【Do As Infinity インタビュー】③ 伴都美子を作った20代の音楽とバンド解散の真相
結成25周年を迎えたDo As Infinity。ボーカルの伴都美子とギターの大渡亮が影響を受けた音楽、そして四半世紀にわたる波乱万丈の活動を語るスペシャル・インタビュー。第3回は《自分を作った音楽》として、伴都美子に “20代の1曲” を挙げてもらった。また、Do As Infinityの結成から2005年の解散、そしてその3年後の再結成に至るまでの心境をストレートに語ってくれている。
すごい、かっこいい!と思ったシェリル・クロウの「カモン・カモン」
―― 今回、《自分を作った音楽》として20代の1曲に選んでいただいたのが、シェリル・クロウの「カモン・カモン」でした。この曲は2002年の大ヒット作です。
伴都美子(以下:伴):2002年は、私がちょうど20代前半の時でした。もちろんその前からシェリル・クロウのことは知っていて、私たちが路上ライブをやっている時も、亮くんの車の中でみんなで聴いていて本当に何回聴いたかわからないくらい好きです。この「カモン・カモン」が入っているアルバムが出た時も、すごい、かっこいい!と思いました。
―― 心惹かれた理由は、やはりそのボーカルでしょうか。
伴:そうですね。私、20代前半の頃に、ボイストレーニングのためにニューヨークに行かせてもらったことがあるんです。その時の先生が、課題曲をシェリル・クロウの「イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー」にしたんです。ボイトレというより発声の仕方を学びました。その時に私もああ、こういう歌を歌える人になりたいなあと。
―― 伴さんの音楽スタイルにも影響を与えた部分はありましたか。
伴:ボーカルスタイルの部分は影響を受けています。ライブも何度か見にいったことがあります。いつだったか、亮さんがミュージックビデオの撮影の合間にずっと聴いていて、“このアルバム、後半ヘタるけど、いいよね” って言ってました(笑)。シェリル・クロウって小学校の先生をやってたんでしたっけ?
―― 音楽の先生だったそうです。
伴:デビューアルバムを出したのが30歳の時ですから、遅咲きですよね。
―― 日本だと、大人になってしまうと、デビューするのが難しくなってしまうところがあります。
伴:そうですね。でも、海外ってそういうところがあまりないのがいいですよね。
―― シェリル・クロウの音楽に向かう姿勢にも影響を受けましたか?
伴:それまで私は、音楽を山ほど聴いていたわけでもないんです。最初、服飾の専門学校に通っていたこともあって、20代の頃はファッションにも興味があったり、ライフスタイル全般において海外への憧れみたいなものがあったんです。その中でもシェリル・クロウは《20代の私を作った》というと大げさかもしれませんが、ライフスタイルも含めて、こういう女性像っていいなあ、と思うところが大きかったです。ちょうど自分自身を、音楽やファッションも含め、どんどん磨いていった時期でしたね。
基本は曲があって詞を書くというスタイル
―― 20代の伴さんは、Do As Infinityとしてデビューされて、次々と楽曲を発表して行きましたが、この時期、もうご自身で作詞も手がけられているんですね。
伴:ええ。でもクレジット上は “D・A・I” になっていて、メンバーの誰が書いてもそのクレジットになっていたんです。その後になって、なんでそれぞれの名前の表記にしなかったの?みたいな話になって(笑)
―― 実際のところは、この曲は伴さんの作詞、これは大渡さん、とちゃんと分かれていたんですか。
伴:はい、そうなんです。ディレクターと一緒に作りながら “ここは、何かもうちょっといい言葉がないかなあ” みたいなディスカッションはありますが、基本はそれぞれが “この曲は、私が詞を書きます” “じゃあ、これは亮さん” みたいな振り分けかたですね。
―― 伴さんは、作詞をされる時、詞先ですか、曲先でしょうか。
伴:私は、曲がないと詞が作れないタイプです。歌詞というか、気になるワードをメモすることはありますけれど、基本は曲があって詞を書くというスタイルですね。
驚きをもって迎えられたDo As Infinity解散の真相
―― そして、Do As Infinityは順調に活動を展開し、2003年の「本日は晴天ナリ」や2004年の「楽園」などがヒット。アルバムも『GATES OF HEAVEN』『NEED YOUR LOVE』がオリコンでTOP3入りを果たすなど、人気やセールスがピークに向かっていた只中の2005年に突如、解散を発表。2005年11月25日の日本武道館公演を最後に解散します。デビューから6年、順調に活動されていた時点での解散は、驚きをもって迎えられましたが、これはどういった事情だったのでしょう。
伴:あの時は、何か、私の気持ちが折れちゃったんです。それこそパキッと音を立てて折れたのが聞こえるような感覚があって、“ああ、もう無理だー!” と思ったことがあったんです。走り過ぎて疲れちゃったというわけではないんですが、もう、ダメだなと思う瞬間がありました。活動としては確かにピークというか、ガーッと上がってきた頃でしたが、なぜ休止じゃなく解散だったのかというのはありますよね。
―― 確かに、活動休止という手段もあったわけですよね。
伴:はい。それに関しては、会社の人の鶴の一声でした。“休止じゃなくて解散!” 代わりのボーカル入れるのはどうだ? と聞かれて “いいと思います” って。別に拗ねてるわけじゃないんですが、私はもう無理です、という感じでした。どう言葉で表せばいいんだろう… 本当に、気持ちがプツリと切れてしまったんです。
―― 忙しすぎることもあって、アウトプットばかりでインプットがなくなっているということもありましたか。
伴:そうですね… ただ、何か1つだけの原因じゃなくて、いろんなことが積み重なっての解散だったんです。私はDo As Infinityの中でも一番年下なので、他の皆さんより経験値が低いですし、人間の器というか、キャパシティも小さかったんです。今、振り返って思いますけど、まず私が、人とちゃんと喋れるとか、コミュニケーションが上手かったり、シンプルに素直だったりすれば、もうちょっと解散を回避できる手段もあったと思います。
恥ずかしいというものでも、情けないというものでもなくて、当時はただただ、一所懸命だったんです。パキッと折れた気持ちも事実だし、そこに何一つ嘘はないんです。でも結局、解散ということに関しては本当に私が子どもだったというのも事実だし、もっと上手く会話とかができていれば、そこには至らなかったんじゃないかなという自分の反省点もあります。
本当に一所懸命作ってきた楽曲たちがそこにある
―― では2008年の再結成までに、どのような変化があったのでしょうか。
伴:Do As Infinityを解散してからも、ソロでの活動はしていましたし、音楽以外のことにもチャレンジしたりと、その時期は方向性を模索していたんです。でも、いったんグループを離れて気づかされたことが沢山あって、ああ、 “本当に一所懸命作ってきた楽曲たちがそこにある” ということを実感したんです。その曲たちをもう2度と歌わないということに関して、自問自答していましたね。その結果、その歌たちをやっぱり歌いたいという気持ちがだんだん芽生えてきたんです。
―― 2008年に再結成という形で戻ってきてからはいかがですか?
伴:ここからの道も簡単じゃないぞ、っていう腹づもりで再結成させてもらったので、もちろん、それを肝に銘じて、この先も活動していこうと思っています。
―― やはり伴さんのボーカルでないと、Do As Infinityではないですから、聴き手としては戻って来られて良かったです。
伴:ありがとうございます。これからも、ずっと続けていくつもりです。
第4回の次回は、大渡亮に《自分を作った音楽》として20代の音楽遍歴を語っていただきます!
Live Information
▶ Do As Infinity 26th Anniversary LIVE
・日程:2025年10⽉3⽇(金)
・会場:LINE CUBE SHIBUYA