【長野で二拠点生活】東京と岡谷、ふたつの居場所で見つけた本業と副業のちょうどいいバランス
「たたむ」ことが決まりかけていた祖母の家を、民泊として残す道を選んだ櫛部紗世さん。東京でフルタイムで働きながら、月に1回、岡谷へ通う日々のなかで、地域とかかわる新しい暮らし方と、心のよりどころを育んでいる。
掲載:2026年3月号
残したかった、大好きな「おばあちゃんち」
都内の教育機関で事務職員として働く櫛部紗世さんは、月に一度、朝4時に両親とともに岡谷市へと出発する。目的地は、諏訪湖のほとりに立つ祖母の家だ。
「子どものころ、夏休みのたびに通った家なんです。当時は意識しなかったけれど、今思うと、湖が見えて遊覧船がのんびり行き来する、かけがえのない特別な場所でした」
10年ほど前、ひとりで家を守っていた祖母が体調を崩し、東京で療養することに。しばらくは親族が交代で通い、家の空気を入れ替えるなどしていたが、やがて祖母が施設に入ることが決まった。家をどうするか、祖母と母、叔母の3人で話し合った結果、一度は「家をたたむ」という結論になった。
「それを聞いて、私と妹が『ちょっと待った!』となったんです。おばあちゃんに会いに行き『本当はどうしたいの?』と聞いたら、『本当は残したい。でも、あなたたちの負担になったらいけないから』って」
そこから、家を残すための模索が始まった。最初は家族で夢物語のようなアイデアを出し合いながら、東京で開かれた移住イベントや現地の空き家見学会にも参加。担当者に地域プレイヤーを紹介してもらうなどして、可能性が広がっていくのを感じたという。
「その過程で地方の空き家問題を知り、地域創生にも興味が湧いてきました。そこで社会人向け大学院のプログラムにも参加して、地域づくりについて学びました」
家を通して地域とかかわり、可能性が広がっていく
1年以上かけて櫛部さん家族が辿り着いたのは「民泊」という形だった。
決め手は「余白を残せること」。「賃貸という選択肢もありましたが、私たちも大好きな家なので、自分たちが自由に使える余白を残したかった。それに、今の生活と両立できる方法を考えたとき、月1回くらい通って民泊をするのが、私たちにとってもリフレッシュになるかなと」
オープンは25年5月。宿泊客の多くは知人だが、移住希望者向け宿泊補助の対象施設にもなっている。移住を考えたり、関係人口としてかかわりたい人を受け入れたいと考える櫛部さんにぴったりの制度だ。
とはいえ、フルタイムの仕事との両立は大変ではないだろうか。
「今は時間と体力のバランスがちょうどとれていますが、本当はもっと宿や地域創生にかかわりたいんです。でも、そうすると限界が来ちゃうから、悩ましいところですね」
それでも櫛部さんは、地域の可能性を形にすることを常に考えている。
「岡谷を含めた諏訪地域は、映画やドラマのロケ地としてよく使われているんです。27年の連続テレビ小説の舞台も諏訪に決まったし、これからもっと注目されると思います」
ロケ地を探すクルーと空き家のマッチングや、ファン向けのロケ地巡りツアーなど、地方創生のアイデアはどんどん膨らんでいく。
二拠点居住とは、ふたつの居場所を持つということ。それが櫛部さんにとって、心の余裕につながっているようだ。
「東京で『今、ちょっとしんどいな』と思っても、『いや、私には長野がある。ちゃんと休憩できる場所があるから大丈夫』って安心できる。それに、普段の生活のなかで岡谷のことを考える時間が増えて、それだけで心穏やかに過ごせるし、彩りが増えたなって感じているんです」
宿がある週の櫛部さんの二拠点生活スケジュール
月曜~金曜
フルタイム勤務
土曜朝4時ごろ
両親と車で岡谷へ出発。
6時30分ごろ
到着。掃除と寝具の準備を行う。
11時ごろ
宿泊客が駅に到着するので迎えに行き、依頼があれば父が運転、櫛部さんが案内係として観光案内を行う。
日曜昼ごろ
宿泊客を見送り、掃除と片付けを済ませる。渋滞を避けるため、夜間に東京へ戻る。
長野で二拠点生活!Advice
最後に、櫛部さんに、都会と地方で二拠点生活を送りたい人に向けてのアドバイスを伺った。
「私の場合ですが、最初から『これで行くぞ』と決めてしまうと、達成しなきゃというプレッシャーになってしまう。だからやりたいことを固定せず、緩やかに生活の幅を少しずつ広げながら方法を探していくというマインドでいます。そのほうが切羽詰まらず、楽しく現実的に続けられると思います」(櫛部さん)
文/ はっさく堂 写真提供/櫛部紗世さん、岡谷市