

(左から)近藤公園 木下晴香 瀬戸康史 渡邊圭祐 (撮影:マチェイ・クーチャ)



――吾郎は学生運動を取材していて、一方、伊知哉は東日本大震災に関連することを取材し続けています。

安保にしても東日本大震災についても大事なことですが、深いところに踏み込んでいくことはリスキーですよね。しかし伊知哉にしても吾郎にしてもどんどん踏み込んで真実を知ろうとします。彼らを突き動かしている真実を明らかにしたいという意欲はどこから来るものなのだろうと役に向き合いながら探しているところです。役を通して自分の中にない感覚を模索しています。

――栗山さんの「役者自身が時代感を出すしかない」とおっしゃった言葉のほかに、印象に残る栗山さんの言葉はありますか。

「言葉」を大事にすることです。大幅にセットが変わるわけではなく、きらびやかな演出があるわけでもなく、字幕などの視覚的なヒントがあるとはいえ、わかりやすいものではありません。そんな中で俳優の僕らが放つ言葉にどれだけ想いが乗っていて、説得力があるかが勝負になると栗山さんはおっしゃっています。

瀬戸山美咲さんの台本を読むと台本が声を発しているように感じるんです。ものすごく思いがこもっていて伝えないといけないことが詰まっています。その台本に書かれている言葉の意味を正確に理解してほしいと栗山さんはおっしゃいます。時に言葉によってはその裏に隠された意味までしっかり理解して伝えていかなくてはいけないと。

例えば、今回、「彼女」という人物にモデルがいますが、舞台上には出てこないんです。その分、登場人物それぞれが「彼女」という人物像をどう想像して「彼女」という言葉をどう発するかも重要だと感じています。こわいと思っているのか憧れと思っているのか……。ご覧になるお客様にもその人なりの「彼女」が浮かびあがってくるようになるのが理想ですね。

――「彼女」を今、瀬戸さんはどう感じていますか。

彼女の人生の顛末が時代にとって必要だったとは決して言えないですけれど、彼女の出来事があったから見えてきたことがあるのかもしれないですよね。それは例えるなら、大好きな人と別れたことで大好きな人のことがより理解できるようなことと似ているかもしれません。ああいうことがあってもなお世界が変わらなかったら彼女は浮かばれないですよね。

――このような実際にあったことを題材にした作品に出る意義を感じますか。

60年代を知ることで、自分の価値観が変化したりアップデートされたりするような気がして演じる意義は感じます。僕を応援してくださる方が僕を通してこういう考えさせられる作品にも出会ってくれることにも意味はあると思います。僕がこの『彼女を笑う人がいても』を通して感じてほしいのは、自分なりの考えを持ち、それを他者にきちんと伝えることの重要性です。何かが起こった時、それから目を背けず、自分なりの考えを持ってしっかり向き合うことが大切だというメッセージをこの芝居を通して受け取っていただければ嬉しいです。……そうは言っても、意見を言い合うことってすごく体力を使ってくたびれますけれどね。

瀬戸康史、木下晴香、渡邊圭祐、近藤公園、阿岐之将一、魏涼子/吉見一豊、大鷹明良 (撮影:マチェイ・クーチャ)



――瀬戸さんたちの世代は穏やかな世代と言われていますが、瀬戸さんも伊知哉のように心の中は燃えていますか?

僕ですか? ……燃えてます(笑)。

――ジャーナリストの役を演じてみてジャーナリズムをどう感じますか。

もちろん真実は伝えたほうがいいと思いますけど、伝え方はそれぞれのやり方でいいのかなと僕は思います。僕はわりと平和主義者なので、意見を言い合うことで相手と変な感じになりたくはないから、代わりに絵にメッセージをこめたりすることもあります。僕だけがわかっていればいいし、その僕なりのメッセージを見つけてくれる人がいてもいいし、大事なことはその人なりの真実を自由に表現できることなのかなと思います。

――今回、テーマ性の強い作品で中心に立ち、しかも出ずっぱりということは、俳優としての表現欲が満たされるのではないかと思いますがいかがですか。

そういう気持ちもありますけど、裏を返せば、僕がちゃんとやらないと成立しない。そのプレッシャーはあります。それをガソリンにして頑張っているところもあります。

――以前、お話を伺った時、映画も舞台もテレビドラマも瀬戸さんにとっては等価値とおしゃっていたのですが、舞台は瀬戸さんにとってどういう魅力がありますか。

勉強の場だし、これをやったら自分は少しずつでも成長できるような気がするという存在です。自分では成長したかはよくわからないし、数年経ってなんとなくわかるくらいなのですが、最近、まわりの方に「成長した」と言われることが増えました。100パー(%)まわりの声を鵜呑みにするわけではありませんが、そう言っていただけることはありがたいです。

(撮影:マチェイ・クーチャ)

取材・文=木俣冬

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