「なんでもいいよ」は優しい?夫婦の信頼関係を損ねる“意外な落とし穴”
こんにちは。家事シェア研究家の三木です。 「なんでもいいよ」「あたなたの好きにしていいよ」一見優しそうなんだけど、色んな決断を丸投げされてしんどくなってしまうことってありませんか? また、「良かれと思って相手に委ねてる」と思ってる人もいるかもしれません。
曖昧な態度を取っちゃうリスク
「なんでもいいよ」「好きにしなよ」。
そう言われてモヤッとしたり、逆に自分の方がつい決断を相手に任せてしまったりすることってありませんか?
こうした曖昧な態度が、夫婦の信頼関係を損ねてしまうことがあります。
日々の小さいことで言うと
・「今日の夜ご飯、何がいい?」→「なんでもいいよ」
・「今度の旅行、どこ行きたい?」→「任せる」
・「そろそろ子どもの習い事、決めなきゃだけど」→「ママの好きにしていいよ」
・「このタイミングで冷蔵庫買い替えようと思うんだけど」→「予算内ならいいんじゃない」
その時々は大したことではないかもしれません。 ですが、「この人は何を聞いてもちゃんと考えてくれない」という印象を与えてしまうと、本当に大切な話し合いをするときに信頼してもらえなくなってしまいます。
「曖昧」と「委ねる」の違いってなに?
かといって、何でもかんでも断定的に話をすればいいということでもありません。 「自分にはとくにこだわりはないから、相手の好きにしてくれていいよ」と思うことだってあるでしょう。
では、「曖昧」と「(相手を尊重して)委ねる」にはどんな違いがあるのでしょうか。
それは「一緒に考えるプロセス」です。
夫婦のコミュニケーションは、結論よりもどうやってその結論にたどり着いたかという「プロセス」の方が大事だと考えています。これを僕は「プロセス・コミュニケーション」と呼んでいます。
「なんでもいいよ」「好きにしていいよ」は、言われた方からしたら考えることを放棄されたような印象を受けてしまいます。
ですが、一緒に考えたうえで相手の意見を尊重するのは、曖昧さではありません。
一緒に考えるとは、「いい答え」を言うことではない
「でも、本当になんでもいいんだよ」「聞かれても困るんだよ」 って人もいるでしょう。
ですが、一緒に考えるとは「いい答え」を言うことではありません。 「夕飯何がいい?」と聞かれて(マジでなんでもいい)と思っても、相手がわざわざ自分に聞いてくるということは、選択肢を絞りたいということなのです。
ピンポイントで「鯖の味噌煮!」「それいいね!」というやり取りだけを目指す必要なんてありません。
「昨日は〇〇だったよね、お昼は〇〇食べたし」とか、「夕飯 レシピ」などで検索して「あー、和食っぽいのもいいよね」とか。
つまり、「夕飯についての会話」をすることが大事なのです。
その会話の中で、和食になろうと、パスタになろうと、何だっていいはずです。 「和食がいいって言ったのに、結局自分が好きなもん作るんでしょ」と言うのは、結論しか見なさすぎなのです。一緒に考えるプロセスがあったからこそ「和食じゃなくてパスタにしよう」という結論を導き出すことができた。
それが信頼関係につながっていきます。
曖昧な態度を取るパートナーには質問を変えてみる
「夕飯何がいい?」と答えを求める質問を直接聞くと、相手は「明確な返事をしなきゃいけないかな」と思ってしまいます。 ですが、自分の中に明確な答えや希望がない場合は「なんでもいい」と返事をしてしまうのです。
なので「今日のお昼って何食べた?」とか「どんな食べ物が好きだっけ?」など間接的な会話をしてみたり。 「子どもは夕飯に何食べたいって言うかな?」など自分の意見じゃなくアイディアを求めてみるのもオススメです。
または「〇〇と〇〇どっちがいい?」と選択肢を絞って聞けば、2択で答えやすいでしょう。 単純な2択よりも、もう少し過程を共有してみるのもオススメです。 たとえば「お肉かお魚かで迷ってるんだけど、お魚料理ってちょっと面倒で。だけど最近お肉が続いてる気がするんだよね」と会話をしてみてもいいかもしれません。
今回は「夕飯」で考えてみましたが、基本的には他のことでも同じです。 曖昧な態度を取りがちなパートナーには「何がいい?」とざっくりした質問を投げかけても、曖昧な答えしか返ってこない可能性が高い。 そうであれば、そのことに関しての会話をするような意識で話をしてみると、聞きたいことのヒントを得ることができるようになります。
小さなことですが、曖昧な態度にモヤモヤするときにはぜひやってみて下さい。
三木智有/家事シェア研究家