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創業100年以上、お菓子で話題を作り続ける岩室の銘菓「小冨士屋」。

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創業100年以上、お菓子で話題を作り続ける岩室の銘菓「小冨士屋」。

先祖代々、話題の商品を生み続けている岩室の「小冨士屋」。創業は明治初期で、現在も3世代の家族が一緒に働きながらお菓子作りを行っています。今回は6代目の武藤公一さんと奥様の真由美さんに、次の世代につなげていくお菓子作りの考え方などいろいろと聞いてきました。

小冨士屋

武藤 公一 Koichi Muto

1966年西蒲区岩室温泉生まれ。東京、三条で修行の後、実家である小冨士屋の6代目として家業を継ぐ。

小冨士屋

武藤 真由美 Mayumi Muto

1969年燕市生まれ。小冨士屋に嫁ぎ、6代目の奥様として店番やお菓子作りなどに幅広く携わる。

先祖代々、生み出してきた看板商品。

――小冨士屋さん創業はいつになるんですか?

真由美さん:はっきりした記録は残ってないんですが、明治2年というふうに聞いています。

――公一さんで何代目になるんですか?

公一さん:6代目です。自分が生まれたころはまだ4代目である祖母が生きていて、母と祖母とでやっていました。その頃は従業員もたくさんいましたね。実は「岩室せんべい」を始めたのはうちが最初だったんですよ。

真由美さん:3代目の吉次郎さんていう人が、「岩室せんべい」を考えて作ったのが始まりなんです。温泉街ということもあって、1代目は芸者置屋さんだったんです。2代目から菓子屋さんになったみたいで。たぶん当時はまだ置屋さんしながらだったと思うんですけど。

――置屋さん?

真由美さん:芸者さんを置いておいて派遣するような場所のことです。今でいう派遣会社みたいな感じですね(笑)

――昔はどんなお菓子を売っていたんですか?

真由美さん:2代目は「温泉まんじゅう」とか「水羊羹」、3代目は「せんべい」でした。2代目の「水羊羹」は有名で、冬しか作らないんですよ。大昔で冷蔵庫とかもなかった時代からやっていたから。その名残で、今も冬にだけ売っています。寒い冬の日にあったかい部屋で食べたり、温泉から上がって身体が温まったあとに食べるとすっごいさっぱりして美味しいんですよ。

公一さん:それが今は名物になっていて、寒くなってくるとお客さんが「そろそろ水羊羹始まったか?」って言ってよく来てたんだ。男の人はよくこっち方面に飲みにきて、宴会が終わるとお土産に「水羊羹」買っていったんですよ。

女手ひとつで店を守っている母親を助けたかった。

――公一さんはいつ頃、お店を継ぐことを決意されたんですか?

公一さん:一番は中学生のとき。高校に行かないで修行に行って菓子屋やりたいなと思ってたんです。でも中学の先生に「高校くらい行かないと嫁が来ないぞ」って言われて、嫁来ないのは困るからじゃあ高校行こうかってなってなったんだ(笑)

――中学生で決めるっていうのは早いですね。

公一さん:うちの祖母は旦那さん早く亡くしてたし、母親もうちの父親と早くに離婚して、だから母が菓子屋を守っていかないとっていうのもあって。母が女手ひとつでやってるの大変だろうと思って手伝おうと思ったんですね。

――それで、とりあえずは高校に進学するわけですね。

公一さん:高校に行ったはいいけど母は自分に勉強せぇなんてちっとも言わなくて。「おめぇなんでもいいっけ友達いっぺ作れ」ってばっかり言うもんだから、高校時代は毎日遊びほうけてましたね(笑)

技術だけでなく、人間を鍛えられた修業時代。

――高校卒業後はどうされたんですか?

公一さん:東京の和菓子屋さんで5年間修行しました。そのあと三条で3年くらいやって。やっぱ家を出てはじめて分かったけど、家を出ないとわがままになるんですよ。うちの子どもたちも高校のときバイトしたいって言って店手伝わせたけど、ちょこちょこ遊びに行ったりして、親だから甘えるんですよね。だからせがれにも絶対修行出なきゃだめなんだぞって言い聞かせてました。

――息子さんもお菓子作りを?

公一さん:長男は高校卒業する頃に「菓子屋したい」って言いました。

真由美さん:下の娘も小さい頃からパティシエになるってずっと言ってました。息子も娘もふたりで工場に入って手伝ったりしてくれてたんでね。娘はその通り夢を実現させたんですけど、横浜で修行してるときに小麦アレルギーになってしまって。私は心配になって帰ってこいって言って帰ってこさせました。

――公一さんは修行先ではどんなことを一番学ばれましたか?

公一さん:東京の修行先では我慢てのを一番覚えましたね。お金はほんと小遣い程度でご飯もみんなで一緒に食べるし、年功序列があるから厳しかったです。仕事というよりも人間的に鍛えられたなって思います。しんどくてご飯食えなくて体重が今の半分くらいになったときもありましたて。

――技術よりも精神面を鍛えることができたんですね。

公一さん:その後、三条に、もっといろんなこと学びたいなと思って修行させてもらいに行きました。そこの職人は、もともと先生なりたかった人で教えるのがとっても上手だったし、技術もすごかったです。和菓子だけじゃなくてケーキの作り方も学べました。和菓子作りをひとりでやっている方だったので、そこを一番学びたかったですね。大勢で手分けして作るのとは全然違いますから。全工程をひとりでやらないといけないから手際もよくないといけないし。

――奥様とはいつ出会ったんですか?

公一さん:修行が終わって実家に帰って働き始めた翌年くらいに出会って結婚しました。

真由美さん:会社辞めて嫁ぎにきました。最初は店番で、まずはお客さんの顔と名前を覚えれって言われましたね。

仕事復帰できる可能性は30%。生死をさまよう病気を経験。

――ご実家とはいえ、はじめは苦労されたんじゃないですか?

公一さん:ちょうどその頃、母が大きい葬儀屋さんとの取引を始めたんです。葬儀屋さんの注文って、今日連絡きて明日納品みたいのばっかりで。仕事も大変な上に、休みもなくなってしまうし。「これ以上葬儀屋さんのお菓子作るんだったらもうよそ行って働く」ってとこまで言いました。

真由美さん:母にしてみれば大きな企業さんをお客さんにしたときの勉強だったと思うんです。

――お母様は納得してくれましたか?

公一さん:「それならちょっと好きなようにやってみれ」って言って、自分が主導になりかけたんです。でもそんなとき、私がくも膜下出血で倒れてしまって、生死をさまよったんですよ。妻がいちばん大変だったんじゃないかな。

真由美さん:私は夫につきっきりだったので、お母さんとか社員さんの方が大変だったと思います。子どもたちもまだ小さかったのでお母さんに見てもらっていましたし。医者からは、「退院できたとしても仕事復帰できるのは30%の確率だ」って言われてたんですよ。脳が損傷してるから匂いが分からなくなるかもって。もうどうしようって思ったけど、なんとか回復してくれて。今となっては誰が手術したんだって思うくらい(笑)。15年くらい前の話ですね。

――また元気になられて本当によかったですね。

真由美さん:それで、復帰して最初に作ったのがこの「豆腐プリン」でした。

公一さん:お袋が「にがりを使ったなんか作れ」って言って、もうひとつは「豆乳使ったなんか作れ」って言ってて。にがりと豆乳なんか使ったら豆腐しかできねぇなんて思いながら(笑)

真由美さん:私はほんと口ばっかで「なんかプリンとかいいんじゃない」って横から口出して(笑)。作るのは夫に任せているので。でもカラメルだとちょっとくどそうだから、たまたまうちに大納言もあるし大納言入れてみるかって。

試作は毎回、子どもたちに食べてもらう。

――大納言?

公一さん:小豆のブランドですね。何回も試作して毎回子どもに試食させるんです。これがなんでかっていうと、子どもは嘘つかないんですて(笑)。美味しくなければ正直に言うんです。でもあるときせがれが、「昨日のあのプリンまだあるか?」って言うんですよ。小豆が入ってて美味しかったって言うんです。不味いときは「不味い、もういらない」ってはっきり言うのに。

真由美さん:小豆っていうのが、今までそういうのなかったから、いいアクセントになったんですね。そしたら毎日のように息子が食べるようになって。これはいいんじゃないかなってふたりで話して新発売で出したんです。そしたらみんな「豆腐プリン」ていうネーミングに魅かれたのかなんだか分からないけど、取材とかいろいろ来られて人気になったんですね。うちの看板商品になりましたね。

――いろいろ試作を繰り返すんですね。

公一さん:最初全然にがりのことなんて分からなかったから硬さを調節するのが大変でしたね。いろんなにがり買ってきていろいろやってみて。カラメルも最初試したんですけど、なんの味だか分からなくなるんですよ。それで大納言も量を変えながらいろいろ試していったんです。

和菓子の息子と、洋菓子の娘。

――今でも商品開発はされているんですか?

真由美さん:今は息子が頑張ってお菓子作りをしていて、夫が作らなくてもいろんなものを作れるようになっています。

公一さん:息子は、京都の知り合いのところで修行させたんです。その方のお父さんが京都の人気店で工場長やっているような方で、すごい人なんですね。

真由美さん:そこに「給料いらないんでお願いします」って息子を放り込んだんです私たち(笑)。息子の高校の先生は大学行かせたいもんだから「大学行ってからでも遅くないんじゃないか」なんて言ってたけど。「自分がやりて言ってるっけ大学行っても無駄らっけ専門学校行かせます」って言ってね。それを3年生の8月に決めたもんだから先生もびっくりしてましたね(笑)

――和菓子の息子さんと、洋菓子の娘さん。心強いですね。

公一さん:自分たちがやってみて、うまくいかないのなんて当たり前だっけ、とにかく作ったの食べさせてみれって言って。

真由美さん:夫は食べるの専門、私は店番専門、子どもたちは作るの専門。

――昔と逆になったわけですね。

真由美さん:みんなで作らないといけないときもあるけど、だいたい今は子供たち若者が主体でやっています。

――息子さんと娘さんはどんな商品を開発されたんですか?

真由美さん:うちにある材料だけで作った「葛バー」っていうアイスがあります。葛で固めてあるから、食べていても雫が垂れないんですよ。

――皆さんアイデアがすごいですね。

真由美さん:うちにある材料だけで作ってくれたからね。発売して翌々年くらいかな。他のお店もけっこうあちこちで真似して「葛バー」って出すようになって。他のお菓子屋さんがうちに作り方聞きにきたりもありましたね。問屋さんが「葛バーの素」を作ったって話も聞きましたし。ひとついい商品ができるとほんといろいろ広がっていくんだなって思いましたね。

――真似されるほどいい商品だったんですね。

真由美さん:でもお客さんの中には「あちこちで食べたけどおめさんとこのが一番美味しいね」なんて言ってくれる人もいて。うちは素なんて使ってないし、独自のやり方で作っているからね。

公一さん:「葛バー」の他にもいろいろ作ってくれますね。「いちご大福」もいちごをこだわって練乳餡にして出したら人気商品になった。「甘夏ゼリー」っていって甘夏を丸ごと使ったゼリーもあるし。やっぱ若者の方がなんでも自分たちでやってしまうんですごいなと思いますね。

真由美さん:シールとかパンフレットとかインスタグラムとか全部パソコンでやってしまうんですね。私たちはできないからほんと助かりますわ。娘はもう嫁に行っているんですけど、近くだからうちに通ってきてくれて本当にありがたい。遠くに嫁やってしまったら来ないからね(笑)

公一さん:娘がうちに手伝いきて帰るときに「行ってきます」って言って出てくけど、もう嫁行ってるんだから「行ってきます」じゃないだろって言って笑ってます(笑)

真由美さん:どっちがどうなんだか分からんわって言ってね(笑)

――今後はどのようにしていきたいですか?

真由美さん:子どもたちと一緒に頑張っていくしかないね。子どもたちが小さいときからそれが私たちの夢だったんです。

公一さん:今の時期は「イチジク羊羹」がすっごく売れてて。イチジクは西蒲区の「越の雫」ってブランド使ってて、パッケージもデザイナーさんにお願いしたら若い人たちも手に取ってくれるようになって。今の若い子の感覚って言うのはやっぱ違うなって思ったね。

真由美さん:それで若い子が食べて美味しければ、また買ってもらえるわけですし。商売してると面白いわ。これからも3世代元気に家族で続けていきたいですね。

小冨士屋(こふじや)

新潟県新潟市西蒲区岩室温泉576

0256-82-2053

8:00-1900

水曜休み

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