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ジャンプ伝説の編集長・鳥嶋和彦流の“人”の動かし方「人と自分は違う。だから押さえつけたりしない」

エンジニアtype

ジャンプ伝説の編集長・鳥嶋和彦流の“人”の動かし方「人と自分は違う。だから押さえつけたりしない」

伝説の編集者・鳥嶋和彦さん。『週刊少年ジャンプ』の編集者として鳥山 明さんをはじめとする数々の漫画家の才能を開花させ、同誌編集長になってからは『ONE PIECE』や『NARUTO-ナルト-』などの大ヒット作を世に送り出した。

さらには白泉社の社長として、当時四期連続赤字だった同社のV字回復を達成。さまざまな立場で、圧倒的な実績を出してきた人物として知られている。その根底にあるのは、「相手を徹底的に見る」姿勢だ。

しかし、この姿勢を貫くのはシンプルなようでいて難しい。エンジニアやクリエーターなど、ものづくりの現場でマネジメントに苦心するリーダーが多い理由の一つでもあるだろう。今回は、そんな悩みを抱えるリーダー層に向けて、鳥嶋流「人の動かし方」を紹介しよう。

編集者
鳥嶋和彦さん

慶應大学法学部卒業後、1976年集英社に入社。創刊8年目の『週刊少年ジャンプ』編集部に配属され、鳥山 明など人気漫画家を発掘育成。96年、同雑誌6代目編集長に就任。以後、同社全雑誌責任者の専務取締役、白泉社代表取締役社長、会長を歴任

人気低迷作品を読者アンケート1位まで浮上させた行動

ーー編集者は、作家をはじめとした「人」を動かす仕事です。最初にジャンプ編集者として「漫画家を動かす」実感が持てたのは、いつ頃でしたか?

入社1年目の終わりに『ドーベルマン刑事』の担当になったときだね。後で聞いたら、すでに数カ月後の連載終了が見えていたから「それなら鳥嶋にやらせておけ」ってことだったみたい。1年目の僕は資料室で昼寝ばかりしていて、評判が悪かったからさ。

それで先輩編集者と漫画家の平松伸二さんの打ち合わせに同席したんだけど、あの時の光景がその後の僕と漫画家の打ち合わせの仕方を決めてしまったの。

ーーどういうことでしょう?

『ドーベルマン刑事』は『北斗の拳』原作者の武論尊さんが原作を描いていたんだけど、先輩は完成した原作を漫画家に見せて、一方的に指示を出していてね。平松さんはその間、ほとんど「はい」しか言わなかった。

もう、この感じがすっごく嫌で。

僕は人を上から押さえつける在り方が大嫌いなの。だから学校が嫌いだったし、大学時代もサークルには一切入らなかった。ゼミなんて試験で先輩を論破して落とされちゃってさ(笑)

あの嫌な感じが打ち合わせに凝縮されてたわけ。だから僕は、平松さんに「はい」「いいえ」以外の言葉を言わせたいと思った

ーー目の前のやりとりから反骨精神が沸いて出たわけですね。

それからは3カ月かけて、彼と雑談ができる状態まで持っていったよ。

一方でさ、『ドーベルマン刑事』の人気は相変わらず低迷しているわけ。その理由を分析すると、キャラクターが全部同じ顔なんだよ。平松さんは18歳でデビューしているくらいだから絵はうまいんだけど、正義の味方も犯人も女性刑事も、全部面長でね。

ある時、新しいキャラクターが登場する回があったの。かわいらしい警察官の女の子なんだけど、平松さんの下絵を見て「違うな」と思った。面長で、今までと同じパターンだったわけ。完成原稿でもやっぱり「違うな」と思って、入稿する手が止まっちゃったんだよ。

結局、「この女の子の顔がどうしてもイメージと違うから、描き変えてほしい」って平松さんに電話をして、彼は徹夜明けだったけど、「分かりました」と言ってくれた。3カ月かけてコミュニケーションを取れるようにしてきたから、そんな話ができたわけだね。

ーー会話ができる関係性があるからこそ、言いにくいことも言えたし、相手も聞き入れる耳を持ってくれたんでしょうね。

ちょうど編集部に雑誌『明星(現Myojo)』があって、人気タレントランキングの1位がブレーク前の榊原郁恵だったの。そのページを破って平松さんに見せて、イメージイラストを描いてもらったらいい感じでね。それを新キャラにして、一晩かけて何十箇所と原稿の顔を貼り変えた。

その結果、ずっと読者アンケートで10位以下だった『ドーベルマン刑事』がいきなり5位になったんだよ。

武論尊さんも現金で、完成していた次回の原作をゴミ箱に捨ててね。「鳥嶋くん、このキャラをメインにしていこう」って、その女の子を中心に据えた原作を続けて描いて、『ドーベルマン刑事』はついにアンケートで1位になった。

たった一つの僕の思いつきだけど、その考えを漫画家に伝えて、具体的に原稿を変えてもらい、読者の反響を呼んだ。これだなって思ったね。

ーー関係性を構築した上で、人気低迷の分析を行い、アイデアを提案し、ヒットにつなげる。編集者として理想的な「漫画家の動かし方」ですね。

ただし、編集者は自分の意見を漫画家に押し付けちゃダメ。その瞬間は良くても、それだと漫画家が思考する習慣を失うからさ。自分が担当を離れても漫画家が機能するようにトレーニングするのが大事だと思うね。

「僕は分析が得意なんだろうね。だから最近は映画も一人で観に行くんだよ。人と一緒に行くと『この展開はキャラを壊してるよ』とか分析しちゃって、相手から嫌がられるから(笑)」(鳥嶋さん)

「自分と組めば損がない」そう思わせられれば、人は動く

ーー副編集長や編集長になると、今度は「社内の編集部員を動かす」立場になります。38歳でジャンプの副編集長になったとき、まず何をしましたか?

それぞれの編集者がどういう風に仕事をしているのか、知ることから始めたね。

というのも、全然原稿が上がってこないんだよ。印刷機の都合上、原稿には印刷の順番があるから、原稿が遅れると印刷スケジュールがぐちゃぐちゃになっちゃうわけ。

僕は印刷の工程をもとにスケジュールをきっちり組んで、それを漫画家に渡して締め切りのことは必ず最初に伝えていた。おかげで漫画家の原稿を待ったことが一回もなくてね。だから原稿が遅れることが衝撃だったの。

ジャンプには4人前後の班が四〜五つあるから、自分のデスクの前の班を3カ月ごとにローテーションで動かして、目の前にいる連中の性格や仕事の仕方を理解していった。

ほぼ1年かけて全部の班を見て分かったのは、自分と他人は違うってこと。それで、違うことを前提にマネジメントしなきゃいけないって気付いたんだよね。

で、次にやったのが漫画家の家庭訪問。原稿が遅い順に、担当編集と一緒に作業場へ行って、最初の30分は担当編集が同席した中で話す。残りの30分は担当編集に帰ってもらって、2人で話すようにしたの。

漫画家には担当編集に対して言いにくいことがあるだろうからさ。2人きりになって漫画家が困っていることや、編集とうまくいっていないことを聞いていった。原稿が遅いのには何かしらの理由があるから、そうやって問題解決をしていったわけだね。

ーー現状を分析して、やるべきことを考える。編集者だったころに漫画家に対して行ってきたことと同じですね。

13年間、鳥山 明に毎日欠かさず電話をした理由

ーー2015年には白泉社の社長に就任しています。今度は会社や社員全体を見る立場ですが、この時は最初に何をしたんですか?

社長就任までの2カ月半で、約100人の社員全員と面談をしたよ。メモを取らないこと、聞いた内容は誰にも言わないこと。この二つを約束して、一人30分、一日最大6人と話したね。「自分と人は違う」っていうのをもう一回思い出したわけ。

そうするとさ、白泉社全体の状況が大体掴めるの。

ーー何が見えてきたんでしょう?

「社員は真面目で優秀だけど、こじんまりとした優秀さだ」ってことだね。どうしようもないやつはいないけど、本当に頭が切れるやつもいない。

それはさ、社員のみんなが外に出ないからなんだよ。だから社長になって最初に、「どんどん会社から遠くに行け」「そのために必要なお金はどんどん使え」って話をしたの。

出版社において社員がお金を使うのは企画への投資だからね。企画に投資しない会社に未来はないし、会社の名刺があれば大抵の人に会いに行けるわけじゃない? それを使わない手はないからさ。

ーー自分が動かすべき相手をよく見て話を聞き、分析して、行動に落とす。編集者でも、編集長でも、社長でも、基本は同じなんですね。

相手に関心を持てば、必ず何かしら見えてくる部分があるんだよ。

例えば漫画編集者として鳥山 明さんの担当をしていた13年間は、どこにいても毎日必ず電話をしていてね。5分でも話せば声の感じで彼の体調が分かるし、今何に興味を持っているかも分かる。

好きな子がいたらさ、相手が何してるか、気になるでしょ? 相手の好きなものを知ったら「じゃあ今度あそこに連れていってあげよう」とか、いろいろなことを考えるじゃない? それと一緒だよね。

鳥嶋さんは鳥山 明作品に登場する悪の科学者『Dr.マシリト』のモデルでもある。「鳥山さんがDr.マシリトを描いたのは、きっと彼が負けず嫌いだからだよ。鳥山さんは孫悟空で、僕は三蔵法師だからさ(笑)。それが分かっているから腹が立つし、自分がやりたくないものを描いた結果人気が出て、それで飯を食えているのも腹が立つ。そんな彼の憂さ晴らしがDr.マシリトってわけだね」(鳥嶋さん)

あとは、外部はもちろん、制作や販売、経理といった社内の各セクションに味方を作っておくことも大事だね。会議でやり込めた後にごはんに行って、「さっきはごめんね」って話したりさ。そうすると、大変な時にそれぞれが味方してくれるようになるんだよ。

ーーなぜ味方してくれるんですか? ごはんに行ってフォローするくらいでは足りないような……。

僕が正確に仕事をしているからだろうね。

例えば今年開催した『ボツ』の出版記念イベントにはゲームデザイナーの堀井雄二さん(『ドラゴンクエスト』シリーズ)とか、漫画家の桂 正和さん(『ウイングマン』『電影少女』『I’s』 )とか、なんだかんだ言いながらいろいろな人がゲストとして来てくれた。

それはね、僕が正確に仕事をしてきて、彼らの預金通帳にお金を入れたからだよ。たぶん、彼らに僕のことが好きか聞いたら、「好きとは言えない、けど……」って即答はできないと思う。でも、「世話になったよね?」って聞いたら「はい!」って言うよ。

要するに、僕と組めば損がないってこと。自分が金持ちになるよりも、人を金持ちにして喜ぶ姿を見てる方が面白いしね。

桂 正和さんも鳥嶋さんが発掘した漫画家の一人。初めて原稿を見たとき、あまりの絵の上手さから即両親の説得へ行ったという。「最初の単行本が出たとき、桂さんの実家にあいさつへ行ったの。そしたら帰り際にお母さんが『息子がお世話になりました』って、のし袋を差し出すんだよ。のし袋は厚みで閉じなくなっていて、どう考えても100万円くらいあるわけ。だから断ったけど、10万円なら受け取ったなって後から思った。厚みに負けたね(笑)。桂くんにはナイショだよ」(鳥嶋さん)

「不自由な子ども」のための仕事が次世代クリエーター発掘につながる

ーークリエーターやエンジニアの中には現場から離れ、マネジメントに移行することにモチベーションを見出しにくい人もいます。鳥嶋さんは社長業も楽しめたんですか?

今までの仕事は全部楽しかったよ。

出版社の場合、編集長まではイメージしやすいけど、そこから先はポカンとしちゃうんだよね。何をしたらいいか分からなくなって、現場にしがみついて後任の編集長の仕事の邪魔をし始める人もいるけど、それがすごく嫌でさ。だから見る相手を漫画家や読者から、スタッフに変えたの。

まぁ、最初に白泉社に行けって言われた時は「クソ、俺が邪魔なんだな」と思ったけどさ(笑)

ーー30年以上漫画編集の仕事をやってきた理由として漫画家の才能が花開く過程を見られることを挙げていましたが(参照)、いわばその対象が「スタッフの才能」に変わったとも言えそうですね。

何よりさ、「楽しい何か」って誰かを救えるんだよ

僕にとって「子どものための娯楽」はキーワードなの。子どもって不自由じゃない? 先生や親っていう権力者がいて、学校にはヒエラルキーがある。勉強も運動もできなくて自信が持てるものに恵まれなかったら、苦しいばっかりじゃん。

だから小中学生は漫画やゲームが好きなわけ。『ドラゴンボール』や『ドラクエ』の世界にいれば、その間は嫌なことを忘れられるし、新しいことに出会える。それが小中学生の救いだから、そういう不自由な子どもたちのために僕は仕事をしたかった。

それにさ、子どもの頃に面白かった漫画やゲームの記憶って強烈に覚えているでしょう? その感動をきっかけに、次の漫画家やゲームデザイナーが生まれていくわけ。

つまり子どもたちの心を動かせれば、次世代のクリエーターを発掘できるんだよ。

ーーたしかに漫画やゲームに夢中になった原体験からクリエーターやエンジニアを志した人は多いです。

漫画家に取材を受けてもらっていたのもそう。鳥山さんには『徹子の部屋』なんかに出てもらったけど、当時の漫画家は親から反対される仕事だったの。世間からも半端で駄目な人がなる職業だと思われていてね。

でもさ、それは絶対に違うわけ。漫画家は才能がある人がなれる、将来性がある職業。だから漫画家という職業のステージを上げておきたかった。

要は、漫画家を子どもが憧れる職業にしたかったんだよね。子どもたちが大人になったとき、その才能が他のジャンルじゃなくて漫画に向くようにさ。

ーー漫画家の社会的地位の向上まで……! 鳥嶋さんは編集者だった頃から職種の枠にとらわれない仕事をしてきたわけですね。そう考えれば現場から離れても自分が納得できる仕事の在り方はいくらでも見つけられるように思えてきます。

前回も言ったけど、やっぱり「事に仕える」の意味を考えることだよね。会社や上司の考え方に合わせて、前例に従って正しいやり方をするから苦しくなるわけでさ。

本質を考えて、そこに対する自分なりの傾向と対策を立てる。それさえできれば、どんな仕事だって面白がれると思うよ。

書籍紹介

ボツ 『少年ジャンプ』伝説の編集長の“嫌われる”仕事術(小学館集英社プロダクション)

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取材・文/天野夏海 撮影/竹井俊晴 編集/光谷麻里、秋元 祐香里(ともに編集部)

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