「氷室」の役割とは? 五稜郭が日本中にかき氷ブームをもたらした? 暑い夏、日本の涼の歴史について語る!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。うだるような暑さが続いて、正直息災ではないぞという者も少なくないのではないかのう。誠、現世は恐ろしく暑い。無論、我ら名古屋おもてなし武将隊は真夏であろうとも名古屋城にて皆をおもてなしておるのじゃが、時折皆から「戦国武将は夏場の戦はどうしておったのですか」と問われることがある!!確かに、これほど暑き中、甲冑なぞを着てしまえばものの数分で熱中症であろう。この問いへの答えは簡単で「我らの時代はこんなにも暑くはない」で以上なのじゃが中々おもしろき疑問であるわな。我らの時代は小氷河期と申して世界が急激に冷え込んだ時期。よって作物が育たず戦が増えたのが戦国時代であって、現世とは対照的な時代と言えるのじゃが、無論それなりに暑さへの備えも考えられておった。簾(すだれ)や風鈴、打ち水あたりが有名であるな。因みに、江戸時代においては夏バテ対策として甘酒が飲まれておって、故に甘酒は夏の季語となっておるのじゃ。
夏の楽しみ、氷菓子
ところで、現世の重要な避暑の方法の一つであり夏の楽しみであるのが冷たい甘味や氷菓子であるわな!
名古屋の人気の茶亭『コメダ珈琲店』殿は大きすぎるかき氷が夏の風物詩であるし、灼熱の名古屋城でも大人気である。
特に近年、高級かき氷が人気となって新たな店が続々と出来ておるそうじゃ。
氷菓子は冷蔵冷凍の技術の発明と発展によって出来た、現世ならではの楽しみと言えるのじゃが、平安時代に記された『枕草子』には清少納言があまづら(高級甘味料)を削り氷にかけて食べたと記しておる。
実は我らの戦国時代よりも更に古くから食されてきた歴史があるのじゃ!
皆からすれば中々衝撃的な話ではないか?
ということで此度の戦国がたりでは、かき氷と、冬の氷を夏まで蓄えておく氷室(ひむろ)について話して参ろうではないか。
かき氷と氷室
平安時代は現世の気候と近く、随分暑い時代であった。
故に単袴(ひとえばかま)、現世で申すところのしーするーの衣が流行ったり、風が吹き抜ける寝殿造の建物が主流であったりと暑さ対策が考えられた時代でもあった。
平安から続く庭園文化も、池の水で空気を冷やす意図があったとも考えられておる。
そんな時代背景もあって考えられたのがかき氷である。
じゃが無論、現世のように氷を保管や製氷はできんかった。
故に冬場に出来た氷を山奥の気温が低いところに保管しておったのじゃ!
これが氷室と呼ばれしものじゃな!
氷室の歴史は実に古く、300年頃に仁徳天皇が氷室を訪れた記録が残っておる。
この時訪れたとされる平城の氷室が元となった氷室神社があることや、氷室を管理する役職があったことから氷室が重要なものであったことがわかるわな!
因みにこの氷室神社、手水(ちょうず)に飾られる花が氷に閉じ込められておったり、氷みくじなるものがあって人気があるようじゃ。
冬に氷を切り出し、おがくずや藁(わら)で断熱をして氷室に納め、必要な時に取り出して用いるのじゃが、いくら暗所にあるとはいえ、夏を迎える頃には半分ほどの大きさとなっておる。
更にそれを運ばねばならんからな、実際に氷を口にできたのは帝や一部の公家のみで、到底民が口にできるものではなかったわけじゃ。
その後も氷室は公家や大名に重宝され、幾つもの氷室が作られていった。
そして、戦国・江戸期において氷室といえば、我らが前田家である!
前田家が治める北陸はその氷室に適した気候で、
金沢の程近くにある倉谷の氷室は儂が用いた氷室である。
そして、江戸時代においては江戸幕府に氷を献上する役割を担っておったのじゃ!
毎年1月に氷室に氷を納め、6月1日に氷室を開いて江戸幕府に届けておったようじゃ。
金沢から江戸までは480kmあるでな、普段ならば13日ほどかけて進む道のりであるが、そんなに時間をかけては氷がなくなってしまうでな、
精鋭の飛脚が4日で江戸まで走り抜いたと伝わっておる。
江戸時代が終わり、冷蔵庫や冷凍庫が発明されると氷室はその役目を終え、かつての氷室はほとんど現存しておらんのじゃが、石川県ではこの氷室の文化を後の世にも伝えようと氷室開きが湯桶温泉にて毎年6月30日に行われておるそうじゃ!
五稜郭が生んだ氷菓子
現世では当たり前となったかき氷やあいすくりーむなる甘味。
これが日ノ本に広まったのにはとある城が大きく関わっておるのじゃ!!
その城とは、星形要塞で知られる五稜郭である!!
かき氷もあいすくりーむも共にこの五稜郭が発祥と言っても過言ではないのじゃ!
江戸時代が終わり冷蔵庫が伝わった頃は、まだ製氷の技術は発達しておらず、保冷の性能を高めたものが主流であった。
要は高性能の氷室のようなものであったわけじゃ。
しかも氷は異国から仕入れねばならんくてな、えらい値がはったわけじゃ。
そんな中で日ノ本でも天然の氷を作らねばならぬと目をつけられたのが五稜郭であった!
北海道にある五稜郭はその気温の低さに加えて、港に近く、日ノ本各地に氷を運ぶのに適しておったわけじゃな。
大量に作れる上に運びやすい故に値を抑えることができてな、これまでは高級食材であった氷が民にも届くようになった!
そこで起きたのが“かき氷ぶーむ”じゃな!!
五稜郭で作られた氷は「五稜郭氷」、あるいは「函館氷」の名で親しまれ、製氷技術が発達する昭和の時代まで続けられたようじゃ!
因みに、この氷作りを始めたのは三河出身の中川嘉兵衛殿。
中川嘉兵衛殿が函館氷のために作った「横浜氷会社」は現世において冷凍食品で著名なニチレイ殿の前身である。
して、五稜郭といえば江戸時代最後の戦、戊辰戦争の最後の決戦地であるわな。
この戦では幾人かのフランス軍の士官たちが旧幕府軍と共に五稜郭に籠り新政府軍と戦ったのじゃが、その折に旧幕府軍として五稜郭におった元尾張藩士・信大蔵殿がフランス人から製法を学び、終戦後に売り出したのが“そふとくりいむ”だそうじゃ!!
大蔵殿が開いた「函館屋」により“そふとくりいむ”も日ノ本に広まり、現世においてはかき氷と共に夏に欠かせぬ甘味となっておるわな!
終いに
此度の戦国がたりは如何であったか!!
暑い現世の中でも本年は特に暑いわな。
播州・神戸にある氷室では暑さに耐えきれず、夏まで氷がもたなかったことが話題になっておった。
普段ならば朝から夕刻まで名古屋城に出陣しておる我ら名古屋おもてなし武将隊も、皆の熱中症対策の為、8/9〜8/17は夕刻から夜にかけての出陣となる。
共に暑き夏を乗り越えるべく励んで参ろうではないか。
これよりもこの戦国がたりにて歴史のおもしろき話を届けて参るで楽しみに待っておるが良い!
また会おう、さらばじゃ!!
文・撮影=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)
前田利家
名古屋おもてなし武将隊
名古屋おもてなし武将隊が一雄。
名古屋の良き所と戦国文化を世界に広めるため日々活動中。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』をきっかけに、戦国時代の小話や、戦国ゆかりの史跡を紹介している。