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武田鉄矢のラジオで知ったジョンの死|ビートルズのことを考えない日は一日もなかった特別対談VOL.15 大須賀芳宏

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『昭和40年男』編集長の竹部が身近なビートルズファンを相手にビートルズトークを展開している「ビートルズのことを考えない日は一日もなかった」特別対談。今回の大須賀さんはこれまで登場いただいた人の中で最も古い知り合い。最初に知り合ったのは85年だから今年で40年となる。その縁で過去にわたしが編集を手掛けた(藤本国彦さんとの合作)分冊書籍『ビートルズ・ストーリー』で執筆いただいたり、いまも『昭和40年男』にライターとして協力いただいている。そんな大須賀さんと今回、初めて真剣にビートルズを語ってみました。

『ロッキング・オン』とジュリアン・レノンがつないだ縁

『ロッキング・オン』1985年8月号

竹部:先日は『昭和40年男』への渋谷陽一追悼の寄稿ありがとうございました。我々世代にとっての渋谷さんの存在はとても大きいから本誌でページを作りたいなと思っていたんだけど、ぜひとも大須賀くんに書いてもらいたいと思ったんですよ。その理由は、ぼくが大須賀くんと出会うきっかけは『ロッキング・オン』だから。そんな個人的な事情で原稿をお願いしたんですよ。

大須賀:こちらこそありがとうございました。そうなんですよ。ぼくらは渋谷陽一がつないでくれた縁なんですよね。ぼくの中学時代の友達の蒔田の投稿が『ロッキング・オン』に掲載されて、それを読んだ竹部くんが反応して連絡をくれたんですよね。

竹部:ちょうど40年前。しかも蒔田くんが書いた原稿の題材がジュリアン・レノンだった。

大須賀:そうだ。

竹部:それから一緒にミニコミを作ろうと言う話になって関係が密になっていくわけですが、それって自分たちで『ロッキング・オン』を作ろうってことだったんですよね。

大須賀:ただ当時は、雑誌を作ったその先の、それを売ると言うところまで考えが及ばなかった。作りたいが先にあるだけで。なので、大量の在庫を抱えて挫折したけど……。

竹部:いま考えれば無謀だったけど、それも若さゆえ。当時はネットもないから、自分たちでメディアを作るってすごくハードルが高くて、レコードを作る、雑誌を作るなんて、大きな動機がないとできなかった。そういう気持ちにさせた渋谷陽一の影響ってとてつもなく大きかったってことですよね。

大須賀:そうですよね。そういうことを今回の原稿にしたためました。

竹部:その気持ちはいまも自分の中に残っているかな。ところで、大須賀くんは『ロッキング・オン』はどの辺から買ってたの?

大須賀:中3くらい。そもそもぼくは、いとこの影響でさだまさしなんかを聞いていたフォーク少年だったんですよ。ただ言っておきますけど、当時のさだまさしはシティポップの原型……は言い過ぎかもしれないけど、こじゃれてた。「吸い殻の風景」なんか、今聞くとジョージなんですよ。

竹部:そうなの?

大須賀:コード進行にディミニッシュとかクリシエとかが出てきて、さだまさしのアレンジャーは絶対にジョージが好きだったと思う。

竹部:「関白宣言」しか思い浮かばないや。

大須賀:まぁぼくも本格的にハマって聞いていたのはそれくらいの頃。生まれて初めて買った12インチシングルは「親父のいちばん長い日」だから(笑)。

竹部:79年か。さだまさしの評価に関してはタモリの影響が大きいよね。どうしてもネガティブな印象になってしまう。

大須賀:そう。こうやっていまだに「さだまさし聞いていた」ということに言い訳が必要な感じ(笑)。否定したほうがかっこいいみたいな空気があった。オフコースも。

竹部:たしかに。でもタモリがいちばん揶揄していたのはさだまさしだったよね。ルックスも含めて。自分はタモリ派だったから真に受けていたよ。

大須賀:ネタというよりもマジで言っていたでしょ。タモリもさだまさしも両方好きだったから、どう受け止めればいいんだって。

竹部:いまじゃありえないよね。

大須賀:さだまさしのほかに中島みゆきとかも聞いていて完全にフォーク、ニューミュージック方面の人間だったんですよ。さかのぼって、かぐや姫も聴いていた。その少しあとからロックを聞くようになるんだけど、当時は圧倒的に情報がないじゃないですか。フォークのファンだった頃は『ガッツ』とか『GB』とかを読んでいたんだけど、じゃあ、ロック雑誌はなんだということになって、本屋に行ったら、いちばん表紙がかっこいいのが『ロッキング・オン』だった。

竹部:そういう基準だったの?

大須賀:表紙にいい写真を選んでいたから。写真の上にロゴを載せるときに、わざわざロゴをちょっと消していたりしていたじゃない? 営業サイドとしては誌名を目立たせたいはずなのに、写真を優先してしまう、というところにおしゃれを感じてかっこいい、みたいな。

竹部:中学生で?

大須賀:思った。デザインがかっこいいって。記事も写真優先だから、文字が読みにくい。けどそれがかっこよかった。もともとデザインが好きだったというのもあるけど。

竹部:普通はアーティスト目当てだよね。それに情報が欲しいなら最初は『ミュージック・ライフ』だと思うんだけど。

大須賀:普通はそうだよね。それで『ロッキング・オン』を読んだら、ロックの評論がおもしろかったんですよ。元々本を読むのが好きだったというのもあるけど、渋谷さんの評論が楽しめた。渋谷さんの厳しい批評がいいと思ったの。

竹部:活字ロックに惹かれたと。

大須賀:そういうことだよね。ロックを語るんじゃなくて、ロックが好きな自分を語っている、自分語りも含めて、好きになったんですよ。

竹部:それは松村雄策さんの原稿かな。『ロッキング・オン』=自分語りというイメージは、松村さんのイメージが大きいですよね。

大須賀:あと読者の投稿原稿にも惹かれたの。もともと投稿系の雑誌も大好きで、『ポンプ』って雑誌を買っていたんですよ。『ポンプ』って知ってる?

竹部:買ったことはなかったな。

大須賀:『ポンプ』って、基本読者投稿で成り立っていた雑誌で、素人の絵や文章とかが掲載されていたのね。そこに岡崎京子がイラストを投稿していて、この人天才だなとか思っていたら、のちに漫画家としてデビューした。自分は早くから岡崎京子の才能に注目していた一人だと思うよ。

竹部:そうなんだ? 自分も投稿しようと思わなかったの?

プレイガムのCMで流れた「プリーズ・プリーズ・ミー」

『ヘルプ!』『ラバー・ソウル』のドイツ盤

大須賀:まだなにかを語れるほど知識がなかった。フォーク少年だったし(笑)。それで、中学2年のときに小金井市から練馬区に引っ越したんだけど、転校先の中学で知り合ったのが、最初に名前が出た蒔田。これが衝撃で。

竹部:マッキーショック(笑)。

大須賀:蒔田がなんでも知っていることに驚いたんですよ。中学生が、マイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』を「これがすごいカッコいいんだよ!」「プロデューサーはクインシー・ジョーンズでさ」とか言ってて(笑)。

竹部:いま、ソニーミュージックでプロデューサーとして活躍している蒔田くん。多くの大物アーティストを手掛けているんだよね。その頃から変わっていないんだね。驚き。

大須賀:そうそう。天井に薬師丸ひろ子のポスターを貼っていたくせにさ(笑)。それは妙に覚えている。蒔田はクラスこそ違うけど、家が近かったから通学路が一緒で、そこでいろいろ話をするようになって、とにかく自分が知らないことをいっぱい言ってくるから、圧倒されてしまって……。そうすると、自分がフォークを聞いているのが恥ずかしくなってくるの。蒔田が聴いていた洋楽とか、佐野元春、EPO、山下達郎とかのオシャレな音楽を前にして、「中島みゆきの……」とか言えなくて。それで自分もそういう音楽が聞きたいなと思った。

竹部:蒔田くん、恐るべし。

大須賀:この頃、気になるアーティストはだいたい蒔田からレコードを借りていたな。「こういうおしゃれな感じの音楽はなんていうの?」って聞いたら「シティポップって言うんだよ」って教えてもらったのを覚えてる(笑)。でも『ロンバケ』は自分でレコードを買ったよ。その頃にビートルズが好きになっていくんだ。ビートルズを好きになったのはある種の偶然だよね。記憶が曖昧だけど、「プリーズ・プリーズ・ミー」が使われたガムのCMがあったの。覚えてない?

竹部:見たような、見てないような……。

大須賀:カネボウのプレイガムっていうらしいんだけど。でも、その「プリーズ・プリーズ・ミー」はビートルズの演奏じゃないの。コピーバンドなんだ。この曲って音符にすると、単純でそんなに不思議なメロディじゃないんだけど、あのオケに乗ると、聞いたことない感じの異物感が出てくる。何このメロディ!?っていう。これはすごいと思った。あと、この曲のキモは「カモン!カモン!」に聞こえるけど、その後の「プリーズ・プリーズ・ミー」っていうところなんじゃないかな。あそこのメロディはなかなか思い浮かばないと思う。

竹部:最初はロイ・オービソン風だったと言われているところね。「プリーズ・プリーズ・ミー」はビートルズ最初のヒット曲だから重要だよね。

大須賀:デビュー当時これを聴いた人は衝撃だったと思うよ。

竹部:『ステレオ!これがビートルズVol.1』は「アイ・ソー・ハー」じゃなくて「プリーズ・プリーズ・ミー」が1曲目なんだよね。そのCM、調べたら81年だったらしいです。

大須賀:そうなんだ? あとひとつ、これは明確に覚えていることがあって。『武田鉄矢の青春大通り』っていうラジオ番組。ぼくはフォーク少年だったから、フォーク歌手のラジオ番組をよく聴いていたんだけど、なかでも『武田鉄矢の青春大通り』は大好きだったの。

竹部:『金八』前ってこと?

大須賀:うん。その前から毎週聴いていたよ。『金八』が決まったときの放送を覚えている。「今度、TBSのドラマの主演が決まりました。なんと、先生役だよ、先生役。これは人生かけてやらなきゃ」とか言って喜んでいたの。それで何が言いたいのかというと、そのラジオで武田鉄矢が、ジョン・レノンが死んだときに泣きながらしゃべっていたのを覚えてるの。それでぼくはジョン・レノンが死んだのを知ったんだから。

竹部:武田鉄矢ってビートルズ好きなんだよね。

大須賀:そこから役者として売れていくわけだけど、武田鉄矢とビートルズで忘れられないのが『幕末青春グラフィティ 坂本竜馬』だよね。

竹部:あった。

大須賀:武田鉄矢が知り合いのフォーク歌手に演技させて作ったドラマで……。

竹部:拓郎とか陽水とか出ていたよね。

大須賀:そのBGMが全編ビートルズだった。それがむちゃくちゃかっこよかったんだ。

竹部:最初に「ラブ・ミー・ドゥ」がかかった記憶があるよ。

大須賀:うん。ほかには京都の町中で新選組と追っかけっこするシーンで「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」がかかったり、仲間の志士たちが死んだときに竜馬が家で号泣するんだけどそこでかかるのが「ホワイル・マイ・ギター」。めちゃくちゃ感動して、ビートルズって全部いいなって思ったんだ。

竹部:ぼくは期待して観たけど……。途中までだったな。そのあとに武田鉄矢は坂本龍馬を題材にした映画も作っているけど、それはビートルズではないんだよね。

大須賀:映画は別物なんですよ。

竹部:『幕末青春グラフィティ 坂本竜馬』は82年秋の放送だったから、大須賀くんがビートルズにはまるのはその後ってことだよね。

大須賀:武田鉄矢のラジオでジョン・レノンの存在を知って、ガムのCMでビートルズの良さは気づいていたんだけど、レコードを買うまでではなかった。このドラマを観て本気でレコードを集めようと思った。

竹部:シティポップを聴いていた耳からすると、ビートルズってすごく古くさく感じなかった?

大須賀:とりあえずドラムがうるさいと思って(笑)。

竹部:聞くことで耳が慣れてくっていうか、徐々に好きになってくんだよね。

大須賀:最初はメロディ。その次は存在、見た目。写真がかっこいいなと。

竹部:見た目は大きかったよ。

大須賀:レコードを集めるにあたって、ベストは買わないって最初に決めたの。オリジナルアルバムで集めようと思って。でもなにがオリジナルアルバムなのか、わからないんだよ。情報がないから。それで最初にとりあえず2枚買おうと思って池袋に行って、西武とパルコの渡り廊下のところにあった小さい輸入盤屋で『ヘルプ!』と『ラバー・ソウル』を買ったの。2枚ともドイツ盤。値段を見たら日本盤より安いの。で、わけもわからずに直感でジャケ買いだった。

竹部:いきなりドイツ盤とは(笑)。でも『ヘルプ!』のドイツ盤ってこんなに大きく文字が入っているんだね。

大須賀:それがかっこいいと思った。もちろん当時はこれがドイツ盤とかも知らずに買ったんだけど、このジャケじゃなかったら『ヘルプ!』は買ってないと思う。結局、デザインで選ぶんだよね、一貫して(笑)。

竹部:このドイツ盤はユナイテッド・アーティスト映画のサントラって書いてあるのに、内容は普通にイギリス盤の『ヘルプ!』なんだね。

大須賀:『ラバー・ソウル』は、裏ジャケのデザインに惹かれたんだ。

竹部:日本盤の裏ジャケの写真は真っ黒だもんね。印刷が悪くて。

大須賀:うん。ところが……。この2枚は初心者には地味なんですよ。

竹部:それは同意。ぼくも最初に買ったビートルズのレコードは『ヘルプ!』のLPだったから、その気持ちはよくわかる。

大須賀:それと、すごく昔のバンドの感じがしたんだよね。でも82年時点で、リリースから17年しか経ってないんだよ。いまの感覚からしたら17年前って最近じゃない。この間、スピッツの再発盤を買ったんだけど、それは30年前の作品で……。あのときに買った『ラバー・ソウル』はそれに比べたら半分くらいしか経ってない“最近”の作品なんだよね。

竹部:あっという間に30年経ってる(笑)。

復活祭で観た『ハード・デイズ・ナイト』

『ハード・デイズ・ナイト』ユナイテッド・アーティスト盤

大須賀:自分の加齢もあるけど、音楽の変化のスピードや幅も当時はすごかったんだよね。だからビートルズの音への違和感は強かった。しかも『ラバー・ソウル』と『ヘルプ!』はなんか地味で。でも買ったからには好きにならなきゃ、みたいな気持ちで聴いていたら、あるとき、急にスイッチが入るんだよね。すごくいいって。あれ、なんなんだろう。

竹部:同じく。最初は我慢が必要なんですよね。

大須賀:で、ドイツ盤には解説がないって気づくの。どうやら日本盤とは違うんだみたいなことがわかるわけ。それで、次からは日本盤を買おうって思って、1枚ずつ国旗帯の日本盤を集めだす。

竹部:情報がないから自分で体得していくしかないんだよね。

大須賀:そう。そんなわけで『ヘルプ!』と『ラバー・ソウル』の日本盤は大人になるまで持ってなかったけど、次は日本盤で『プリーズ・プリーズ・ミー』を買った。そしたら、ブックレットが豪華でびっくり。

竹部:輸入盤はなにも入っていなかったからね。

大須賀:ラッキーって思って。『ウィズ・ザ・ビートルズ』もカラーのブックレットが入っているでしょ。レコードって、ああいうおまけが入っているのが楽しいよね。

竹部:初期2枚はそうなんだよね。

大須賀:『プリーズ・プリーズ・ミー』は、録音はやかましいけど、シンプルなロックンロールが多いから、子どもにはわかりやすいじゃないですか。なので、すぐに気に入った。そのあとは1枚ずつ買っていったんだけど、順番は明確に理解してなかったから適当に。その間に『ゴールデン・ビートルズ』『シルバー・ビートルズ』を買っちゃったりした。

竹部:そういうレコードにも手を出していたんだ?

大須賀:よくわかってないから、間違えてね。『ゴールデン・ビートルズ』はインタビューアルバムで『シルバー・ビートルズ』はスタークラブのライブ。ジャケが金とか銀で豪華なのに安いと思って。いざ家で聴いてみたら「なんだこれ?」って。

竹部:80年代はスタークラブ音源やインタビュー音源が手を変え品を変えいろいろ出ていたよね。個人的にはスタークラブ音源っていまひとつ好きになれなかった。曲が増えたとか、音が良くなったとか、リリースのたびに改訂されて、パンクの原型があるとか言われて評価されていたけど。

大須賀:さすがに音が悪くて。でもこの間聞いてみたら思ったよりはひどくなかった。

竹部:レコードもブートも一応あるけど、あまり聞かないかな。自分はスタークラブ音源を好きになるときが来るんだろうかって思う。よほどAIで音質が向上しない限り愛聴盤になるのは難しいかも。77年に出た『ハリウッドボウル』は大好きなのにね。この間、藤本さんがやった『ハリウッドボウル』を大音響で聞くっていうイベントがすごくよかったんだ。終わったあとに藤本さんが「次は『スタークラブ』で」って言っていたんだけど、それには同意できなかった(笑)。

大須賀:『ハリウッドボウル』はいいよね。

竹部:で、そんな非公式盤を挟みながらも、ビートルズのレコード収集は完走するわけですよね。

大須賀:オリジナルアルバムの13枚は1年ぐらいで集めたと思う。いちばん好きだったのは『サージェント・ペパーズ』。2つのスピーカーの真ん中に座って、音場を意識しながら聞いたんだけど、スピーカーから広がる音の空間に自分しかいなくなるみたいな感覚を知って、鳥肌が立った。

竹部:意識が高いよね。それからはどんなビートルズライフだったの?

大須賀:高校に入学して仲良くなった大武という友達がビートルズファンで、シネクラブに入っていたから、家に遊びに行くと会報とか通販で買ったというカセットがあって。

竹部:海賊盤音源をコピーしたカセットね。

大須賀:そこで聞いたのが「ロイヤル・バラエティ・ショー」。あのジョンのボーカルがかっこよくてね。

竹部:宝石ジャラジャラの。

大須賀:二人でビートルズ復活祭にも行ったよ。九段会館に。

竹部:そうなの? おれもよく行っていたよ。そこで会っていたのかもね。

大須賀:映画『ハード・デイズ・ナイト』と『ヘルプ!』は復活祭で観た。あの頃はとにかく動くビートルズが貴重だったじゃない。嬉しかったよね。

竹部:自分が最初に観た『ハード・デイズ・ナイト』は字幕なしだったかね。

大須賀:そのあとに『ハード・デイズ・ナイト』のVHSを1万4800円出して買ったの。

竹部:ベストロンから出たやつ。よく買ったね。

大須賀:どうしても観たくて。それくらい最初に見た『ハード・デイズ・ナイト』がかっこよかったから。あとは自分もあんな風になりたいって思ったよね。ロックバンドの、メンバーのああいう関係性に憧れたんだ。たとえば普通にお茶を飲んで話をしたり、バカなことをやっているんだけど、いざ楽器を持つとちゃんと音楽が作れる、みたいな関係性がカッコいいなと思って。それで自分もバンドをやりたくなったからね。ビートルズの映像は『ハード・デイズ・ナイト』に尽きるの。

ビートルズ復活祭告知はがき

竹部:自分も『ハード・デイズ・ナイト』での理屈なしのカッコよさが決定打だったよ。

大須賀:あまりに観過ぎたのでテープが切れちゃって。捨てないでとっておけばよかったと思うけど。92年くらいに出たやつも買ったよ。最初に「僕が泣く」が入っているやつ。

竹部:ビデオアーツから出たやつだ。『メイキング・オブ・ハード・デイズ・ナイト』と一緒に。それの発売記念試写会に行ったよ。その頃って、渋谷系全盛で、ちょうど『ザ・ナック』がリバイバル上映されて再評価されたあたりだったよね。

大須賀:当時、小西康陽さんが、「僕はビートルズが好きというよりもリチャード・レスターのビートルズが好き」というようなことを言っていて、むちゃくちゃわかると思って同意した。でも『ヘルプ!』はちょっとだれるんだよね。

竹部:そうなの。最初はいいんだけど、バハマに行くあたりから、集中力が切れちゃう。

大須賀:「アナザー・ガール」のシーンはすごくいいんだけどね。というか、『ヘルプ!』は全般的に曲のシーンはいいんだよ。クリップとしてすごく完成度が高い。でも間のストーリーが弱いから、飽きちゃうんだ。

竹部:ビートルズを見られる喜びあるのにね。『イエロー・サブマリン』はいつ見た?

大須賀:いつだったかな。フィルムコンサートで観た記憶がなくて、VHSでも観ていないと思う。

竹部:ということは2000年くらいにDVDが出たあたりかな。映像が綺麗になったやつ。

大須賀:そうだ。そのときに初めて『イエロー・サブマリン』を観て感動したんだよね。これはもうアート作品じゃんって。

竹部:最初に観たのは復活祭だったんだけど、あまりに画質が汚いんで、そのときはいいと思わなかったんですよ。あれはカラフルな映像で見ないと良さがわからない。DVDが出るときに映像会社の試写室で観て震えるほど感動したよ。

大須賀:「ルーシー」とか「エリナー・リグビー」とかのシーン、すごくいいよね。

竹部:それが復活祭では伝わってこなかった。話を戻すけど、復活祭の同じ空間にいたとは驚きだよね。

大須賀:マニアの秘密集会みたいな空間がたまらなかった。

竹部:隠れキリシタンみたいなね。

大須賀:妙な熱気があったよ。

ビートルズは自分なんかが弾くものじゃない

シャープのラジカセ「ザ・サーチャーWGF-828SB」

竹部:ギターを始めるのはそのあとくらい?

大須賀:そうだね。中学のときに「ギターが欲しい」って親にねだったら、「ギターなんか与えたら勉強しなくなるから、高校受かってから」って言われていて、ようやく高1で買ってもらえたの。

竹部:フォークじゃなくてビートルズを弾いたの?

大須賀:ビートルズは神格化していたから、自分なんかが弾くものじゃないと思っていて、だから最初に弾いたのはフォーク。あと、ロックバンドに入りたいと思ったんだけど軽音楽部に同級生のバンドは1つしかなくて。そこにギターがむちゃくちゃ上手いやつがいて、彼が甲斐バンドのファンで、マニアックなほどの完コピをしていた。ほかに選択肢がないから、そこに入れてもらったんだ。だから、甲斐バンドは好きとか嫌いとか感じる以前に、覚えなきゃいけなかったという(笑)

竹部:そうだった。大須賀くんは甲斐バンドが重要だったんだ。甲斐バンドとビートルズといえば、81年のはじめにNHKで武道館ライブが放送されたの。その収録日が80年12月9日でさ。甲斐さんがアンコールで楽屋に戻ってきたとき、そこに置いてあった夕刊紙の一面で報じられていたのがジョンの死。そこで甲斐さんが十字を切るんだ。そのシーンが強烈に印象に残っていて。

大須賀:それあったね。さっき武田鉄矢の話をしたけど、甲斐よしひろがラジオでジョンの死を語っていたのもよく覚えてる。僕はまだビートルズの入口に立ったばかりだったから自分では正直ピンと来てなくて、「この人たちがこれだけ言うんだから、これは大変なことが起こったんだ」と思った。

竹部:そんな甲斐バンドのコピーをしたあと、間もなくしてオリジナルも作り始めるんですよね? ぼくが大須賀くんと初めて会ったのって85年なんだけど、その時点で完成度の高いオリジナル曲を宅録で作っていたでしょ。MTRで録った音源だよね。いい曲で驚いたんだ。ぼくがやっていたバンドは、カセット2台を駆使した原始的な多重録音だったから、そこに江戸川と練馬の違いを感じたよ。

大須賀:でも、カセット遊びからラジオ番組やラジオドラマを作って、ミニコミ誌を作って、オリジナル曲を作ってというように、練馬と江戸川で同じようなことをやっていたのが笑えるよね。

竹部:ほんとうに。

大須賀:MTR導入前は蒔田が持っていたスーパーラジカセという機材で多重録音していたんだ。ラジカセなのにリバーブがかけられてオーバーダビングできる画期的な代物でさ。それを使ってしばらくやったあとに4トラックのMTRを買うんだよね。当時はまだ高かったよ。

竹部:大須賀くんの作る曲はメロディも構成もアレンジもしっかりしていて、センスの良さと鍛錬のあとがうかがえた。誰かの影響があっての作風だったのかな。

大須賀:別に誰かの影響を受けたという意識はないんだけど、まわりからはよくはっぴいえんどや大滝詠一っぽいって言われていたけど……。

竹部:そうなんだ。でも、80年代半ばにはっぴいえんどを意識的に聞いて、評価していた人って少ないよね。我々世代はとくに。

大須賀:少数派だったと思う。ぼくもはっぴいえんどを聴いたのは大学生になってからだから。

竹部:今みたいに重要なバンドみたいな扱いではなかったよね。レコード屋でもあまりレコードを見かけなかったし。自分が最初にはっぴいえんどを聞いたのは、83年か84年あたりにNHKFMでやっていた『細野晴臣の作曲家講座』って番組だった。そこで細野さんがはっぴいえんど「春よ来い」を流したんだ。「自分のルーツです」って感じで。それからレコードを探したけど、何を買ったらいいかわからなくて、偶然見つけた『CITY』を買った。85年の再結成だって別にピンと来てなかったよね。

大須賀:はっぴいえんどの良さがわかるのは90年代に入ってからだよ。だから、なんで似ているって言われるのか分からなくて。そもそもあんなすごいことしてないしね。

竹部:でもその時期にはっぴいえんどを引き合いに出されていたとは周囲の文化度が高さを思わせるよ。それで自分で作った曲をオーディションやコンテストとかに出したりしていたの?

大須賀:さっき言った高校の軽音楽部のバンドで、自分の作った曲の演奏のテープをヤマハのイーストウエストというオーディションに送ったの。「甲斐バンドの完コピ以外やりたくない」っていうリーダーを、曲の出来で納得させたんだよ。すごいでしょ(笑)。そうしたら第一審査を通って、渋谷のエピキュラスに呼ばれて、プロが使う録音スタジオでお偉いさんを前に演奏をしたんだよ。

竹部:そんなことがあったんだ?

大須賀:2曲演奏した後に、コントロールルームで聴いていたその人たちがぼくらにこう言ったんだ。「君たちは音楽をやっていて楽しい?」って。難しい顔して、怒っているような雰囲気で演奏していたんだろうね(笑)。当時はロックバンドって笑っちゃいけないと思っていたから。

竹部:ザ・モッズも「笑いながら演奏するな」って言ってた。『明星』で読んだ覚えがある。

大須賀:「楽しいか?」って聞かれても、こちらとしては「楽しいです」と言うしかないわけで。そうしたら「もっと楽しそうにやればいいんじゃない?」というようなことを言われて、ほめ言葉がひとつもなかったから、落ちたと思っていたら案の定落ちた。

竹部:貴重な経験だね。

大須賀:それが高3のときかな。そのあとに大学に入ってからさっき名前を出した大武と本気でバンドをやっていくの。

吉祥寺のOtuka Recordで買った『セッションズ』

東京極楽カンパニーの会報

竹部:それが東京極楽カンパニー。プロデビューするのかと思っていたよ。

大須賀:国立の「リバプール」っていう結構有名なライブハウスでずっとレギュラーでやっていて、レコード会社の人が何人か来てくれていたんだけど、いちばん熱心だったのがビクターだった。そこのディレクターに気に入られて、ビクターから出ていた『Ya&Ya』っていうビデオマガジンに収録されることになったんだ。そのビデオマガジンの1位になったりして。あと、大東文化大の文化祭に呼ばれたとき、アマチュアのバンド3組とプロのバンドとの対バンだったんだけど、そのとき人間椅子と一緒になった。あと同じ時期に、ブラボーとも対バンした。

竹部:懐かしい。ハイになりましょう、だよね。人間椅子もブラボーも『イカ天』出身だったよね。

大須賀:ブラボーに気に入られて、「一緒にライブやりましょう」って言われてた。あと、間接的に『イカ天』に出ないかという話も来ていて。でも、物怖じしていたんだろうね。どちらも出なかった。結局そこ止まりだった。なぜプロにならなかったのか、というと、個人的には正直無理だって思ったんだ。いざそのレベルまでいくと、対バンのレベルが高いわけ。そこでやっぱり違うって痛感させられるの。

竹部:技術的なこと?

大須賀:技術もそうなんだけど、そうではないことのほうが大きいかな。要は練習したら技術的には上手くなるかもしれないけど、そういうことじゃなくて、やっぱり世に出る人というのは、そういうように生まれてくると思ったんだ。自分はどんなにプロになりたくても、そっちの人種じゃないって。

竹部:でももったいなかったよね。リバプールやLa.mamaでやっていたライブは本当に素晴らしかったからさ。でも未練はなかった?

大須賀:所詮一般人。人種って努力で変えられない。そう思ったんだ。バンドを辞めたときは気持ち的にはボロボロだったよね。

竹部:その後は宅録モードに入るわけ?

大須賀:そう。就職して仕事を始めたら、その給料で機材買えるなと思って。最初に8トラのMTR買ったんだ。2、30万したじゃないかな。そこから高いリズムマシーンも買って、本格的に宅録を始めるわけ。

竹部:それを今でも続けているっていうのはすごいね。

大須賀:何回も思うんだよ。時間と金の無駄だからやめよう。誰も聴きやしないんだし。でも、そういうことじゃない。なんか楽しいんだよね。盆栽みたいなものかもしれないな。別に盆栽って誰かに見せて回るわけじゃないでしょ。まぁ友達やバンド仲間の数人には「聴いてみて」って押し付けちゃうけど、それは自宅の庭に友だち呼ぶようなもので。

竹部:たまに聞かせてくれる音源は相変わらずクオリティは高いよ。でも、仕事場で若い人に自分が昔バンドやっていたことを話しても驚かれるでしょう。理解されないでしょ?

大須賀:たまにギター触ると「弾けるんですか?」って驚かれて「どういう音楽やっていたんですか?」って聞かれても説明に困るの。

竹部:東京極楽カンパニーの音楽は一言で説明できないよ。アクトも入っていたからね。東京極楽カンパニーの頃は、ビートルズは聞いてたの?

大須賀:いろいろな音楽と並行して聞いていたよ。オリジナルアルバムを一通り集めたあとは、アルバムに入っていないシングルのB面が聴きたくて、編集盤を買ったり。1曲聞きたいがために『ヘイ・ジュード』とかの編集アルバムを買うという。

竹部:「イエス・イット・イズ」とか「バッド・ボーイ」とかね。

大須賀:そう。それでやっとLPを集めたころにCDが出て、今度はCDを集め始めて。いっぺんに全部は買えなかったけど、3枚ずつぐらい買っていたかな。赤い帯のやつ。何より『パスト・マスターズ』は嬉しかったよね。シングルB面が全部入っていたから。

竹部:それはみんな言うね。

大須賀:あと『サージェント』のパッケージが豪華なのがよかった。

竹部:最初のCD化は『サージェント』ありきの企画だったんだもんね。そういえば、大須賀くんはCD化が始まる少し前に出た『セッションズ』を買っているんだよね。この間、この連載のために『セッションズ』のリリース日を調べていたときに、大須賀くんの部屋で見たことを思い出して、すぐに連絡したら、86年6月に『セッションズ』を買ったメモが残っているって教えてくれたんだよね。

大須賀:海賊盤は買わないって決めていたんだけど、『セッションズ』だけは買ったの。いや、買わないって決める前に『セッションズ』は買ったんだ。レコードを一通り集めると買いたいレコードがなくなってくるじゃない? でもビートルズのレコードは買いたい。そんなタイミングでリリースされたのが『セッションズ』だった。あと、親父の会社が西新宿にあったから、しょっちゅう西新宿に行っていたんだ。あのあたりにあったレコード屋に寄ると、ほかのレコード屋では見たことないジャケットがたくさんあって、そこで海賊盤の存在を知るんだよね。

竹部:でも『セッションズ』を買ったのは吉祥寺だったんでしょ?

大須賀:吉祥寺も好きで、しょっちゅう行っていたから、吉祥寺のOtuka Recordっていう店で『セッションズ』を買ったんだ。『リターン・トゥ・アビーロード』という海賊盤も一緒に買った。『セッションズ』はむちゃくちゃクオリティ高い曲ばかりと思って感激したよ。「リーヴ・マイ・キトゥン・アローン」とか「ノット・ギルティ」とか。

竹部:あの頃のファンにとって『セッションズ』は重要だよ。そして、なんといっても西新宿の存在だよね。自分も最初に勤めた会社が西新宿だったから、しょっちゅう寄っていたよ。まだ小滝橋通りにロフトがあった頃。

大須賀:ただ、当時の自分はミュージシャンになりたいって思っている一種の中2病の時期だから妙に真面目なところがあって、将来は著作権を持つ人間になるから、っていう理由で海賊盤は敵視しはじめて否定しだすんだ。

竹部:まじめだよね。

ビートルズしか聞かない人生は嫌だから

ジョン・レノン『ライブ・イン・ニューヨーク』VHS

大須賀:あともうひとつは、ビートルズしか聞かない人になっちゃダメだっていう気持ちがあった。使えるお金に限りがあって、聞く時間にも限りがあるから、海賊盤まで聞き始めたら、きりがないじゃん。ビートルズしか聞かない人になっちゃうなと思って。

竹部:それは思うよ。自分がビートルズしか聞かない人間だったら、どんなにコレクションが増えていたかなって。でも、振り返ってみると、ビートルズしか聞かない人生じゃなくてよかった。

大須賀:そうなの。そう。だから、ビートルズしか聞かない人生は嫌だから、どっかで線引かなきゃいけないと思っていたんだよ。でも、『ビートルズ海賊盤事典』は買ったよ。あれはジャケもいっぱいで、解説もいっぱいで、おもしろい本として買ったんだ。

竹部:名著だからね。今回、『セッションズ』の記事を書こうと思って、いろいろ調べていたら、実際に出回った時期が不明なの。85年っていうのが定説なんだけど、85年10月に出た『ビートルズ海賊盤事典』には載っていないの。おかしいなと思って、大須賀くんに聞いたら「買ったのは86年6月10日」って教えてくれて。念のために藤本さんに聞いたら85年の12月って言っていて。だから85年の末に店頭に並んだってことが分かった。

大須賀:なるほど。話のつじつまが合うんだ。

竹部:こういうのは聞き取りで調べていかないとわからないんだ。海賊盤は記録がないから。で、ぼくが大須賀くんのひばりが丘のアパートに通ってミニコミ誌の編集作業やっていたのは85年から86年にかけてだったということもわかった。

大須賀:ミニコミ誌『プール』の創刊は86年秋だと思う。

竹部:今振り返ってもその頃ってビートルズ史の暗黒時代だったよね。87年のCD化前はリリースニュースもなくて、元メンバーのソロ活動も地味になって、復活祭はマニアな秘密集会みたいで。完全に昔のバンドっていう立ち位置だった気がするんだ。ファンも肩身が狭いみたいな。そこでひとりビートルズを話題にしてくれていたのが『ロッキング・オン』の松村雄策さんだったんだよね。『ロッキング・オン』の話に戻るけど。

大須賀:すごく覚えているのは、松村さんがなにかの曲のステレオバージョンを見つけたって大興奮した原稿。詳しいこと忘れたけど。

竹部:たしかにあった。「ディス・ボーイ」のステレオをどこどこの国の編集盤で見つけたみたいな。

大須賀:あの頃、そういう聞き方している人っていなかったよね。

竹部:それを一般のロック誌で書いている人はいなかったように思う。ぼくはコンプリート・ビートルズ・ファンクラブに入っていたからステレオとモノの違いは把握していたんだけど、最初はモノのよさが全然わからなかった。82年と86年に赤盤がモノで出たからファンの間でも徐々にモノを聞く意識は高まってきて、CD化の際の初期4枚がモノだったでしょ。ここでモノが市民権を得る状況にはなったよね。

大須賀:そう、80年代にモノのアナログ再発が2回あったんだよね。

竹部:その再発盤、中古市場でとんでもなく値があがっているでしょ?

大須賀:高騰しているよね。

竹部:あのときちゃんと揃えておけばよかった。

大須賀:僕は86年の、いわゆる「細帯」の『サージェント』と『ホワイトアルバム』だけ買った。全部買う金はなかったから。バージョン違いが聴きたくて、それが多い2作を選んだの。

竹部:モノとステレオのバージョン違いへの言及はここからだよね。

大須賀:だから当時は音がどうこうっていう観点はまだなかった。その後大人になって、オリジナルのモノ盤も買ったし09年のリマスター・モノCDも買ったけど、僕の結論としては、まぁ平凡な答えで申し訳ないんだけど、ジェフ・エメリックが手掛ける前のアルバム、つまり『ラバー・ソウル』まではモノの方が良いと感じる。初期は当時の録音手法としてスタジオの音全体をライブ感を含めて録っていて、まぁ要するにスタジオライブの延長だよね。だから、モノの方がバンド全体の音がカタマリとしてこちらに飛んできて、迫力があって良い。『リボルバー』以降はジェフが当時としては画期的な録り方をしていて、スタジオの残響感を入れずに各楽器をきっちり分離して、それを音像に再配置している。ライブとは別物の録音作品としてデザインされているんだよね。だからステレオの方が楽しい。

竹部:そういう基準なんだ?

大須賀:そう。80年代半ば、松村さんはステレオバージョンを見つけたってすごく喜んで書いていたのが印象的だったから、その後に「モノの方が偉い、こっちが本物だ」っていう流れになったときにはずいぶん戸惑ったよ。

竹部:自分も東芝の国旗帯世代だから、やっぱりステレオに馴染みがあるんだよね。モノというか、UKオリジナルが評価されるようになったのは90年代以降だよね。『レココレ』でビートルズを扱うようになるのもそれ以降だし、90年代以降にマニアな研究が進んで行くんだよね。そういう意味では和久井さんの『アップル・マテリアルズ』は画期的だった。自分は90年のポール来日時に知り合ったビートルズファンの大野さんって人の影響が大きくて、その人の家に行ったときに驚いたの。各国盤がずらりと並べられていて。レコードってこういうふうに集めるものなんだって。それで91年に初めてイギリスに行くんだけど、そこから数年でUKオリジナルを一通り集めたんだ。

大須賀:そうなんだ?

竹部:この話は尽きないんですよ。90年代初めにイギリスでどうやってUKオリジナルを買ったかって話は。大須賀くんはいつからUK盤を買うようになったの?

大須賀:ぼくがUKオリジナルを集め出したのは、2000年近くになってからだったと思う。高田馬場のビートルズ研究所で買っていたよ。一時期は毎月のようにビートルズ研究所行っていていいお得意さんだったと思う。そういえば竹部くんとビートルズ研究所で偶然会ったことあったよね。びっくりしたよ。

竹部:そんなことあったっけ? ところで、今でもビートルズ聞きます?

大須賀:結構聞く。モノのレコードはちゃんとモノカートに変えて聞いてるし。

竹部:やっぱり違うわけ?

大須賀:違う。やっぱり音のガッツ感が違うよね。スピーカーの真ん中にドン!と。そして左右の広がりではなく、奥行き。本当にこだわる人はモノ用のセットを別にしてスピーカーも1つで聴くんだろうけど。

竹部:CDはどう?

大須賀:CDは09年のマスターを聴く。09年のリリースはステレオもモノも画期的だったよね。それ以降はジャイルズがいろいろデラックス・エディションでリミックスをやっているけど、それはそれとして、09年盤が基準だよね。最強だと思うよ。

竹部:ぼくも好き。09年のモノとステレオを買えばもう十分という気がする。それにしても、ビートルズはソロも含めていろいろ出ているよね。

大須賀:最近だとジョンの『パワー・トゥ・ザ・ピープル』。すごく気になっているんだけど、それはなぜかというと、『ワン・トゥ・ワン』は個人的に思い入れがあるんだ。このVHSが出たとき、必死になって見たんだよね。何度も観たからジョンのちょっとした仕草まで覚えていて。自分の中のジョン・ラブの原点はこれなのよ。

竹部:それはわかる。自分も『ワン・トゥ・ワン』には思い入れあるよ。80年代最初にフィルムコンサートで汚い画質の映像を観て、海賊盤で汚い音質の音源を聞いていたから。なのに、というか、だからこそかもしれないけど、86年の正規盤を聴いたとき、なんかがっかりしたんだよね。

大須賀:同じく。なんかすっきりしていて。ジョンが「カム・トゥゲザー」を歌うとき、高音がきつくなってオクターブ下げるのよ。それが嫌だった。

竹部:当時、松村さんも「このような無残な姿を見せてしまっていいのだろうか」って書いていたし。

大須賀:でも今回のはいいんだよ。YouTubeで見たら画質も音質もめちゃくちゃ良くなっていて、音圧が気持ちいい。ロックしてるなって。『パワー・トゥ・ザ・ピープル』は全音源が入っていて、おまけも入っていて、アートワークもかっこよかったからボックス買っちゃおうかなって。

竹部:「女は世界の奴隷か」は入っていないんだけどね。それに今度『アンソロジー』が出るでしょ。ビートルズは終わらないよね。今後の終活に向けてのビートルズライフはどう考えてます?

大須賀:なんか、細かい情報の研究とか新しいミックスとかはもう良いかな、という感じ。もちろんそういうことをしている人や新しいバージョンの発売を否定しているわけではなく、それはそれで楽しいけど、ぼく自身はそこを追いかけるのではなく、09年リマスターまでのオリジナルのミックスを丁寧に聴いていこうという気持ちになってる。

竹部:熱心な人の研究や指摘は気になって見たり読んだりするよね。感心しちゃう。

大須賀:だから『ラブ・ソングス』みたいなCD化されていないベスト盤や、赤盤・青盤とか、シングル盤とか、そういうのも含め、今まで辿ってきた盤をしっかり味わって聴いていきたいなと。

竹部:『ビートルズ・バラッド』とか『ロックンロール・ミュージック』とか、いいんだよね。

大須賀:うん。自分のラックにある、レコードのたまにしか聞かない盤とかって、「これ死ぬまでにあと何回聴けるかな?」って思うからね(笑)。

竹部:それは思う。でも断捨離はしたくないね。どうにか維持していきたいな。

大須賀:そうだね。

竹部:今日はどうもありがとうございました。知り合いなのに知らない事実がたくさんあって楽しかったです。

大須賀:こちらこそありがとうございました。

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