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日本最古のダム式ため池「狭山池」とは 〜行基・重源・片桐且元が支えた1400年の歴史

草の実堂

画像:狭山池 ※筆者撮影

狭山池(さやまいけ)は、飛鳥時代の7世紀前半に築造された、現存する日本最古のダム式ため池です。

約1400年にわたり地域の農業を支え、その長い歴史の中で、僧侶の行基や東大寺再建で知られる重源、豊臣秀頼に仕えた片桐且元らによって、何度も大規模な改修が行われてきました。

現在は洪水を防ぐ治水機能も備えた狭山池ダムとして活用され、発掘された堤防や木樋などは、狭山池博物館で保存・展示されています。

今回は、古代から現代まで改修を重ねながら使い続けられてきた狭山池の歴史を紹介します。

日本最古のため池・狭山池とは

画像: 狭山池東側から西方向 ※筆者撮影

狭山池は、飛鳥時代の7世紀前半に築造された、現存する日本最古のダム式ため池です。

堤防を築いて水をせき止め、雨水や河川の水を貯める構造になっています。

特に雨の少ない時期にも安定して水を供給できたため、農地の拡大や農業生産の安定にも大きく貢献してきました。

その後も何度も改修が行われ、約1400年にわたって維持されています。

こうした長い歴史と大規模な貯水施設が残ることから、日本の土木技術の発展を伝える重要な遺産とされています。

飛鳥時代、狭山池の誕生

画像:狭山池博物館で展示されている各時代の地層 ※筆者撮影

狭山池は、飛鳥時代の7世紀前半に、農業用水を確保するため築造されました。

池の東樋から発見された木材を年輪年代測定したところ、推古天皇24年(616年)に伐採されたことがわかり、築造年代を示す重要な証拠となりました。

堤防には、木の枝葉を敷き重ねながら土を固める「敷葉工法」が用いられています。

これは、布状の補強材を土の間に挟む現代のジオテキスタイル工法に近い原理です。

この技術は朝鮮半島から伝わったと考えられ、当時の高度な土木技術と大陸との交流を示しています。

古事記・日本書紀に記された狭山池

画像:狭山池博物館 ※筆者撮影

狭山池は『古事記』や『日本書紀』にも登場し、古くからその存在が知られていました。

印色入日子命(いにしきのいりひこのみこと)、血沼池又狭山池を作る

『古事記』中巻・垂仁天皇の段

農は天下の大本なり。今、河内の狭山の埴田(はにだ/うえた)水少し。是を以て其の国の百姓、農のことを怠る。其れ多に池溝を開きて民業を寛かにせよ

『日本書紀』崇神天皇62年7月2日の条

このように、狭山池に関わる古代の開発や治水をうかがわせる記述が残されています。

狭山池の築造は古代国家が水を管理し、農地を広げるために進めた治水・灌漑事業の一つと考えられます。

河内地域では水田を開発して農業生産を高めるため、安定した農業用水の確保が欠かせず、ため池が重要な役割を果たしました。

狭山池はその水源として河内平野の農業を支え、古代の地域開発にも深く関わっていたと考えられます。

行基が行った奈良時代の大改修

画像: 行基・狭山池博物館内展示 ※筆者撮影

奈良時代、狭山池では堤防の決壊などを受けて、大規模な修復工事が行われました。

この改修に携わったのが僧・行基(ぎょうき)です。

行基は多くの人々をまとめ、堤防の修復や池の整備を進めたと伝えられています。

狭山池の改修は農業用水を安定して確保するために、多くの人々が力を合わせて行った大規模な土木事業でした。

さらに1990年代の発掘調査により、9世紀前半の平安時代初期にも大規模な改修が行われていたことがわかりました。

この改修には、空海とも交流のあった僧・勤操(ごんそう)が関わったとされています。

行基に続き、僧侶が大規模な土木事業に携わった例としても興味深いものです。

重源が行った鎌倉時代の大改修

画像:重源・狭山池博物館特別展チラシ ※筆者撮影

鎌倉時代には、東大寺再建で知られる僧・重源(ちょうげん)が、狭山池の大規模な改修に携わりました。

狭山池改修碑には、重源が堤防を修復し、農業用水を確保するために尽力したことが記されています。

改修では、古墳時代の石棺を樋の一部に再利用するなど、当時の工夫を凝らした土木技術が用いられました。

重源による改修によって狭山池はよみがえり、再び地域の農業を支えるようになったのです。

豊臣秀頼と片桐且元による慶長の大改修

画像:狭山池博物館で展示されている片桐且元の足跡 ※筆者撮影

1608年、豊臣秀頼の命を受けた片桐且元らによって、狭山池の大規模な改修工事が行われました。

これを「慶長の大改修」といい、堤防の修復や水利施設の整備が進められました。

特に特徴的なのが、池の水を効率よく取り出すために設けられた「尺八樋(しゃくはちどい)」です。

これは堤に縦向きに設置され、上下に設けられた複数の穴へ栓を差し、水位が下がるのに合わせて上から順に栓を抜いて水を流す仕組みでした。

この改修で整備された木樋などは、発掘後に保存され、狭山池の長い歴史と当時の高度な土木技術を伝える重要文化財となっています。

平成の大改修と狭山池ダム

画像:狭山池西側から東方向 ※筆者撮影

1988年から14年にわたって行われたのが、平成の大改修です。

狭山池の治水機能を強化し、洪水から地域を守るための整備が進められました。

工事に伴う発掘調査では、古代から近世にかけての堤防や樋などが見つかり、狭山池が約1400年にわたって改修を重ねてきたことも明らかになりました。

狭山池ダムとしての機能を整える一方で、歴史的な堤防や出土品を保存し、その価値を未来へ伝える取り組みも進められました。

そして工事が完成を迎える前年の2001年には、狭山池博物館が開館しました。

狭山池博物館と未来へ受け継ぐ文化遺産

画像:狭山池博物館開館25周年記念式典 ※筆者撮影

狭山池博物館では、発掘調査で出土した古代の樋や堤体などが展示され、約1400年にわたる歴史を身近に学ぶことができます。

2015年には、その歴史的・文化的価値が認められ、狭山池が国の史跡に指定されました。

博物館も地域の人々に親しまれ、2026年には開館25周年の記念式典が行われました。

このように狭山池は、歴史遺産として守られるだけでなく、今も地域社会に役立つ生きた文化財として受け継がれています。

なお、狭山池博物館は現在改修中で、2026年8月末まで工事休館の予定です。

参考文献: 古事記、日本書紀、富田林市史、大阪狭山市公式サイト、狭山池博物館の展示資料
文 / 奥河内から情報発信 校正 / 草の実堂編集部

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