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小悪党、忠義の乳人、国崩し 八代目尾上菊五郎の三役が振り幅でみせる御家騒動『裏表先代萩』~歌舞伎座『四月大歌舞伎』昼の部観劇レポート

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『裏表先代萩』(左から)山中鹿之助=中村歌之助、渡辺民部=尾上右近、渡辺外記左衛門=河原崎権十郎、仁木弾正=八代目尾上菊五郎

2026年4月2日(木)に歌舞伎座で『四月大歌舞伎』が開幕した。昼の部(午前11時開演) では、六世中村歌右衛門、七世中村芝翫ゆかりの俳優たちがずらりと揃う、長唄舞踊『廓三番叟』と、八代目尾上菊五郎が、振り幅の大きな三役をつとめる通し狂言『裏表先代萩』が上演される。吉原の華やかな幕開けから一転、仁木弾正たちが御家乗っ取りを企む悪と忠義の苛烈な抗争を描く「昼の部」をレポートする。

一、廓三番叟(くるわさんばそう)

能の『翁』を題材に、廓の風情をあてはめた踊りだ。六世中村歌右衛門、七世中村芝翫ゆかりの俳優たちがずらりと揃う一幕となる。

舞台は、吉原の廓。舞台下手から、中村橋之助、中村福之助、中村歌之助の太鼓持、舞台上手からは中村莟玉、中村玉太郎の新造が現れて観客を迎えた。オーソドックスな『三番叟』でお馴染み、〽とうとうたらり……の長唄とともに、中村梅玉、中村芝翫の大尽、中村魁春、中村福助の傾城がセリ上がりで登場すると、客席は格式高い廓のお座敷に変わる。

福助は、声と存在感の密度で傾城の華を客席に届ける。大尽と傾城の両サイドには、中村歌女之丞と中村梅花の番新も。ふたりの踊りからは、その身に深く沁みたこの廓、この一門のたしなみが艶となって滲んでいた。手代の中村松江が迎えたのが、亭主の中村東蔵。その佇まいに、観ているだけで自然とニコニコしてしまう。また、きゅっと口角の上がったほほ笑みが印象的な新造の玉太郎も揃えば、加賀屋親子三世代の共演だ。劇中の設定をこえ、幸せな気持ちでいっぱいになった。

『廓三番叟』(前列左から)番新=中村梅花、太鼓持=中村歌之助、中村福之助、中村橋之助、新造=中村莟玉、中村玉太郎、番新=中村歌女之丞、(後列左から)手代=中村松江、大尽=中村芝翫、傾城=中村魁春、大尽=中村梅玉、傾城=中村福助、亭主=中村東蔵

やがて大尽と傾城が、「寿ぎ」の花言葉をもつマンリョウの枝を神楽鈴に見立てて舞う。『三番叟』らしい格調の高さと、廓の洒脱さが、ひとつになっていく。その華やかな舞台の中心で、梅玉がパッと扇を広げた。高揚感に心が晴れ渡り、幕となった。

二、裏表先代萩(うらおもてせんだいはぎ)

伊達騒動をモチーフにした『伽羅先代萩』では、足利家を乗っ取ろうと企む執権仁木弾正の一味と、乳人政岡をはじめとした忠臣たちの対立が描かれる。これを《表》の物語とし、悪事に加担する小悪党小助の《裏》のエピソードを差し込み、一つにしたのが『裏表先代萩』だ。

表も裏も、悪人だらけ。その中で八代目尾上菊五郎は、《裏》でお金に目がくらむ下男小助、《表》では若君を守る乳人政岡、さらに首謀者の仁木弾正を勤める。

廓の余韻をまとう「花水橋」

《表》の始まりは、花水橋のたもとから。お忍びで大磯の遊郭へ出かけた帰り、足利頼兼(中村歌昇)の駕籠が、刺客たちに囲まれる。薄暗い中、駕籠から現れた頼兼には、まだお酒と遊興の残り香があるようだった。刺客の存在を忘れさせる、色気だった。頼兼はほろ酔いのまま、襲撃をかわす。

『裏表先代萩』(左から)絹川谷蔵=中村種之助、足利頼兼=中村歌昇

そこへ頼兼の味方、力士の絹川谷蔵(中村種之助)が駆けつける。女方も兼ねる種之助だが、花道より駆け込んできた時は、大きさと凛々しさに目をみはった。刀で斬り上げた時の形は、ハッとするほど鮮やかだった。

すぐそばに、悪人がいる「大場道益宅」

舞台は《裏》へ。医者の大場道益(坂東彌十郎)の家では、鶴千代暗殺のための毒薬が準備されている。道益は報酬として大金二百両を受け取るが、下男の小助がそれを知り……。

彌十郎の道益は、近所の下駄屋の奉公人、お竹(中村七之助)にちょっかいを出すような、大らかで俗っぽい男だ。いかにも悪人、というタイプには見えない。そんな、いつも通りの暮しの傍らで、天下を揺るがす悪事の一端を担っているのが面白い。

『裏表先代萩』(左から)下男小助=八代目尾上菊五郎、下女お竹=中村七之助

それは小助にも言えること。地頭の良さそうな下男だが、大金を前にためらいなく悪に転じた。軽々と善悪の境を踏み越えたせいか、凄惨な場面にも現実味や嫌悪感がわかなかった。小助は、これまでも悪いことをしてきたのだろうか。善悪の境目をやすやすと越えたのは、時代の違いのせいだろうか。幕切れの見得は美しく決まり、拍手とともに幕間に入った。その後でふと、今の時代にもバイト感覚で犯罪に手を染める人がいることに気がつく。どの時代にも、悪は、意外と日常のそばにあるのかもしれない、という気にさせられた。

母と子で、若君を守る「足利御殿」

舞台は、《表》の足利家御殿の場へ。義太夫の語りで御簾が上がると、中央に立つ政岡(八代目尾上菊五郎)、その左右に実子の千松(中村秀乃介)と若君の足利鶴千代(尾上琴也)。菊五郎の政岡が放つ緊張感だけで、いまここで決して和やかな時間を過ごしていたわけではないことが物語たれる。

『裏表先代萩』(左から)千松=中村秀乃介、乳人政岡=八代目尾上菊五郎、鶴千代=尾上琴也

その張りつめた空気を引き継いで、「これ、乳母」と鶴千代が第一声を放つ。琴也は、日本舞踊尾上流家元・尾上菊之丞の長男。歌舞伎には初めての出演だが、落ち着きのある清らかな声で、若殿様としての品を感じさせた。秀乃介の千松は、母の教えを素直に受け理解する。子どもだからこその、疑いのなさが健気であり、愛らしい。あどけない顔立ちでも、心は立派な武士だった。

政岡は、毒を警戒して自ら米を炊く。お茶の作法で茶器を使い、米をとぎ、湯を沸かす。3人が今置かれている境遇の苛酷さと、本来あったはずの、静かで優雅な時間を同時に立ち上がらせていた。

そこへ栄御前(市村萬次郎)が“お見舞い”にやってくる。《裏》で準備された、毒の入った菓子を手土産に……。

仁木弾正の妹・八汐を勤めるのは、坂東彌十郎。大場道益役では、悪人といっても人間味があった。しかし、八汐役では「これでもか」というほどの冷酷さ。目を背けたくなるシーンでありながら、千松の忠義を飲み込み堪える政岡、怒りを滲ませる沖の井(中村時蔵)と松島(中村芝のぶ)、政岡の反応を見定める栄御前。舞台に、鍔迫り合いのような緊迫感がはり詰めた。だからこそ、ようやく千松と2人になり、政岡の悲しみがぼろぼろと溢れ出した時、悲しみと同時に、政岡の愛情の深さも、痛いほどに伝わってくるのだった。

『裏表先代萩』(前列手前から)千松=中村秀乃介、八汐=坂東彌十郎、(後列左から)乳人政岡=八代目尾上菊五郎、鶴千代=尾上琴也、栄御前=市村萬次郎

続く「床下」では、若君を守るために潜んでいた荒獅子男之助(中村萬太郎)が、ねずみに化けた弾正(八代目尾上菊五郎)と対決する。客席が静まりかえり、息を飲んだのは、弾正の引っ込みだ。本舞台は、すでに定式幕が引かれ、花道の弾正だけが、差し金の灯りに照らされる。笛の音に緊張感が一層高まる。台詞はなく、大きな動きもなく、揚幕まで悠々と進む。客席の意識を引きつけ続けた。暗い場内に「音羽屋!」「八代目!」の大向うが幾度も響いていた。

表も裏も、大詰へ

小助の道益殺しと、弾正の御家乗っ取り。《裏》と《表》が、それぞれの形で大詰めへ向かう。その両方で、物語を引き締めたのが中村勘九郎だった。

幕府の問注所では、小助(八代目尾上菊五郎)とお竹(七之助)が、吟味役の横井角左衛門(坂東彦三郎)から取り調べを受ける。倉橋弥十郎(中村勘九郎)が到着した時には、すでにお竹(七之助)の罪として一件落着したかに思われたが……。

『裏表先代萩』(前列)下男小助=八代目尾上菊五郎、(後列左から)倉橋弥十郎=中村勘九郎、横井角左衛門=坂東彦三郎

表情もトーンも抑えていた勘九郎の弥十郎。しかし一つずつ逃げ道を断ち、小助を捕らえ、接近戦で一気に畳みかける詮議は痛快。理不尽に苦しめられてきたお竹の喜びは、この場面のカタルシスを一層大きなものにした。

一方、幕府の評定所では、鶴千代の忠臣である渡辺外記左衛門(河原崎権十郎)が、弾正の騙し打ちにあう。「床下」の場で、人間離れした妖気を放った弾正だが、ここでは生々しい殺気をみせた。思いがけず凄みを感じたのは、舞台転換で盆が回り、二人の姿が次第に見えなくなっていく瞬間だった。外記左衛門を仕留めようとする弾正の後ろ姿には、様式美を超えて、本物の現場を目撃してしまったような恐ろしさだった。

権十郎の外記左衛門は、はじめこそ勝ち目はないと思われた。しかし果敢に弾正に向かう姿から、年を重ねても緩まない実直さが滲み出る。渡辺民部(尾上右近)と山中鹿之助(中村歌之助)の若々しさが、外記左衛門の年輪を想像させた。そこへ勘九郎の細川勝元が、白塗りに長袴で現れる。抑制のきいた佇まいで、外記左衛門たち忠臣の美学を、しっかと受け止める。通し狂言は、「めでたい、めでたい」との台詞に結ばれながらも、憂いのある余韻を残した。

『裏表先代萩』仁木弾正=八代目尾上菊五郎

小助、政岡、弾正。善悪もスケールも異なる3役を演じ分けた菊五郎だが、“演じ分け”の面白さを越え、物語そのものを見どころにした。

菊五郎と勘九郎は、夜の部でも共演。がらりと変わる世界観は、どちらも見逃せない。『四月大歌舞伎』は、2026年4月2日(木)~27日(月)まで。

取材・文=塚田史香

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