文字通り小高くて平らな「小平市」は緑道天国でコミュニティの活動が盛ん! 江戸時代からの街づくり編【多摩のA面】
東京都の西側、多摩地域全30市町村を歩き回って徹底調査する【多摩のA面/たまらんB面】。第2回は「小平市」。津田梅子ゆかりの津田塾大や、地元産果物を使用した新たなクラフトビール、そして癒やしの緑道も! また、FC東京のホームタウンの1つでもあります。初めて訪ねる人にもおすすめの街の見どころ、【小平市のA面】をレポートします。
【多摩のA面/たまらんB面】とは
東京都の西側、23区以外のエリアにあたる多摩地域。このエリアに越してきて日が浅い筆者が、30市町村を1つずつ歩き回って調査! 1つの市町村ごとに街の見どころを紹介する【A面】と、気になるテーマを深掘りする【B面】の二部構成でレポートします。
小平市 DATA
面積……20.51平方キロメートル
人口……19万6799人(2025年1月現在)
新五千円札の顔・津田梅子ゆかりの津田塾大がある市
今回巡る自治体は、「小平市」。
近年、小平市にスポットが当たったのは、新紙幣発行の時でしょうか。
新五千円札の顔・津田梅子といえば津田塾大学の創設者ですが、現キャンパスは小平市内にあるのです。お札がリニューアルされた2024年には、小平市役所に五千円札を模した顔出しパネルまで現れたとのこと!
また、比較的知られているネタとしては「ブルーベリー栽培発祥の地」ということ。ブルーベリーでの町おこしが盛んで、今も果樹農園が多いです。さて「小平市」、どんな市なんでしょうか。今回はまず、市役所へ!
「荒れ果てたこの地に」なにやら気になる市民憲章
おや? 役所の手前の掲示板に「市民憲章」という標語を発見。よく読んでみると……。
その前文が、なかなか壮大だったのです。
「わたくしたち小平市民は、三〇〇年前、荒れ果てたこの地に、はじめてくわを打ち込んだ先人たちのたくましい開拓精神を受け継ぎ、新たに迎える多くの市民とともに〜(以下略)〜」
北海道の原野を切り拓いた村のようなフロンティアスピリッツが! どんな成り立ちでできたのか。市役所の裏手にある中央図書館に駆け込み、市史を調べずにはいられませんでした。
名は体を表す!? 武蔵野台地上の小平市はホントに平ら
基礎情報として、小平市の市名を冠する「小平駅」までは、新宿から西武新宿線で25分ちょい。しかし、この「小平駅」が随一の中心駅!……ってわけでもなく、同規模に栄えた個性的な駅がたくさん存在する、拠点分散型の市といえそうです。
その傾向は、市制が敷かれる前からあったようで……。
前身「小平村」は、明治22年(1889)に一帯の7つの村がまとまって成立。どこか1つの商業的中心地が核となってはいないのです。
「小平」という地名の由来ですが、近辺で最初に開拓された「小川村」の“小”という字と、あたりの地形が“平ら”だったのを組み合わせたという説が有力です。そこで、高低差を強調した地図を見てみると……。
お〜、小平市内、ちゃんと平坦!
南の国分寺市や小金井市は、「国分寺崖線」というガケの高低差が特徴的。北に隣接する東久留米市は湧水で有名ですが、中小の河川が流れ、地形もデコボコしていますね。
小平市をあらためてチェック。東南部が若干細くえぐれているのは、石神井川の源流があるから。ちなみにこのあたりは、超名門ゴルフ場『小金井カントリー倶楽部』の敷地(住所は小金井市でなく、小平市です)。ですが全体は、相当フラットと言ってもいいでしょう。
実際、取材で回るにも、坂が少なく快適でしたが……。この平坦な武蔵野台地上というのは、どのような歴史のある土地なのでしょうか。
台地に「青梅街道」と「玉川上水」が引かれて人が住み
広大な台地上にあるということはすなわち、水源から遠い条件だということ。中世までは、人気(ひとけ)のない野原だったといいます。市民憲章でいう「荒れ果てたこの地」とは、このフェーズのことでしょう。
その後、徳川家康が江戸幕府を開き、入府。
江戸への交通路として、ちょうど現在の小平市域を東西に貫通するようなルートで「青梅街道」も設定されました。今も新宿大ガードを起点とした主要道で、渋滞案内でもおなじみですよね。
「青梅街道」は青梅でとれた石灰(漆喰壁などの原料)を、江戸の町に運ぶルートとして栄えたようです。が、現在の小平周辺は依然として、乾燥した未開墾地のままでした。
ちなみに、小平市役所内にある名産コーナーには「小平糧(かて)うどん」のサンプルが。広域的な「武蔵野うどん」の一系統のようです。水耕が難しかった時代に小麦からうどんを作るようになり、江戸以降は行事食となった旨の説明がありました。
時代は下って、江戸の人口が増大すると……市中では飲料水不足が問題になりました。そこで、多摩川から東へと引かれた上水道が、かの有名な「玉川上水」です。
玉川兄弟による「プロジェクトX」さながらの難工事——の詳細はまた別の機会に!
命の水道・玉川上水が、バッチリ現在の小平市の南側を通ることになったのです。さらに、主となる玉川上水から水を分岐させて(分水)、「野火止用水」などの農業用水を行き渡らせることも可能になりました。
やっと開墾できる下地が整い、小川九郎兵衛というパイオニアが「小川新田」の開拓を始めたのが、明暦2年(1656)。また例の市民憲章に立ち返りますが——。「はじめてくわを打ち込んだ先人たちの〜」というのは、このタイミングでしょう。
やがて近代になると鉄道網が発達。先ほど「個性的」と述べた市内7駅ができていくのですが……。本当に、雰囲気がバラバラ! この7駅については、「小平市7駅を徹底調査!編」(仮)の記事で紹介します。
小平散歩あるある——あみだくじのような道と、癒やしの緑道天国
現在の小平の住宅地を散歩していると、気になる特徴がいくつかあります。
1つは、細い道が南北方向に、あみだくじのごとく延びていること(気を抜いていると、なかなか東西の横移動ができない)。
これは、江戸の新田開発時代に策定された「短冊型地割」の名残。「街道から水路」までの間の土地を、縦長に細く切り分け、入植者に渡したんだそうです。
もう1つ、小平散歩の醍醐味! それは……玉川上水や野火止用水沿いの「緑道」が素晴らしいこと! 水辺のに植えられた木々が保全されて今に至り、木陰の中を歩くと本当に気持ちいいんです。「緑道セラピー」とでも言いたいくらい。
玉川上水といえば、太宰治が入水した地点のある三鷹市が有名ですが、個人的には小平市ゾーンの緑道をもっと推したい。
また玉川上水のうち、小金井市との市境あたりには桜が植えられ、江戸時代から今に至るまで名勝「小金井桜」として花見スポットになっています(どうも『小金井カントリー倶楽部』といい、名前を「小金井」に持ってかれがちですが)。
近年は小平市も、景観のPRに熱心です。ちょうど、市の輪郭をなぞるように発達した遊歩道をまとめて「小平グリーンロード」と命名。観光マップなども出しています。
小平ってどんな雰囲気? 街を記録するユニット「のしてん、こだいら。」の集いに行ってみよう!
江戸時代の新田開発から人が住みはじめ、現在は、各駅で雰囲気の違う駅前商圏や住宅地が入り混じるエリアとなった小平市。そのさまざまな表情をつぶさに記録する、「のしてん、編集室」というユニットがあります。
活動の主軸は、市内の飲食店や生活空間の風景を、文章と写真で記録すること。
記事は公式note「のしてん、こだいら。」にまとまっています。ユニット名には、市内在住者“の視点”で日常を綴る意味が込められているとか。
皆さん小平在住ですが、地元の幼なじみ……などではないらしい。
この辺の多摩エリアは、地域講座やシェアリングコミュニティが盛んな土地柄。それぞれ別々にローカルな活動に参加していたお三方がたまたま緩く出会い、文章発信の活動をやってみよう、となったそう。
ちなみに本Webメディア『さんたつ』の「さんたつ公式サポーター」として、林さんは「ひつじ堂」、おおいしさんは「まやこ」という名前で地元記事を寄稿されています。
その「のしてん、編集室」の皆さんは、リアルイベントも行っているとか。月2回、近所の方が自由に出入りして世間話できる場で、その名も「のしてん、カフェ。」。せっかくなので、訪ねて、市の雰囲気を探ってみましょう。
開催場所は、一橋学園という駅にほど近いシェアスペース『茶間茶間』(「のしてん、カフェ。」の最新の開催情報や、イベントなどの出店情報は公式noteで更新)。
しばらく居てみると、近所の方が続々フラッと参加。毎回のちょっとしたトークテーマをきっかけに、雑談が始まります。ドリンクや軽食が売られているのも、休日の昼下がりに寄りたくなるポイントです。
「のしてん、編集室」の主軸メンバー・林さんは、「のしてん、」以外にも多数のプロジェクトに参加する行動派。その1つが、うどん活動。複数のうどん教室に通うなど研究を重ね、たまに「のしてん、カフェ。」でも自家製うどんを提供するらしい。
別日、噂の「うどん回」に伺ってみると——。本当に、林さん自ら打ったうどんを茹でていました!
豚肉や焼葱、椎茸(小平産)入りの肉汁に浸して食べる、いわゆる「武蔵野うどん」のスタンダードな食べ方。ですが、麺自体はスムースでつるりとした口触り! 林さんいわく、ここ最近のテーマは、
「硬くてゴワゴワしたのだけが“武蔵野うどん”っていう誤解を解きたいんですよ」
とのこと。
ちなみに……林さんが小平に越してきたきっかけは、愛するサッカーチーム・FC東京の練習場があることだったそう。FC東京は、ホームの味の素スタジアムがある調布市のイメージが強いですが、東京ガス(FC東京の母体)の福利厚生施設を転用した関係で、練習拠点は2002年から小平にあるんですね。
「のしてん、カフェ。」に話を戻して……お客さん同士のトークも広がり、地元ネタもちらほら。
「公立中学校の制服を採寸する業者は、小平にもう無いんじゃないですかね」
「小川駅前の居酒屋で、昼に間借り営業しているカレーがおいしい」
「ウチの子が遊んでたのは、喜平図書館の裏の『お山公園』かな」
「小平団地の中にある『UFO公園』。UFO型の遊具の中に入って空を見上げると楽しい」
「狭山・境緑道の先にある銭湯『庚申湯』がいい。近くに角打ちができそうな酒屋がある(※住所は西東京市)」
移り変わりはあるが、住宅地に根差した個人商店は健在っぽい。あと、大小の児童遊園には事欠かなさそうです。
「十二小のあたりのさ……」
え、ちょっとまって、十二小!? どうやら、小平市立の小学校名はナンバリング命名が大多数。第十五小学校まであるらしい(「花小金井小」など地名をつけたものと合わせると、市立小の総数は19校)。
何気にやっぱり広い小平市! こりゃもっと、しっかり回りきらないとダメですね。次回の追加調査を乞うご期待……!
と、その前に。今回の取材で気になったトピックを2つ、プラスαでご紹介します。
【プラスα情報①】火曜日のみ開店! ベースメントレコードショップに潜入
1つめのプラスα情報は、『ゴリポポレコード』という名のお店について。
話は、前述の「のしてん、カフェ。」の開催場所となっていた、一橋学園のシェアスペース『茶間茶間』に遡ります。
各種ワークショップの会場や、お休み処として活用されているこの『茶間茶間』。画廊時代の地下倉庫だったという空間に、毎週火曜日のみ開店するレコードショップがあるとの噂が——。潜入してみました。
地下空間に広がるお店こそが——『ゴリポポレコード』。
毎週火曜日のみ営業という『ゴリポポレコード』。
ソウル、ファンクなど海外盤の品揃えが手厚いのに加え、日本の民謡・歌謡、そしてローカルに流通したであろう校歌などの珍盤も混在。土着の香りのする音源が、地下空間にひしめいています。
店主の長井克倫さんは、グラフィックデザイナーでもあります。
米軍基地があり独自のライブハウス文化が根付く、福生市界隈のミュージシャンたちとも親交が深いそう。また、ここ数年すっかり立川名物となったネオ奇祭「妖怪盆踊り」、その2024年版アフタームービーに、制作した楽曲が採用されたことも。多摩一帯の音楽シーンに、ガツンと貢献されています!
ゴリポポレコード
住所: 東京都小平市学園東町2-4-7 B1(元・豊生画廊、茶間茶間地下1階)/営業時間:12:00〜18:00(火のみ営業)/アクセス:西武鉄道多摩湖線一橋学園駅から徒歩4分
【プラスα 情報②】 爆誕! 幻のフルーツを使った「こだいらポポービール」
2つめのプラスα情報の主役は、「こだいらポポービール」です。
先ほど登場いただいた、「のしてん、編集室」メンバーの林雅一さん。「編集室」以外にも、多数のコミュニティに所属中と書きましたが、今、アツいのが小平市内で「小平のクラフトビールを作る隊」という活動だそう。その取り組みで生まれたのが、小平産のポポーを使った「こだいらポポービール」。
不思議な響きの「ポポー」とは、果物の名前。北米原産で、「森のカスタードクリーム」とも言われるねっとりした果肉が特徴とか(アケビに近いらしい)。小平はブルーベリーをふくめ、今も果樹栽培が盛ん。最近では珍しい品種の生産も進み、希少なポポーも市内でとれます。
「市民の声を聞きながら地元ビールを作ろう!」というところをスタート地点に、プロジェクトが発足。副原料に小平産ポポーを使うことを決めたのち、醸造所探しを経て、試飲会も開かれました。ラベルデザインは、小平愛をもつ方々から寄せられた公募作品より選定。そして……! 晴れて2025年2月、「Kodaira Pawpaw Beer(こだいらポポービール)」が完成。ヘイジーIPAとヴァイツェンの2種類です。
筆者もいただきました!
どちらにも、ポポーのクリーミーな風味がほのかに溶け込んでいておいしい。気候のいい日に、ピクニックに持って行きたい感じ!
市内の小売箇所も増えていく予定とのこと。今後の展開はこだいらポポービールを作る隊のInstagramをチェック。
ポポー(怒涛?)の快進撃を期待しています!
取材・文・撮影=イーピャオ
イーピャオ
ライター
1989年東京都生まれ。週刊少年ジャンプのコラム「巻末解放区!WEEKLY週ちゃん」を連載中。小山ゆうじろう氏との漫画『とんかつDJアゲ太郎』で原案担当。個人冊子レーベル「いきいき発信プラザ21」にてZINE「多摩と酒」などを発行しています。