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【前編】宇多丸『ナポレオン』を語る!【映画評書き起こし 2023. 12.14放送】

TBSラジオ

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12月14日(木)放送後記

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。

今週評論した映画は、『ナポレオン』(2023年12月1日公開)です。

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、12月1日から劇場公開されているこの作品、『ナポレオン』。

自分で言っていて「題材、でかっ!」みたいなね(笑)。『グラディエーター』『最後の決闘裁判』など、もう枚挙にいとまない──『ブレードランナー』でもなんでもいいですけども──リドリー・スコット監督が、『ジョーカー』のホアキン・フェニックスを主演に迎え、ナポレオン・ボナパルトの半生を映画化した、歴史スペクタクル。18世紀末、革命の混乱によって揺れるフランス。数々の功績をあげ、その世界に轟かせていくナポレオンだったが、妻ジョゼフィーヌとはすれ違いが増えていく。やがてクーデターの末、フランス皇帝になるのだが……ナポレオンを演じたホアキン・フェニックスの他、『ミッション:インポッシブル』『ザ・クラウン』とかのヴァネッサ・カービーがジョゼフィーヌ演じた、というところでございます。

ということで、この『ナポレオン』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「普通」。あらまあ、そうですか。リドリー・スコット最新作にして、ついにナポレオンか!っていう、これはちょっと必見、という感じがしますけどね。そんなもんか。賛否の比率は、褒める意見が6割。否定的な意見が多いわけではなく、「想像と違った」「どう評価したらいいかわからない」という声が目立った。まあ非常に、いびつっちゃいびつなバランスのナポレオン映画なんでね。

主な褒める意見は、「合戦シーンの迫力がすごい」「情けない男として描かれるナポレオンと妻ジョゼフィーヌとの関係が興味深かった」などがございました。一方、否定的な意見は、「ダイジェスト的で全体的に説明不足。ドラマシリーズの総集編を見てるようだった」とか、「ナポレオンの生きざまを描くにはこの尺では短すぎる」などございました。一応ね、2時間半以上あるけども、たしかにナポレオン映画としては、コンパクトな方ですね。

「権威に対して見合っていない器の小さい感じ、嫌いになれない!」(リスナーメール)

ということでですね、代表的なところをご紹介しましょう。まず褒めの方です。ラジオネーム「マウンティング・ニモ」さん。

「『ナポレオン』、初日にドルビーシネマで見てきました。かなり面白く鑑賞しました。上映時間2時間38分は最近の大作映画の中では短い方に思います。実質ファスト映画ですね」。ファスト映画って、そういうこと?っていう(笑)。「オープニング、マリー・アントワネットの処刑に熱狂する市民を冷たい視線で睥睨するナポレオン……この顔一発で『こいつはなんかヤバい!』と思わせるホアキン・フェニックスの顔面力……。ゾクゾクしました」。たしかに、出てくるだけでやべえ感っていうのは(あります)ね。

「……そして序盤のトゥーロンの砦戦からワーテルローの戦いまで、戦場シーンはどれも素晴らしい迫力でした。猛々しい男たちがのしかかりのしかかられてのむさ苦しい肉弾戦。バタバタと人が死んでいきます。しかし圧倒されつつも、僕はこの映画の戦場シーンには『面白み』が欠けている、というか意図的にオミットしているようにも感じました。派手な作戦(どんでん返し的な見せ方)も兵士たちのドラマもなく、ひたすら押し合い、斬り合い、撃ち合うのが淡々と続いていく。しかしこの悲惨で醜い姿こそリアルな戦争だと、リドリー・スコットが訴えているようでした。これまでの作品でもマチズモやその他、社会構造を容赦なく俯瞰的に見せてきた彼ならではの視点であるようにも思います。

同様の視点が主人公ナポレオンにも絶えず注がれています。偏ってると思うほどに、ナポレオンを名誉と称賛、そしてジョゼフィーヌからの愛だけを欲している小人物として描いています。世間的な『英雄』のレッテルを引き剥がして、矮小に、単なる人間として描こうという気迫が全体に貫かれていました。

しかしそれはナポレオンがダメな奴だった、ということではなく、人間誰しもが醜い所を持ち、他人に愛されたがっていて、彼もまた例外ではなかっただけ、と言ってるようにも思えます。だから劇中、『自己中心的で嫌なところだらけだけど、なんとなくかわいい気もする』という気持ちで最後まで鑑賞しました」。かわい味はあるよね、やっぱりね。「おそらくこうしたやり方は激しい賛否両論を巻き起こしているのでしょうが、僕個人は監督を称賛したい気持ちでいっぱいです」というね。

あとね、たとえば褒めている方はね、ちょっとこれはちゃんと読めないから、部分的に要約しますけど。「ハロウィンのいけにえ」さんは『最後の決闘裁判』でちょっと感じた違和感に回答してくれた、みたいな。要するに、『最後の決闘裁判』は面白いしいい映画だと思うけど、主人公のマルグリットだけが現代人的な感覚を持ちすぎじゃないのか、みたいなのを感じていたけれども、そういうところに対してちゃんと回答してくれる感じがした、と。あと、この方の書き方で面白いのはやっぱりね、ホアキン・フェニックス演じるナポレオン。「常に何かに不服そうな表情を浮かべ、イラつくとすぐに手をあげたり、権威に対して見合っていない器の小さい感じ」っていう(笑)。「権威に対して見合っていない器の小さい感じはなんというか、なりきれていない『ゴッドファーザー』のマイケルのようで私は嫌いになれませんでした」っていう。私も嫌いになれない感じ、やっぱり憎めねえなって感じが、ちょっとあったと思いますけどね。

一方、ダメだったという方。これ、もちろん結構いるんです。ラジオネーム「Mr.ホワイト」さん。「リドリー・スコット監督作品は二作を除いて全て見ています。私は(デビュー作)『デュエリスト/決闘者』のソフトを買うくらい、かなり好きですので、本作『ナポレオン』も当然に期待したのですが……」という。まあ、全く同じ時代を描いているというか、ある意味、ちょっと一周したような感じがありますけども。「私が観たいナポレオンはそこにいませんでした。映画に出てくるナポレオンはだいたいイアン・ホルムやロッド・スタイガーといった役者が演じる、背が低く太めの誇大妄想狂の小人物でした。これは敵国だった英国的視点と偉人の実像(特に悪い面)を検証する潮流がミックスされて生まれたナポレオン像だと思います。

では、今の時代の伝記映画はどうなのかといえば、スピルバーグの『リンカーン』、『ウィンストン・チャーチル』等のように、英雄的通説と批判的検証、そしてそれらを踏まえた上での正邪を超えた人物像を示していると思うのです。本作がどうかというと、ホアキン・フェニックス演じるナポレオンは何度も見てきた誇大妄想狂の小人でした。この人物像を作ったのは脚本家のデビッド・スカルパと(リドリー・)スコットとホアキン(・フェニックス)のようですが、ナポレオン貶しが執拗過ぎます。

トゥーロンでは騎馬から落とされ、大砲発射時は一人だけ耳をふさぎ(砲兵術の第一人者なのに!)、セックスはバカ犬みたいで、ブリュメールでは全力逃走、ワーテルローでは部下に告げず逃走……と史実にもない無様さを創作しています」。ただね、ナポレオンはね、騎馬はあんまり上手じゃなかった、っていうのもあるんですけどね。まあまあ、あれだけ(ちゃんと上手く馬に)乗っているだけ、かっこよく撮ってる、っていう気もしますけども。

「これじゃフランス頭領どころか将軍も無理です。兵に支持されたナポレオン像の説得力は皆無です。ナポレオンが正しい英雄でないのは明確なことですが、ここまで捏造だらけだとナポレオン論になりません。作劇はあっても勿論良いですが、ここまで酷いと別人です。

ジョゼフィーヌとのロマンスは歪、というか前時代的な関係ですが、役者の力か感動的ではありました。しかし、ジョゼフィーヌの今際の言葉が『ボナパルト……』で、そしてナポレオンの今際の言葉が『ジョゼフィーヌ……』というこの熱い情念を、役者に演じさせないとはどういう魂胆でしょうか。あと、ナポレオンに女を紹介したのは母でなく妹です。母は質素なコルシカ独立の闘志です。酷い」と憤ってらっしゃいます。歴史を知ってらっしゃる、ということですね。

でですね、専門家の方からも来ていて。「赤いアリクイ」さん。「初投稿です。『ナポレオン』、見てまいりました」。でですね、ちょっとこれ、分量めちゃくちゃ多いんで、とても全部は読めないんですけど。

「自分は現在日本の某大学院にてヨーロッパ史を専攻している文系の院生です。そんな自分の研究テーマはまさにナポレオン時代のフランス第一帝政です。なので、日本でナポレオンを研究してる身から見るとこの映画はどのように映ったのかについて少しばかり書かせていただきたいと思います」ということで、書いていただいて。要は先ほどのメールにもあった通り、ナポレオン研究に対してちょっと見直すような潮流があって、それが特に英語圏の研究者たちで行われているため、ある意味英語圏から……つまり(ナポレオンがいたフランスから見たら)敵国だったわけですしね。英語圏から見たナポレオン像のドライさ、みたいなものが、この映画にも反映されているという、先ほどのMr.ホワイトさんの見立て通り、というようなことをおっしゃっている。で、「興味深い」という風におっしゃっていただきつつ、このスタンスで撮るならば、もっとこういうところをちゃんと描いてほしかった、とか、こういうところが物足りなかった、なんでここをちゃんと描かないのかな?みたいなことを感じる、というようなことを赤いアリクイさん、専門家として書いていただいております。本当にありがとうございます。ちょっと全部、紹介しきれなくて申し訳ございません。

ということで、皆さんのメール自体、大変勉強になる感じでございました。ありがとうございます。ということで『ナポレオン』、私もTOHOシネマズ日比谷で12月1日、初日に行ったのと、あとT・ジョイ PRINCE 品川のIMAXで2回、観てまいりました……あ、そうだ、(木曜パートナー)熊崎(風斗)くんからも(感想をいただきたい)。

熊崎:はい。私、病み上がりの火曜日ぐらいに行って。若干長いのかな?と思ってたんですけど、(体感時間は)短かったです。というか、ナポレオン(の生涯)をあの時間でまとめててきれてるのかどうかも私、ナポレオンのことにそこまで詳しくないんで、わからないんですけども。もっと僕、戦いのシーンとか含めて、見れたなっていうのが……もうちょっと長くても、全然いけたぞっていうぐらい、エンタメ作品として面白かったのと。あとホアキン・フェニックスが最高でしたね。彼がやれば、もうなんでも面白くなるっていうか。

宇多丸:まあね。吸引力があるもんね。正直ね。たしかにね。

熊崎:彼の表情とか見てるだけで楽しめるし。合戦のシーンとかも本当、面白かったので。ちょっと、たしかにわかってる人からすると、どうなんだろう?って思うところもあるんでしょうけど。僕的には非常に楽しめたなっていうのが正直な思いでした。

宇多丸:はい。ありがとうございました。ちょっと短い時間になっちゃってごめんなさいね。熊崎ウォッチメンの話も伺った、というところで『ナポレオン』でございます。

このレベルの歴史超大作を「スクリーンで」観られる機会が今後どれだけあるのかを考えれば、選択肢は一択!

宇多丸:ということで私ね、別にIMAXで撮影されてるような作品じゃないんですけども、やっぱりね、言うまでもなくですけど、間違いなく、デカいスクリーンで、できるだけいい席で観た方がいいよ、という作品なのは間違いないんで、IMAXで2回、見てまいりました。ちなみにですね、詳しくは後ほど言いますけど、監督リドリー・スコットがですね、早くも、実は4時間あるというディレクターズカット版を、本作を製作したApple TV+で後から配信するかも……なんていうことを、早くも公言しておりましてですね。

なんですが、それでもですね、もちろんいろいろ異論が湧くタイプの作品なのはすごくわかるんだけど……このレベル、このクオリティ、この規模の歴史超大作を、リアルタイムでデカいスクリーンできちんと鑑賞する機会、これからどれだけあるか?ってことですね。これだけのものを作れる監督っていうのが今後、どれだけ出てくるか?っていうことを考えると、内容についての評価が割れるところがあるのは、それはあったとしても、絶対に今、映画館で観ておいた方がいい作品、ということは間違いない。これだけは共通して、はっきり言えることだと思いますんで。ぜひぜひ皆さん、劇場でウォッチしてください!っていうね。これはもう、結論!っていう感じでございます。

幻のキューブリック版『ナポレオン』の存在感

で、まあナポレオン・ボナパルト。存在として知らない人はいないであろう、説明不要の歴史的軍人にして政治家。身分制度を超えて頂点まで上り詰めた、そして失墜したカリスマ、ということで。当然のようにこんな面白い人はですね、後世の様々なアート、エンターテインメントの題材にも、もうまさに星の数ほどなっていて。なんなら映画に関してはですね、これはWikipedia情報ですけど、ギネスブックで、歴史上の人物で一番多く映画に出た人、177回、っていうことらしいです(笑)。なので、映画作品ももちろん枚挙にいとまがない。一番有名っていうか、どうだろうね、アベル・ガンスの1927年のサイレント超大作『ナポレオン』。これ、1981年にコッポラとかがこれを掘り起こしてきて、もう一回上映会とかやって……それなんで僕はアベル・ガンスの『ナポレオン』って、やっぱり印象に残っているけれども。他にももう、枚挙にいとまないんですけどね。『ワーテルロー(Waterloo)』とか、いろいろありますけども。

あと映画ファンに有名なのは、キューブリックがね、ずっとナポレオンをやろうとしてた、って話ですよね。なんとジャック・ニコルソンがナポレオン、そしてオードリー・ヘプバーンがジョゼフィーヌってことで、かなり進んでいたんだけども、結果それが頓挫して。ただそれが1975年の『バリー・リンドン』に結実した、ってことですからね。ちなみにそのキューブリックの『ナポレオン』の脚本は、今、スピルバーグが『A.I.』同様に受け継いで、なんでもHBOかな? で、テレビシリーズ化をずっと動き続けているみたい。まだやってる、ってことらしいです。これ、消えてないらしいです。

ともあれその今言った、キューブリックのナポレオンが結果『バリー・リンドン』になった……つまり結局、全く英雄的でも何でもない、「小さい」男の話になった、という。このクールでシニカルなスタンスこそ、実は何より継承しているのが、今回のリドリー・スコット版『ナポレオン』、と言えるんじゃないかという風に思います。だから、ナポレオンである以上に、その「キューブリックの『ナポレオン』」……「キューブリックが生きてたら、こういう風にやるんじゃないの?」っていうようなところが、(本作には)あるんじゃないですかね。もちろんその、リドリー・スコット的には、デビュー作『デュエリスト/決闘者』にもう一回、一周して帰ってきた、という。時代的にも、題材的にも……というところもあるかもしれません。

「ジタバタするちっぽけな人間たち」を描いてきたリドリー・スコット流の、ナポレオン解釈

それでですね、先ほどメールにもありましたけども、歴史とかなり違うと。特にフランスで、歴史的事実の改変、ねじ曲げ、割愛……結構大事な戦いとか、かなりオミットしてるんで。あとは、そもそもナポレオンという人物の描き方に批判が出ているっていう、これは広く日本でも報道されていたりしますけど。それもまあ、無理からぬというか。僕も「(実際は)どうなんだっけ?」みたいな……それで改めて(書物などを)見てみると、「そうだよね、これ嘘だよね」とかね。「えっこれ、本当?……ああ、嘘か」とか、結構あるんですけど(笑)。

ただ、リドリー・スコット自身は、それを一笑に付しています。「ああ、へー、そういうことを言う人っていうのは、なんですか、その場にいたんですか?」とか身もフタもないことを言って(笑)、一笑に付しているんですけども。要は、「そんなことをこの私、リドリー・スコット卿が知らないで作ってると思ってんの? 百も承知でこういう作りにしてるに、決まってんだろ!」っていうことですよね。

これまでも、彼の歴史的事実を元にした作品、映画っていうのは、映画用のアレンジを、結構バンバンしてるんだよね。たとえば直近の、あの『ハウス・オブ・グッチ』とかもそうだし。『最後の決闘裁判』とか、あと『ゲティ家の身代金』とか……全部私、映画評してて、書き起こしも残ってるんで、ぜひ見ていただきたいんですけど。私もその中でも触れてると思いますけど、「あえて史実そのままじゃない」ところが、いっぱいあるんですね。結構ね。

そもそも、時代や国に関係なく、登場人物が全員ペラペラ英語をしゃべってる、っていう時点で、ねえ……?っていう感じで(笑)。リドリー・スコット卿はたぶん、「ねえ? 英語をペラペラしゃべってる時点で、ねえ? そういうことじゃないの、わかりますよね?」みたいな感じかと思うんです。劇映画である以上、歴史というモチーフを、どう解釈するか? そこから何を抽出するか?こそが肝心だし、必ずもしも歴史に忠実であることだけがこの手の映画の正解ではない、という風に、たぶんリドリー・スコットは確信しているし、私もそう思うかな、という感じでございます。

そしてですね、これまでも一貫して、その個人の存在とは比べ物にならない巨大な何か、というのを前に……たとえば「歴史」みたいなものとかを前に、それでも自分は何者かなんだ、という幻想を捨てきれずに、ジタバタする人間たち。僕の表現でいう「最初から詰んでいた人間たち」っていうのを、冷徹に、意地悪に、しかし西洋美術史などを踏まえた格調高さを持って描き出してきた、リドリー・スコットというのがですね、そもそもナポレオンをやろうと思う時、「偉人伝」としてナポレオンの伝記映画をストレートに作るわけはない、っていうかね。そんな感じだと思うんですね。たぶん、「偉大な人間」なんてものはいないんだ、っていうのがリドリー・スコットの考え方だし……たぶんキューブリックが作っても、そうなった。たとえナポレオンであっても、「偉大」に描かなかったはずだと思う、っていうことだと思うんですよね。

とにかく今回の『ナポレオン』。有名な戦い、さっきも言ったように結構メジャーどころの戦いとか、ナポレオンの政治的業績……いろいろやってるんです。国内的にね。など、そういうのを、結構バッサリとオミットしていて。つまり、ナポレオンがなんで偉いのか、なんでこんなに上りつめたのかとか、そこはもうバッサリ切ってですね。焦点を、「とある部分」にはっきりと絞っているわけです。だから、ナポレオンの伝記映画としてはまだ、コンパクトにまとまってる、ってことだと思うんですけども。

「悪妻」「家父長制の中の嫁」側の視点から歴史を読み直してきたリドスコ近作

じゃあ、どこに焦点を絞ってるか?っていうと、先ほども皆さん、メールに書いてる通りです。観れば一目瞭然。要は、嫉妬深く不器用で、コンプレックスとうぬぼれにまみれた、あくまでひとりの「小さな」男としてのナポレオン、という。

そしてそれと対になる、歴史的には「悪妻」扱いもされてきた、ジョゼフィーヌ側の視点、という。つまり、彼女は彼女の切実な行動原理でこういうことをやっている、というような視点。この、「悪妻」とされてきた女性側の立場・視点の問い直し、っていうのはこれ、皆さん、覚えてますか? 『ハウス・オブ・グッチ』もそうなんですね。『ハウス・オブ・グッチ』も、原作だと「悪妻」扱いだったあのレディー・ガガの(演じている)人も、「いや、この人はこの人の立場があるでしょう」というようなことをやっていたし。

もっと言えば、その根源にあるのは、「家父長制の中の、嫁」です。家父長制の中の「嫁」とはいかなる存在なのか?っていう問題意識が、『ゲティ家』『最後の決闘裁判』『ハウス・オブ・グッチ』と……このところずっとリドリー・スコットは、そこに焦点を当てているんです。なので、(本作含めて)「家父長制の中の嫁・四部作」です(笑)、今のところ。そういう感じもある、ということですよね。ちなみに今回の(脚本も担当した)そのデビッド・スカルパさんは、『ゲティ家』をやってる人ですね。今度、『グラディエーター2』もやるらしいですけどね。

ということで、さっき言った、追ってApple TV+等で公開されるかもしれないという4時間のディレクターズカットは、リドリー・スコット曰く、まさにジョゼフィーヌ側の話をもっとしっかり描いたバージョンなんです。だから、ナポレオン側の歴史的事実、そっちを足そうとはしてないんですよね、ジョゼフィーヌの方は足す、っていうことです。

僕はだからその、今までのリドリー・スコットの、ここのところのフィルモグラフィの並びで見れば、「ああ、そうでしょうね」みたいな。ジョゼフィーヌはもっと描いていいと思った、みたいな感じがしますね。そここそ描きたいんだ、ってことだと思うんですね。

テーマ曲がすでに醸し出す「おもしろうてやがて悲しき」トラジコメディ的ニュアンス

とにかくですね、根深いコンプレックスと、その裏返しとしての誇大妄想家……でも本当はマザコンの野暮天(笑)っていう、卑近な、ひとりの人間としてのナポレオン。その滑稽さ、滑稽なジタバタぶりと、その真の姿を見透かしている唯一の存在であるジョゼフィーヌとの、奇妙に味わい深い関係性と、その悲しい変化……というところにのみ焦点を絞った今回の『ナポレオン』は、ジャンルで分けるなら、はっきり言って、コメディです。ダークコメディ、百歩譲ってトラジコメディ(悲喜劇)っていうかね。なので、コメディとして、ちょっと臨んだ方がいいんだと僕は思います。はい。

たとえばですね、マーティン・フィップスによる音楽があるんですけど、(ディレクターに向かって)ちょっとこれ、流してください。(曲が流れる)「Napoleon's Piano」という、実質的にこの『ナポレオン』のテーマ曲として流れる、これが流れ出して、(映画が)始まりますね。これを聴いて……要するにナポレオンの出身って、コルシカじゃないですか。だからちょっと、イタリアンな香りがする……っていうか、ぶっちゃけ、『ゴッドファーザー』の「The Godfather Waltz」を連想しません? そういう感じ。

なので、この曲から始まる映画が、勇ましい、壮麗な偉人伝、なわけがないんですよね。どう考えても、皮肉な、なんていうか「おもしろうてやがて悲しき」映画であろう、というニュアンスが、もう(テーマ曲に)出てるじゃないですか。っていうことですよね。(BGM止まって、ディレクターに)はい、ありがとうございます。この音楽、僕は大好きですけども。これがね、劇中でいっぱい変奏されていくわけですけれども。

マリー・アントワネット処刑シーンに「録音物」が? その構造が宣言するもの

さらに本作はですね、続くオープニングシーンでも、そうしたスタンス表明、実はいろいろはっきりしていてですね。マリー・アントワネットが処刑されてるところなんだけど、こんな曲が流れているんですね(曲が流れだす)。これね、「Le ''Ça Ira''」っていう。この歌自体は、フランス革命期に実際に歌われていた、革命歌ですね。元は別の歌詞の、普通に踊るための曲で。皮肉なことにマリー・アントワネット自身も、チェンバロとかで演奏とかしていたような曲らしいんですけども。後にフランス革命時に、労働者階級が支配層への怒りを爆発させるような内容……「貴族たちを縛り首にしろ!」みたいな、そういう歌になっていった、というこの「Le ''Ça Ira''」っていう曲なんですけども。

これ、今お聴きのこの音源、本作『ナポレオン』で、マリー・アントワネットが処刑される場面でこれが流れるんです。つまり、明らかに「録音物」なんですよ。おかしいですよね、時代感覚からして。ポップミュージックなんかない時代なんだから。だけど、「録音された音」が流れている。これ、1954年の、サシャ・ギトリ監督というフランスの監督……この人、1955年には『ナポレオン』を撮っています! (そのサシャ・ギトリ監督作品で)『ヴェルサイユ語りなば』という邦題がついて(日本でも)上映されたこともあるみたいですけども、フランス革命を描いた映画の中で、あの、エディット・ピアフが歌っている音源なんですね。このね、「Le ''Ça Ira''」。

もちろんここ、マリー・アントワネットが処刑されてる状況も、史実とは結構違うし……そもそも、ナポレオンがあの場でマリー・アントワネットの処刑を見ていた、っていうのがもうもう、わかりやすくそれはフィクションなんです。そんなわけねえだろ!っていう感じなんですけども。

でも、それに対してたぶんリドリー・スコット卿はですね、「だから、この場面に1954年の映画の曲を……これ、別にその映画のことを知らなくても、明らかに後の時代の、録音物で流してるじゃんよ?」みたいな。「だからその時点で、今回はこの感じで、あくまで現在からの再解釈なんで、歴史考証をガチガチにやる気はないんで……って言ってるじゃん」って。たぶんリドリー・スコット卿は、意地悪くニヤニヤ笑いながらそう思っているのではないか、という感じでございます。(BGM終わって)ありがとうございます。

「それよりもその、フランス革命の機運に乗ってナポレオンは出世した、っていうのが、これで一目でわかるじゃん? その方が話が早いし、映画的じゃん?」っていうことだと思うんですよ。こういうですね、「史実とは違うが、この方が話が早いし映画的」っていう(笑)、そういう風に割り切ってるところは後でもいっぱい出てくるんで、ちょっと後ほど言いますね。

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