進行がんで悟った「能力主義」の呪縛 「子どもを追い詰めない親の接し方」を専門家が伝授
組織開発コンサルタントの勅使川原真衣さんに能力主義の弊害や子どもへの影響を解説していただく連載第2回。勅使川原さんが能力主義の恐ろしさを身をもって感じた経験とともに、子どもを過度に追い込まない親の接し方などについてうかがいます。
【▶画像】<闘病ママの子育て> ギャン泣きの我が子を前に…産後の壮絶な日々一元的なものさしで人を比較し、序列化する能力主義。その弊害は子どもたちにも及び、不登校や生きづらさを抱える子どもは年々増加しています。しかし、大人がその問題点に自ら気づくのはハードルが高いのも事実。行き過ぎた能力主義に疑問を持ち、現在はそれに代わる「組織開発」を実践する勅使川原真衣(てしがわら まい)さんでさえ、数年前に病気で死に直面するまで、能力主義的な考えを深く内面化していたといいます。
勅使川原さんご自身のエピソードに加え、能力主義で子どもを追い込まない方法についてもお聞きしました。
進行がんで自覚した自分に潜む「能力主義」
──「行き過ぎた能力主義の問題点」を力強く指摘された(前回)勅使川原さんが、数年前まで能力主義を内面化していたとは、意外です。
勅使川原真衣(以下勅使川原):自分でも驚きました。2020年に進行がんに罹患したことで、自分自身が能力主義を内面化していることに気づいたのですが、病気のような大きな出来事がなければ、認識できなかったと思います。
私は大学院で教育社会学を専攻していました。教育社会学は能力主義に疑問を投げかけ、データを用いて反証してきた学問です。能力主義のおかしさは十分に理解しているつもりでした。
だから、就職の際は「敵陣視察」のつもりで、あえて「能力」を肯定する業界である人材系コンサルティング会社に入社しました。結局、10年くらいそこで働きましたが、能力開発では企業はよくならないことを改めて痛感したので、2017年に独立したんです。個人の特性を優劣でとらえるのではなく、組み合わせによって生かしていく「組織開発」(詳細は後述)に舵を切りました。
そこで能力主義的なものから自由になったと思っていましたが、全然そんなことなかったんですよね……。
独立後は、たくさんのクライアントを得て、一刻も早く事業を安定させなければ、という思いに取りつかれていました。とにかく働きまくっていた一方で、小学生と保育園児をワンオペで育てていて……。本当に、全然寝ていませんでした。
結局、他人から見た「優秀さ」を追いかけていたんだと思います。本質的な部分で能力主義的な考えから抜け出せていなかった……。進行がんが発覚したのは、そんなタイミングでした。一時は死を覚悟しましたが、病気で変わることができました。
──能力主義で自分を追い詰めてしまったんですね。すぐに方向転換することができたんですか。
勅使川原:いいえ。1年半くらいは病気でできないことばかりになった自分を強く否定し、絶望していました。
だけど、人類学者の磯野真穂(いそのまほ)さんにそのときの気持ちや考えを話したら、「それを文章に書いたほうがいい」といわれたんです。その言葉が頭に残っていて、少しずつ書き始めました。私にとって、書くことは自分を見つめ直すこと。徐々に内面化した価値観を手放すことができました。
能力ではなく「持ち味」を生かす組織開発
──そのときに執筆したのが、『「能力」の生きづらさをほぐす』ですね。死んだ母が幽霊となって我が子の前に現れ、「能力主義」の危うさについて語りかけるという設定です。
勅使川原:15年後の我が家を舞台にしています。子どもたちに向けて、遺書のつもりで書いた本です。こんなに能力主義が猛威を振るう社会のままでは、死んでも死にきれない。そんな気持ちがありました。
勅使川原さんの初作。『「能力」の生きづらさをほぐす』勅使川原 真衣著、磯野 真穂 執筆伴走(どく社)。
「能力開発」の不毛さはもちろん、能力主義ではない世界があること、その具体的な実践である「組織開発」についても知ってほしかったんです。
「組織開発」は個人を能力ではなく、「機能」としてとらえます。私はよく、機能を「車のパーツ」にたとえて説明しています。アクセル的な機能を発揮しやすい人もいれば、ブレーキの人もいる。そのほかにも、タイヤ、ボディなど、車が安全に走るためにはたくさんの機能が必要です。組織も同様で、それらがバランスよく存在し、お互い存分に力を発揮できてこそうまく回ります。
それぞれの機能に「よい/悪い」や序列はありません。最近もてはやされる「リーダーシップ力」はアクセルに近い特性ですが、アクセルだけたくさんあっても車として成り立たない。ブレーキやタイヤなど、それぞれが持っている特性を「持ち味」として認め、個人ではなく人の組み合わせで組織を動かそう、と考えるのが組織開発です。
私は労働の現場で組織開発に取り組んできましたが、一般の人もこうした考えを知っていることで、必要以上に自分を責めたり、過度な競争で疲弊したりするリスクを減らせるのではないかと思っています。
「能力主義の生きづらさ」から子どもを守る
──組織開発のように、能力主義以外の考え方や方法論があるとわかって少しほっとしました。ですが現状は、子どもたちが通う学校が能力主義で動いていますから、内面化してしまうリスクも高いと思います。勅使川原さんがお子さんに接する上で気をつけていることはありますか。
勅使川原:否定しないこと。これに尽きると思っています。
無理に褒める必要はなくて、否定さえしなければいい。それが、その子自身を認めることにもつながっていきます。
あとは、「おもしろがる」ことですね。「またそんなことして……」と否定的なことをいいそうになったらぐっと飲み込んで、「そんなに好きなんだね」「おもしろい子だね」と続けてみる。それだけでも違ってきます。
私が能力主義を根深く内面化してしまった背景には、家庭環境の影響も大きかったと感じます。テストで100点を取っても、「勝って兜の緒をしめよ」といつも親からいわれていましたから。もっと頑張れと子どもを鼓舞するだけでなく、「いてくれてありがとう」と存在自体を認める言葉がけをしてほしいと思います。
──しかし、学校の先生から「やる気がない」「授業態度が悪い」などといわれて、子どもを否定的にとらえてしまうこともありそうです。
勅使川原:まず確認したいのが、学校からの評価も「ひとつの見方」でしかないということです。「やる気がない」は先生から見えている姿であって、事実かどうかはまた別の話。必ずその人の解釈が入っています。
実は、現在中学生の私の息子は、小学校のとき、担任の先生から毎日のように電話がかかってくる時期がありました。息子はできることとできないことが大きく分かれるタイプで、マイペースでユニークな子ですから、先生には「学習態度に問題がある」などと映る部分もあったのでしょう。
でも、それを鵜吞みにするのではなく、「先生からはそう見えるんですね」と受け取った上で、「私からは●●に見えます」と対話してきました。
今、評価者から見える姿だけで、子どもを決めつけないことがすごく大切だと思います。それを先生に伝えるために、否定ではないコミュニケーションを続けることも重要です。実際、数年間対話を続ける中で、先生自身の子ども観に変化を感じました。
──保護者も「今見えている面が子どものすべてじゃない」と、肝に銘じておいたほうがいいですね。
勅使川原:あとは、子どもにも「先生や親からの指摘や意見が、『客観的な事実』ではない」と伝えておく必要があると思います。どんなに素晴らしいと思う人でも、その人なりの見方で現実をとらえている。「あなたは××だ」と否定的なことをいわれても、すべてを正面から受け止めて傷つく必要はないんだよ、と。
「厳しい(否定的な)声がけが成長につながる」と思っている大人は多いですし、今後も必ず出会うでしょうから、サバイバルスキルだと思って子どもたちに伝えていきたいですね。
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第3回は、能力主義の代表格ともいえる「学歴」について、日本で重視されてきた理由と今後の方向性などを解説します。
取材・文 川崎ちづる
©稲垣純也
【勅使川原 真衣 プロフィール】
1982年、横浜市生まれ。東京大学大学院教育学研究科修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て組織開発コンサルタントとして独立。2児の母。2020年から進行乳がん闘病中。著書『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社、2022年)は紀伊國屋じんぶん大賞2024で第8位入賞。続く『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社、2024年)は新書大賞2025にて第5位入賞。その他著書多数。最新刊は『学歴社会は誰のため』(PHP、2025年)。日経ビジネス電子版と論壇誌Voice、読売新聞「本よみうり堂」にて連載中。