冬はお風呂でパーティーだ――【連載】奈倉有里「猫が導く妖しい世界」#10
この連載では、スラヴの昔話からやって来た物知り猫“バユーン”が、ロシア文学研究者・奈倉有里さんとともに皆さんを民間伝承の世界へとご案内します。
今回はどんな不思議に出会えるでしょうか?
※2025年度『まいにちロシア語』テキスト1月号より抜粋
(スラヴ:ロシアやウクライナ、ポーランド、ブルガリアなど、ヨーロッパ東部から北アジアに広く分布する、スラヴ系諸語を話す人々の暮らす文化圏)
第十回 お風呂の妖怪
お湯が出ない
昨年の暮れ、雪がどさどさと降るなかで、急にお湯が出なくなってしまった。築百年に近い我が家は当然ながらあちこちにガタがきていて、ときどき思いもよらないトラブルが起きる。どうやらガスが止まっているらしく、台所のコンロも使えない。さて困った。気温はかろうじて零下には至っていないものの、雪に包まれた木の家はとんでもなく寒い。私は暖房の入る畳の部屋に避難して布団にくるまり、ガス屋さんに電話をかける。
早速かけつけてくれた二人組の作業員さんに調べてもらうと、おそらく表の道路から家まで都市ガスをひいている管の内部が経年劣化で錆びているという。もう年末の営業はおしまいなので直せるのは年明けになると聞いて、まっさきに思ったのは「お風呂……」。お風呂に入れずに年を越すなんて……。
とりあえず近くのホームセンターで湯沸かしポットとカセットコンロを買ってきて、最低限のお湯を沸かせる状態を確保する。モスクワで暮らしていたころは定期点検のために一年に一度は必ずお湯が止まったので、湯沸かし器のお湯で蒸しタオルを作って体を拭くことには慣れている。だからどうにかなるといえばなるけれど、でも、あったかいお風呂に入りたいなあ。
バユーンがこたつのなかから這いだしてきて、「難儀だねえ」と他人事のようにつぶやく。「僕はお風呂なんてなくたって大丈夫だけどさ」なんて。なに言ってんの。たまにお風呂で洗ってあげると、バユーンははじめのうちは嫌だ嫌だって大騒ぎするくせに、だんだん気持ちよくなってゴロゴロのどを鳴らしはじめるじゃないの。
私は畳にごろんと仰向けになって、こたつから出てきたばかりのほかほかのバユーンをマフラーがわりに胸元にのせて、「つくづくお風呂ってすごいよね」と話しかける。体があったまってきれいになるだけじゃなくって、なんかこう、心がすっきりするもんね。
いくらお風呂を褒めたってお湯が出るようになるわけじゃないのに、ないとなるとお風呂のことばかり考えてしまう私に、バユーンは「じゃあお風呂の妖怪の話でもしようか」と提案し、いいね、と私は答える。お風呂の妖怪っていうからには、きれい好きな善い妖怪に違いない。しかしその予想をわざと裏切って面白がるみたいに、バユーンはいたずら顔で、「あるところに、人が体を洗ったあとの汚れたお湯が大好きな、世にもばっちい妖怪がいました……」と語りはじめた。
妖怪たちのお風呂パーティー
私は思わず、(お風呂にそんなに汚い存在が棲んでるなんて、いったいどういう発想なのよ)と考えたが、ふと日本にも「垢嘗(あかなめ)」というのがいたのを思いだした。風呂桶にたまった垢を舐めるという、あれもまただいぶ気持ちの悪い妖怪で、いま聞いた、人が洗ったあとのお湯で体を洗う妖怪とよく似ている。「清潔にしておきたい」という人間の心理が「不潔にしたらお化けが出るぞ」という恐れに結びついて、不浄な妖怪が生まれるんだろうか。
バユーンは、「その名もバンニク(банник)、バーニャ(баня)に出るからっていう、例によって単純な名前だね」と続け、バンニクの説明をはじめる。ちなみに「バーニャ」はロシアに昔からある蒸し風呂の一種で、石のかまどを熱してそこに水をかけて室内を熱する。この蒸し風呂の中では木の枝を束ねた箒のようなもので体をバシバシ叩いて血行を促進するという習慣がある。バンニクは、みんながお風呂に入ったあと、夜遅くになると現れて、洗面器に残ったお湯でひっそりと体を洗っている。見た目は痩せた裸のおじいさんだけど、姿を消せる赤い帽子を持っていて、かぶると消えて見えなくなる。気が向くと夜半過ぎに妖怪を集めてお風呂に入れてやることもあって、そういうときは座敷童のドモヴォイや寂しがりのキキモラや、ほかにも森や沼地の妖怪たちが集まってきて、みんなでお風呂に入る。いかにも楽しそうな妖怪のお風呂パーティーだが、人間が覗くと中に引きずり込まれ、小枝の箒でさんざん叩きのめされて、下手をすれば死んでしまうらしい。
「なんか油断大敵っていう感じの妖怪だね」と私は合いの手を入れる。家を守るドモヴォイと同じでバンニクもやっぱりお風呂を守っているんだろうけど、火を使う場所は危険だし、極寒の外気との温度差が命とりになることもあるし、決して完全に安全な場所ではない。それに昔はバーニャでお産をすることもあったとか、旅人を泊めることもあったとかいう話も聞く。つまりは生と死、火と水、暖と寒、内と外といったさまざまな境界に接する場所で、しかもそこで人は素っ裸に──きわめて無防備な状態になるわけだから、警戒心がはたらくのはよくわかる。そしてそういう場所には妖しい存在がつきものだということも。
「でもバンニクは昔ながらの妖怪だから、塩を盛ったパンっていう古典的なもてなしの供物を置いておくと、機嫌がよくなるんだ」とバユーンは付け足す。パン(хлеб)に塩(соль)っていうのは、海が遠く塩が希少だったスラヴの内陸でお客さんへのもてなしの象徴とされてきた有名なもので、もてなしを表す形容詞(хлебосольный)にもなっている。
こたつは小さな蒸し風呂か?
間違って深夜にお風呂場を覗かなければ、そんなに怖い存在でもなさそうだな、と思いながら、胸元にのったバユーンの背中を撫でる。閉めた障子の向こうでは風と雪が強くなり、びゅうびゅう唸っている。外は寒くても、猫をのせて足をこたつに突っ込んで寝転んでいる私のまわりはあたたかく、加えてお湯の出ない年の瀬にこうしてバユーンとお風呂の妖怪の話をしていること自体がじんわりと嬉しくて、妙にありがたい気がしてくる。
その感覚にあやされるようにうとうとしながら、それでも湧いてくる「お風呂に入りたい」気持ちを、自分なりにひもといてみる──心がきれいになると感じているのはなぜだろう。私はなにを洗い落としたいのだろう。困難や厄災だろうか、不安や悲しみだろうか。
ううん、そんなにたいそうなものを落としたいわけじゃないんだ。しいていうなら、自分がどこかから気づかずに背負ってきてしまった、感情の荷物のようなもの。裸になってお湯に浸かって、曇りガラスの向こうに降る雪を感じて、その荷物が軽くなるのを待つ。あとのことはどうにでもなる、いや、むしろ私がどうにかしてやる、と思えてくるまで。
「いまごろうちのバンニクも、お湯が出るようになるのをお風呂で首を長くして待ってるんじゃない?」とつぶやくと、バユーンは「どうだろうね、お風呂場は冷えきってるから、案外こたつのなかで暖をとってたりして」と笑い、その瞬間、こたつに突っ込んでいた足になにか毛むくじゃらのものが触れた気がして「ひゃっ」と思わず声が出る。バユーンはそしらぬ顔で「あ、そうそう、もしバンニクの手が女の人の足に触れた場合、つるつるの手なら貧しい花婿、毛むくじゃらの手なら裕福な花婿、濡れた手なら酒飲みの花婿が来るって言い伝えがあるんだよ」などと言っているけれど、私の足に触れたものをもう片方の足で探ってみると──ふさふさの、触り慣れたバユーンの尻尾である。胸元のバユーンのおしりを触ると、やっぱり。尻尾が消えている。バユーンも立派な妖怪なので、尻尾だけこたつのなかに飛ばすくらいはお手のものなのだ。
バユーンを睨み、「いたずらしないの」と叱ると、「なんのこと?」とすっとぼけて私の胸元から降り、するりとこたつに潜り込んだ。「なんにもいなかったでしょ?」と訊く私に、意地悪なバユーンは返事をくれない。やがてゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえてきたが、中を覗くのはやめておいた。こたつを蒸し風呂がわりにして、バンニクとバユーンが仲良くお風呂パーティーをしている可能性だって、なくはないんだから。
奈倉 有里
1982年生。ロシア文学研究者。著書に『夕暮れに夜明けの歌を』『アレクサンドル・ブローク詩学と生涯』『ことばの白地図を歩く』『ロシア文学の教室』『文化の脱走兵』、訳書にミハイル・シーシキン『手紙』、サーシャ・フィリペンコ『赤い十字』など。
イラスト 山田 緑
公式HP:http://midoriyamada.net/