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人形町の伝統和スイーツ、七福神の人形焼。6つの神様しかないのはなぜ?

TBSラジオ

杉山アナが、スイーツアナウンサーとしてレトロスイーツとその店の魅力を伝え、あなたを甘いノスタルジーに誘うこの企画。

これまで、池袋『タカセ』のサバラン、西葛西『パローレ洋菓子店』のたぬきケーキ、 赤羽『プチモンド』のフルーツサンド、谷中『マミーズ・アン・スリール』のアップルパイをとりあげてきました。 そして、第5回は・・・江戸時代から続くと言われる、和スイーツ!人形焼き!

オフィス街としてビルが立ち並ぶ一方、伝統のある老舗もたくさんあり、都会であり、下町感もある不思議な街。

江戸の中心地だった日本橋。その一角にあるのが人形町です。この人形町という名前ですが、かつて人形浄瑠璃をはじめ、芝居小屋が建ち並び、人形師、人形を作る人や修理する人がたくさん暮らしたことから、俗称として人形町と呼ばれていました。それがのちに正式名称となったそうです。

TBSドラマ『新参者』の舞台でもあり、この街にいると、阿部寛さん演じる刑事がいまにも向こうから歩いてきそう。今回は、そんな人形町と、その代表的な和スイーツ・人形焼きの歴史を紐ときました。

有名店・重盛について

伺ったのは『重盛 永信堂』。安産の神様でも有名な水天宮から道路を挟んだ大きな交差点にあります。

間口が広い店先に、多くの店員さんがいて活気ある様子。お店の奥で人形焼きを作っており、ガラス張りになっていて外からもその様子が見られます。先週木曜日の午前11時ごろに伺ったのですが、お客さんがひっきりなしに訪れていました。人形焼きの歴史、お店の歴史について、4代目で、代表取締役の重盛行男さんにお話を伺いました。

「創業は大正6年。同じ通りの別の場所に店があった。関東大震災を経て、東京オリンピックの年にいまの場所に自社ビルを建てた。味や作り方はほぼ変わりなく作っている。人形焼きの発祥は、江戸時代からあったと聞いている。おまんじゅうを人形焼きと呼んでいたらしい。」

「人形町は、昔は着物屋さん、かんざし屋さん、芸者さんのいる置屋もあった。下町情緒のある商売があって、それが減ってきたが、人形町という響きがあっていると思う。生まれて74年。ほんとに大好き。」

人形焼きの発祥は、はっきりとしたことはわかっていませんが、重盛さんによると「江戸時代からと聞いている」とのこと。浅草の名物でもあり、人形町・浅草どちらが発祥かはっきりしていないようです。登録商標はなく、いろいろなお店が「人形焼き」の名前を使っているそうです。

人形町で売られている人形焼きは、七福神の形を模していますが、形をみるとモチーフは、福禄寿以外の6種類。もうひとつは「お客様が神様」という思いが込められているそうです。浅草ではハトやちょうちんの形などさまざまな形を模しています。

重盛永信堂は、大正6年創業。創業者は行男さんの祖父だそうで、100年の間、作り方や味はほぼ変わっていないそうです。お客さんは本当にひっきりなしに訪れて、どんどん回転していっていました。目の前に、水天宮があり、お参りのあとで買っていく方も多いとのこと。外国人のお客さんも多いそうで、キャッシュレス決済も完備!「出来たてをください」というお客さんもいるそう。

スタジオでも、人形焼き(こしあん)、つぼ焼き(つぶしあん)などを試食。

変わった1品として、冬場限定のジャムサンドも。お店オリジナルのミックスジャムで週1、2回焼くとのことで、手に入らないときも。

実は、人形町の人形焼は長らく、重盛を含めた3つの老舗が名物を作ってきたのですが、2018年、「人形町亀井堂」が閉店。老舗が2店舗のみとなっています。重盛ともう1つ、明治40年創業の「人形焼本舗 板倉屋」です。

「重盛」は、行男さんの息子さんや、甥っ子さんもスタッフに入っているそう。行男さんは「毎日作っていても、全く同じにはならない。でも気持ちをこめて、正直に作り続けたい」とおっしゃっていました。

今回伺った『重盛 永信堂』は、東京メトロ水天宮駅からすぐ。人形町駅から徒歩3分ほどの場所にあります。ジャムサンドは、売り切れの時もありますのでご注意ください。

「板倉屋」も同じ通りの徒歩2分ほどの距離にあります。お近くに行く際は、ぜひ、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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