ミスター・ラグビーこと平尾誠二もカラオケの十八番だった上田正樹の「悲しい色やね」は大阪弁を巧みに使った別れの名曲だ
「2025年大阪・関西万博」、正確には「2025年日本国際博覧会」が、大阪の「夢洲」で184日間(4月13日~10月13日)にわたって開催された。来場者からは相対的に満足という感想も多く、概ね成功裏に終わったといえよう。
会場になった人工島「夢洲」は、今後2030年を目指して、カジノやホテル、国際会議場を併設した一大エンターテインメント施設と化すらしい。5年後大阪ベイエリア地区は現在と様変わりした異国の街になるのだろうか。
大阪ベイエリアというと、思い出すのが上田正樹のヒット曲「悲しい色やね OSAKA BAY BLUES」だ。1982年10月21日リリースの本曲は、作詞・康珍化、作曲・林哲司、編曲・星勝による。康珍化と林哲司は、昭和の数々のヒット曲を生み出したゴールデンコンビである。浅野ゆう子「半分愛して」(80)が初作品で、その後、杏里「悲しみがとまらない」(83)、杉山清貴&オメガトライブ「SUMMER SUSPITION」、「君のハートはマリンブルー」(84)、「ふたりの夏物語」(84)、中森明菜「北ウイング」(84)、原田知世「天国にいちばん近い島」(84)、堀ちえみ「稲妻パラダイス」(84)、角松敏生「SINGLE GIRL」(00)などがある。
「悲しい色やね」は、大阪弁でしかも女性言葉、その上ハスキーな声で訥々とした歌唱は、一度聴いたら忘れられないインパクトの強い曲だ。夜の桟橋に車を停め、最後の会話をする男女が目に浮かぶ。別れを言い出された女性の気持ちを描いたものだろうか、自分に「泣いてはいけない」と強がるが、大阪弁で「泣いたらあかん」と堪える女性が意地らしい。標準語だと「なのだ」となる語尾を「~ねん」と言われると親しみやすく、そのうえアクセントが軽快で優しさを感じさせる。
大阪をテーマにした曲は、「大阪で生まれた女」(BORO)、「ふたりの大阪」「大阪しぐれ」「浪速恋しぐれ」(都はるみ)、「大阪エレジー」(シャ乱Q)など数あれど、私の中では大阪ソングというと「悲しい色やね」になっていた。
長い間上田正樹は大阪生まれだと思い込んでいたが、1949年京都市生まれだった。そしてザ・タイガースで一世を風靡し、ソロ歌手として今でもステージに立つジュリーこと、沢田研二も1948年京都市生まれだが、何と二人の家は近く年少の頃はよく遊んだ仲だったという。
上田は、医師の父を早くに亡くし、姫路、高山と移り住んだ。そして高校生の時に、イングランドのロックバンド、アニマルズの公演をみて人生が変わった。友人たちとフォーク・バンドを結成し、音楽の道へ進む。その後1974年、「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」を結成し、『ぼちぼちいこか』『この熱い魂を伝えたいんや』という名盤を残して2年で解散。その後ソロデビューするが、ヒットに恵まれず、不遇の時代から脱却できたのが、「悲しい色やね」のヒットだった。
ただしヒットまでは時間がかかった。関西のお笑い芸人さんから支持されたことがきっかけという説、札幌で火がついて大阪に飛び火したという説もある。いずれにしてもラジオの有線放送のリクエストが徐々に増えていき、リリースから半年以上してから「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」に初登場し、最高順位は6位まで上昇した。
88年には、小林信彦が発表した短編小説『悲しい色やねん』を、森田芳光監督、仲村トオル主演で映画化した『悲しい色やねん』が東映から公開された。「悲しい色やね」は主題歌になり、高島忠夫と政宏親子共演、石田ゆり子、藤谷美和子、森尾由美、秋野大作、小林薫が出演。上田も出演者の一人に名を連ねている。かつてない極道の世界をユニークに人間味溢れる世界に仕上げた作品で、あらためて配信で鑑賞したが、当然のことで出演者が若い。上田がどこで出ていたのか気づかないほど、映画に同化していたが、主題歌「悲しい色やね」は、哀愁を漂わせていた。
ところで、「悲しい色やね」は、カラオケで歌われる方も多いことだろう。その一人に、ミスター・ラグビーこと、亡くなった平尾誠二がいた。命日の10月20日はラグビーファンにとっては特別な日だ。筆者も神戸製鋼ラグビー部、もちろん平尾ファンで、友人たちと話題になったのが神戸製鋼で一緒にプレーをした薮木宏之の著書『平尾誠二さんのこと』(2022 講談社)だ。
薮木は平尾から、「ヤブちゃん」と呼ばれ、薮木がスクラムハーフ、平尾はスタンドオフと二人がコンビを組んだ時期もあった。引退後、薮木は広報スタッフとしてチームを支え、会社の広報部長も務めた。2016年からは日本ラグビーフットボール協会へ出向し、2019年日本開催のワールドカップでは日本代表のチームディレクター・マネージャーとしてベスト8進出に貢献した人物である。公私ともに深いつながりのあった薮木が語る平尾の素顔は新鮮だった。
「ヤブちゃん、ちょっと家へ来てくれるか」との電話で新婚の平尾家に駆けつけると、頼まれたのはスズメバチの退治だったこと。試合に向かう途中、平尾は薬局を見つけると、「ユンケル二つ」と叫んで2本を飲んで試合会場に向かった。試合後は一緒に食事をして、三宮のなじみのバーに向い、カラオケを歌う。十八番の一曲「悲しい色やね」を歌う平尾の声は美声で、その上手さに驚かされたとか。まだまだたくさんの逸話があるが、ダンディな平尾の知られざる一面に笑みがこぼれた。
目を閉じて「悲しい色やね」を聴いていると、マイクを持った平尾の姿が浮かんできた。歌う姿もきっと身震いするほど格好良かったに違いない。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫