『1万株の紫陽花が咲く寺』奈良・矢田寺に行ってみた 〜飛鳥時代から続く地蔵信仰の聖地
紫陽花(あじさい)で有名な寺院は、日本各地にありますが、奈良県で有名な紫陽花寺の一つに矢田寺(やたでら)があります。
今回は実際に矢田寺を訪れたので、その歴史や見どころを含めて紹介したいと思います。
矢田寺のある大和郡山市の奈良時代の姿
矢田寺の歴史の詳細は後述しますが、その創建は白鳳期、すなわち飛鳥時代後期の7世紀後半にまでさかのぼると伝えられています。
矢田寺は、北は近鉄奈良線の富雄駅の西方にある霊山寺あたりから、南は法隆寺のあるあたりまで、生駒山に並行して伸びる矢田丘陵の中間の位置にあり、城下町の風情を残す大和郡山市の市街地の西方3.5kmに立地しています。
現在の大和郡山市域は、奈良時代には平城京やその周辺と深く関わる地域でした。
大和郡山市の市街地から少し離れた東の田園地帯には、平城京の南端にあたる羅城門があったのです。
すなわち、矢田寺は平城京の南西郊外にあたる、矢田丘陵の中腹に立地していたことになります。
矢田寺の歴史
寺伝によれば、大海人皇子が壬申の乱の戦勝を祈願するために、矢田山に登られたそうです。
そして勝利して天武天皇として即位されると、675年に勅願によりその矢田山の地に智通が七堂伽藍・四十八坊を造営し、本堂に十一面観音菩薩と吉祥天を安置したのが、創建だとされています。
平安時代の弘仁年間(810~824年)に入り、満米(まんまい)上人により地蔵菩薩が安置されると、それ以降は地蔵信仰が中心の寺院となりました。
その後、長い歴史の中で創建当時の伽藍などは焼失し、現在はその後に再建された本堂の他に講堂・閻魔堂・阿弥陀堂・開山堂・御影堂などの建造物があります。
各堂内には本尊の木造地蔵菩薩立像を始めとして、奈良時代の木造二天王立像から中世の諸仏まで、重要文化財に指定された仏像が数多く安置されています。
現在は矢田寺北僧坊・矢田寺大門坊・矢田寺念仏院・矢田寺南僧坊の4つの僧坊を総称して矢田寺と呼んでおり、高野山真言宗別格本山となっています。
矢田寺の地蔵菩薩と地蔵信仰
地蔵菩薩は「お地蔵さん」の愛称で親しまれ、子どもを守る菩薩として広く知られています。
しかし仏教において、地蔵菩薩はそれだけにとどまらない重要な役割を担っています。
釈迦が入滅してから、弥勒菩薩が悟りを開いて法を説くまでの56億7千万年の無仏の間、地蔵菩薩はさまざまな姿に身を変え、六道に迷う衆生を救済するとされています。
仏像として刻まれる地蔵菩薩のお姿は、右手に杖、左手に如意宝珠を持たれているのが一般的です。
しかし、矢田寺に安置されている重要文化財の地蔵菩薩や、境内に多数安置されている石のお地蔵さんのほとんどが、右手の親指と人差し指を結んだ独特のお姿をされており、「矢田型地蔵」と呼ばれています。
右手が阿弥陀如来の来迎印のようになっているのです。
そのお姿から、矢田寺のお地蔵さんは地蔵菩薩と阿弥陀如来の両方の功徳を備えておられると言われ、多くの信仰を集めています。
矢田寺の紫陽花
矢田寺のHPによれば、紫陽花の丸い花は、お地蔵さんが手に持つ宝珠の形に似ていることから、昭和40年頃より境内に植えられるようになったとされています。
また、紫陽花の花びらの一つひとつが雨に打たれ、さまざまに色を変えていく姿は、仏教における「諸行無常」の心を伝えるものとも記されています。
現在では、あじさい園を中心に約60種類・10,000株の紫陽花が咲き誇っています。
あじさい園は、本堂へ向かう階段を上る手前の左側にあり、山の斜面を縫うように順路が続いています。名所として知られるだけあって、実際に歩いてみると見ごたえのある景観が広がっていました。
また本堂と紫陽花の取り合わせや、本堂へ至る参道、境内各所に数多く祀られている石仏のお地蔵さんと紫陽花の風景からは、季節感と奈良らしい風情をたっぷり感じることができます。
紫陽花の時期には、近鉄橿原線の大和郡山駅から寺院のすぐ手前まで奈良交通の臨時バスが運行される年もあり、開花時期に合わせて訪れる際には事前に運行日を確認しておくと安心です。
ただ矢田寺の境内に入ると、急な石段を延々と上る必要があり、途中で何度も休憩を取らねばならないほどです。
従って雨の日は大変な上に滑る危険もあるので、天気予報や紫陽花の開花状況を確認し、梅雨の晴れ間に訪れられるのがお勧めです。
実際に矢田寺を訪れてみると、紫陽花の名所であるだけでなく仏教文化の奥行きを感じさせてくれる寺院でした。
参考 : 矢田寺公式HP 他
文:撮影/草の実堂編集部