時代を席巻したYMOの世界戦略とテクノポップの象徴「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」
日本国内でも急速に高まっていったYMOの認知度
2025年の 『MUSIC AWARDS JAPAN』を象徴するアーティスト「SYMBOL OF MUSIC AWARDS JAPAN 2025」として、イエロー・マジック・オーケストラ(以下:YMO)が選ばれた。YMOの活動期間は1978〜1983年とけっして長くはなかったことを考えると、改めてその影響力の大きさを痛感する。
YMOのデビューアルバムは1978年11月に発表された『イエロー・マジック・オーケストラ』であるが、発表当初の評判は芳しいものではなかった。当時の日本のリスナーが持っていたポップミュージックの概念から外れたその音楽を “どう聴いていいのかわからなかった” というのが実情だったろう。
しかし翌年、その状況が一変する。アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』のアメリカ盤が1979年5月に発売されたのだ。アメリカ盤は、数々の名盤を手掛けてきた名エンジニアであるアル・シュミットがリミックスを手掛け、内容も日本盤の最後に収められていた「アクロバット」が割愛されるなど内容が異なっており、アルバムジャケットのデザインも違うものが用意された。このアメリカ盤『イエロー・マジック・オーケストラ』は日本でも7月に発売されて話題になり、YMOの認知が高まると同時にそれまでの日本盤は一時、廃盤となって姿を消した。
そして8月にはロサンゼルスの野外ホール、ザ・グリークシアターで行われた売り出し中のバンド、ザ・チューブスのコンサートの前座としてYMOが出演し、チューブスを食うほどの成功を収めている。こうした動きは日本でも紹介されて大きな話題となり、YMOの認知度は日本国内でも高まっていった。そして翌9月にはセカンドアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が発表され、後にチャート1位となる大ヒットを記録する。
チャート1位を記録した「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」
その勢いに乗るように、10月から12月にかけてイギリス、フランス、アメリカを巡る『トランス・アトランティック・ツアー』を行い、12月19日に中野サンプラザホールでツアーの最終公演を行った。この時点でYMOは “世界で成功した日本の先進的バンド” として押しも押されもせぬ存在になっていた。
冷静に振り返れば、このYMOの成功の裏には周到な仕掛けがあったこともわかる。デビューアルバムのアメリカ発売も、YMOが契約していたアルファレコードが提携していたアメリカのA&Mレコードとの間で早くから決まっていたなど、最初から海外での評価を日本にフィードバックさせる戦略があった。最初のワールドツアーも決して大規模なものではなく、海外ツアーという実績を国内にフィードバックすることで話題をつくろうという狙いも感じられた。しかし、YMOがグリークシアターで大成功を収めたのは事実だったし、ワールドツアーで高い評価を受けたことも事実だ。
むしろ、先入観なしに無名だったYMOの演奏に触れた欧米の聴衆の方が、日本のリスナーより先にYMOの魅力を感じ取った。そして彼ら自身も、ファーストアルバムのアメリカ盤に施された微調整を参考に、よりストレートにリスナーにアピールできるサウンドづくりを行い、セカンドアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』に反映させている。当時の僕自身も、ファーストアルバムでは興味深いアプローチをしていると思ったYMOが、このアルバムでいきなり理屈抜きにかっこいいグループになったと感じたのを覚えている。
YMOサウンドを象徴する「テクノポリス」
『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』に収められているのは全8曲。細野晴臣の曲や共作が多かった前作に比べると、本作は細野2曲、坂本2曲、高橋2曲、坂本・高橋の共作1曲、ビートルズのカバー1曲と、程よいばらけ方をしているという印象がある。
また、前作では細野晴臣のコンセプトが強く出て、コンピューターによるエキゾティック・サウンドやゲーム音楽などの実験的ニュアンスが感じられる部分もあったが、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』では音楽性のバラエティは確保しながらも、サウンドのトーンが統一されてトータルなアルバムとしての一貫性が保たれ、聴き手の集中をそらさない作品に仕上げられている。
また、YMOサウンドを象徴する曲として親しまれ、ワールドツアーがスタートする10月に初のシングル曲としてリリースされた「テクノポリス」(作曲:坂本龍一)をはじめ、「ライディーン」(作曲:高橋幸宏)、「ビハインド・ザ・マスク」(作曲:坂本龍一、高橋幸宏)など、耳新しいのに理屈抜きに引き込まれるカラフルなサウンドがキラキラと弾けていくような、まさにテクノポップの象徴といえるキャッチーな曲が収められていることも大きな魅力だった。
まったく古さを感じさせない味わい深い楽曲群
全体のトーンとしては、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』には前作よりもヨーロッパ的なポップ感が強くなった印象がある。と同時に、YMOならではのジャンルを超えて広がっていく多様な音楽性もしっかりと生かされている。
印象的なのが、「テクノポリス」と「ライディーン」の間に置かれた、沖縄のカチャーシーやインドのボリウッド・ポップスのテイストを感じさせる「アブソリュート・エゴ・ダンス」(作曲:細野晴臣)。さらには静かな音の重なりの中に印象派絵画のような色彩感を感じさせる「キャスタリア」(作曲:坂本龍一)。純邦楽のニュアンスを醸し出す「インソムニア」(作曲:細野晴臣)など、テクノポップの一般的イメージから離れた曲が、キャッチーな曲の間に置かれて、アルバムの世界観を大きく広げていることだ。
これらの曲は当時、ポップな代表曲の引き立て役くらいにしか受け止められていなかったかもしれないが、いま改めて聴くとまったく古さを感じさせない味わい深い楽曲で、YMOの音楽性の高さ、そしてYMOを構成していた3人の圧倒的な力量を思い知らされる。
時代を席巻したYMOのテクノポップ
前述したように、YMOの海外進出は確かに話題先行型ではあった。けれど、YMOは実力で可能性を切り拓いていった。規模としては大きくはなかったが、その演奏に魅了され、彼らのコンセプトに共感する人たちが確実に生まれていった。特にイギリスを中心にしたヨーロッパでは、YMOの先進性や音楽性が高く評価され、影響されるミュージシャンも増えていく。その結果、翌1980年に行われた2回目のワールドツアー『FROM TOKIO TO TOKYO』は、前回の3カ国から7カ国となり、公演回数も増え、会場も本格的ホールになるなど規模も拡大していく。
僕はこのツアーのイギリス5公演中の4公演(オックスフォード、バーミンガム、マンチェスター、ロンドン)を取材させてもらったが、どのホールも満席で、客席の盛り上がりも大きなものだった。とくに格式あるハマースミス・オデオン(現:ハマースミス・アポロ / 収容約3,500人)で行われたロンドン公演にはイギリスのトップアーティストも訪れ、楽屋も華やかに賑わっていたのが印象的だった。
YMOの音楽は “テクノポップ” として時代を席巻していった。確かに、理屈抜きに快感中枢を刺激するその音楽を聴くのは心地よかった。けれど、そのサウンドの中に “イエロー・マジック” のコンセプトが込められていたことがどれだけ伝わっていたのかなと思うこともある。彼ら自身も自分たちの音楽の受け入れられ方に物足りなさを感じたのか、そのサウンドの中には次第に、快感だけではない影(違和感)が見られるようになっていく。
もしYMOが、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』の路線を続けていたら、より巨大なスーパーグループとしてさらに世界的に評価されていたかもしれない。しかし、彼らはそうした物理的な “成功” ではなく、3人がそれぞれ自分たちの信じる音楽を発信することを選んだ。その後のYMOの動きが、そう物語っている。