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見えない人を描く──「諏訪敦|きみはうつくしい」に宿る、沈黙の物語【東京・天王洲 WHAT MUSEUM】

イロハニアート

現在、東京・天王洲のWHAT MUSEUMで画家・諏訪敦の個展「諏訪敦|きみはうつくしい」が、2026年3月1日まで開催されています。 3年前、府中市美術館での個展が大きな反響を呼んだ画家・諏訪敦。 続く本展では、過去の回顧ではなく、あえて新作を軸に据えた構成が取られています。 新作の静物画や肖像を含む約30点をはじめ、全体で82点の作品が展示され、作家の現在に至るまでの歩みを多角的に紹介していきます。 その背景には、作家自身の「能動的に人を描きたくない/描けない」という切実な実感から始まりました。 人物でも静物でもない“あいだ”を描く試み。その象徴が、メインビジュアルの新作《汀(みぎわ)にて》です。 観る者が読み解きに迷うほど“初めての像”を前に、本展は第1章から第5章までの流れで「なぜこの作品に至ったのか」を逆算する構成になっています。 つまり本展は、画家・諏訪敦の思考と葛藤を追体験するドキュメンタリーでもあるのです。

見えないものを描くリアリズム


1967年、北海道生まれ。武蔵野美術大学大学院を修了後、スペインに留学。
卓越した写実技術と徹底したリサーチを基に、諏訪は一貫して「見えないものを描く」ことに挑み続けてきました。

諏訪敦、内覧会にて

戦争や事故で亡くなった人々の肖像、古典文学や神話の登場人物を現代に再構成する作品など──。

その筆致は、肉体を超えて不在・記憶・時間を描く領域へと踏み出しています。
絵画とは、存在しないものを「もう一度生かす」行為。
静かにそう信じるように、彼の作品は、生と死のあわいに立ちながら、「描くこと」「見ること」の意味そのものを問い続けています。

第1章「どうせなにもみえない」


展覧会は、諏訪の代名詞ともいえる精緻な写実作品から始まります。
頭蓋骨を持つ女性像、頭部だけが骨になったキリン、豆腐の柔らかさを描いた静物画。

諏訪敦《どうせなにもみえない Ver.4.5》2012年

初見の観客にも、彼の「リアリズムの到達点」が印象づけられる章です。
しかし諏訪は、この写実を「再現」で終わらせません。

彼は言います。
「どれだけ精緻に描いても、人物の“内側”までは描けない。」
つまり、絵は“見えるもの”を提示しながら、同時に“見えないもの”を探る装置なのです。

実物大で描かれた、頭蓋骨と生身の体がコラージュされたキリンの絵《Untitled》は、彼が自然史博物館で実際に動物の解剖を見た経験をもとに再構築したもの。
皮膚、筋肉、骨の関係を観察し、生命の不在を逆説的に描き出しています。

左から諏訪敦《Untitled》2007年と諏訪敦《水の記憶》2003年

写実の完成度を味わううちに、観る者はふと気づくでしょう。
どれほど緻密に時間を止めようとすればするほど、絵の中には「死の気配」が静かに立ちのぼっていることに。

諏訪の写実とは、現実を写す技術ではなく、時間を止めることで「死」と向き合う方法なのです。
この矛盾こそ、彼が長く探り続けてきた「見えないもの」への入り口です。

会場のようす

第2章「喪失を描く」


この章では、諏訪が長年向き合ってきた「喪失」をテーマにした作品が並びます。
戦争や災害、事故で命を落とした人々──彼はその“亡き人”たちを、写真ではなく残された人々の記憶から再構成して描きます。

たとえば、取材中に亡くなってしまったジャーナリストの山本美香さんを描いた肖像。
諏訪は、生前の写真をもとにするだけでなく、遺族や関係者への取材を通して記憶を掘り起こしながら、亡き人の姿を再構成してきました。

それは、現実の再現ではなく、記憶の中に生き続ける人物を絵画として呼び戻す試みでもあります。
もう一つ印象的なのが、《正しいものは美しい》という夭折した青年の肖像画です。
この作品では、「私たちは息子に会いたいのです」という依頼を受けた諏訪がまず両親・弟妹のデッサンをしたり、家族の記憶の中にいる青年像を少しずつ形にしていきました。
さらに、青年と同じ体格の人物の身体を石膏で型取りし、そこから身体のパーツを再構築。
その触覚的なプロセスによって、記憶の“輪郭”を手で確かめるように描いたといいます。
こうして生まれた肖像には、単なる「似ている」を超えた現実感が宿ります。
生者と死者の境界を曖昧にしながら、「いなくなった人をもう一度この世界に現す」ような静かなリアリズムです。

諏訪は絵画を「ゾンビ・メディア」と呼びます。
何度“絵画は死んだ”と言われても、まだ生き続けるもの。
AIが容易にイメージを生み出せる時代にあって、彼の絵は手で描くことの“時間”と“重さ”そのものを提示しています。

第3章「横たえる」


この章には、諏訪が家族の死と向き合った作品が並びます。
満州へ渡った父方の祖母は、終戦の混乱のなかで亡くなりました。
諏訪はその出来事を手がかりに、中国東北部を取材し、当時の光や風景、土地の記憶を丹念に追いながら、絵画として再構築しました。
《HARBIN 1945 WINTER(Esquisse)》は、祖母の死をめぐる記憶を現在に呼び戻す試みとして発表された代表作のひとつです。
それは、記録のない人を“もう一度この世に現す”試みでもあります。

会場のようす

祖母から父へ、そして母へ。
家族を描く作品群は、家族を見送る時間の記録そのものです。
父の死を描いた《father》では、息子の視点から死を見つめる距離感が、静謐な筆致に込められています。
母を描いた四つの新作は、介護の合間に描かれたスケッチをもとにしています。
筆は静かに、しかし確かに、「消えゆく生」を見届けています。
「人を描きたい気持ちが失われた」と語っていた諏訪が、
母の病床でスケッチを再開したとき、
「久しぶりに“人”を描いた」と記しています。

死を前にした身体を描くことは、もはや静物と人物の区別を超えています。
だからこそ彼は問いを立てました。

「死んだ人間は、人物なのか? 静物なのか?」

この章の作品群は、その問いに対する静かな応答の連なりです。

諏訪敦《mother / 16 DEC 2024》2024年

そして、家族の絵の中に一枚だけ異彩を放つ小さな絵があります。
スペイン滞在中に出会った雌猫《Campanilla》(カムパニージャ)の肖像。
諏訪にとって初めて「家族」と呼べる存在で、その最期を看取った経験は、“死の主題”をより身近で穏やかなかたちで見つめ直す契機となりました。

人間の死を描いた大作の中で、この小さな猫の絵は、喪失の連続の中に残る“生の温もり”を静かに伝えています。

諏訪敦《Campanilla》2008年

家族の死、そして一匹の猫の死。
そのどちらも、「描く」ことの根にある“見届ける”という行為の延長にありました。
静謐でありながら、深い祈りの気配をたたえる章です。

第4章「語り出せないのか」


ここでは、モチーフが人物から離れ、静物や神話的なイメージへと広がります。
家蚕や十穀を盛った須恵器、熟した洋梨の絵。台の上には、モチーフとなった古い骨格標本や石膏模型が並びます。これらはかつて“生きていたもの”であり、“人と関わっていたもの”でもあります。

会場のようす

諏訪が関心を寄せたのは、世界各地に伝わる「食物穀物起源神話」。
殺された女神の身体から食物植物の種が生まれるという伝承を、静物を通じて再演するように描いています。

物は沈黙していますが、その中に“人の気配”が宿る。
静物と人物のあいだを往還する諏訪の探求が、この章に結晶しています。

第5章「汀にて」


そして最終章、《汀にて》が現れます。

諏訪敦《汀にて》2025年

この作品は、コロナ禍で誰とも会えず、モデルを立てられなかった時期に描かれました。
介護のためにアトリエにこもり、母を看取った後、諏訪は次第に「もう人を能動的に描けない」という感覚に包まれていきます。

それでも描くことをやめず、彼は人間の代わりに“人の形をしたもの”をつくることから始めました。
骨格標本、外壁充填材などを組み合わせ、漂着物のような“人型(ひとがた)”をつくり、それを描いたのです。

《汀にて》制作のために制作した「人型(ひとがた)」諏訪敦《汀にて(Bricolage)》部分 2025年

タイトルの《汀にて》は、海と陸の境目、つまり「生と死」「人物と静物」のあいだを意味します。

「母を静物画のように描いた自分は、ちゃんと悲しむことができない。
こんな人間のもどきなのかもしれない。」
——諏訪敦(展覧会ステートメントより)

諏訪敦《汀にて Drawing 06》2025年

この作品は、描けなくなった画家が、再び“人を描く”までの時間を可視化した絵画です。
制作過程を記録した映像も上映され、諏訪が静かに手を動かし、素材を組み替えながら、失われた身体を呼び戻していく様子が映し出されています。
観る者は、画家とモチーフが同じ時間を生きるような感覚に包まれます。

会場で流されるドキュメンタリー映像

また、作家・藤野可織による短編小説『さよなら』がハンドアウトとして配布され、
絵画と文学が交錯する設えも施されています。
沈黙の中から、物語がもう一度生まれようとする場所、それが、この最終章の《汀にて》なのです。

終章にかえて


本展は、評価の定まった代表作を並べる総集編ではありません。
「描けない」という足場の悪さから出発し、人物でも静物でもない“あいだ”を探り続ける、現在進行形の展覧会です。

会場のようす

開催概要


諏訪の写実は、正確さを競うためではなく、不在に触れるための技法。
その筆致の隙間には、時間の層が沈んでいます。
作品の前で立ち止まれば、
そこに生きていた人、見えなかった感情、そして今この瞬間に立つ自分が、
静かに同じ地平に並んでいることに気づくでしょう。

◆諏訪敦|きみはうつくしい WHAT MUSEUM

【開催期間】2025年9月11日(木)~2026年3月1日(日)
【所在地】東京都品川区東品川2-6-10 寺田倉庫G号
【アクセス】東京モノレール「天王洲アイル駅」徒歩5分
      東京臨海高速鉄道りんかい線「天王洲アイル駅」B出口 徒歩4分
      「JR品川駅」港南口 徒歩20分
【開館時間】11:00~18:00(最終入館17:00)
【休館日】月曜(祝日の場合、翌火曜休館)、年末年始(2025年12月29日(月)~2026年1月3日(土))※2026年1月5日(月)は開館
【入場料】一般1,500円、大学生/専門学校生 800円、高校生以下無料
【展覧会サイト】諏訪敦|きみはうつくしい

【主催】WHAT MUSEUM
【企画】WHAT MUSEUM、宮本武典(東京藝術大学准教授)
【特別協力】藤野可織
【協力】成山画廊
【後援】品川区、品川区教育委員会

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