【鎌倉 華道家・假屋崎省吾さんインタビュー】1000坪の敷地で庭を育て、美しく暮らすということ
假屋崎さんの到着を待つ間、スタッフに邸宅の裏手にある庭を案内してもらいました。
鎌倉に広がる1000坪を超える敷地。小路を歩いていると、自分が庭にいることを忘れます。花の盛りを過ぎた紫陽花が残り、夏らしく草木が青々と茂っています。
ここへ来る途中、タクシーの運転手が教えてくれました。夜になれば、鎌倉駅周辺は渋滞で身動きが取れないほどごった返す。目と鼻の先にいる客を迎えに行くことすら難しくなるため、運転手はみんな早々に帰宅するか、休憩に入る。
そんな話が遠く感じるほど、ここは静かでした。
鳥の鳴き声と、葉の揺れる音。斜面を下っていくと、小川のせせらぎも聞こえてきます。
「お家というのは、生きているんですよ」
華道家・假屋崎省吾(かりやざき しょうご)さんは、表参道で約25年暮らしたあと、この鎌倉の家へ移り住みました。きっかけは、鎌倉という街ではなく、この家と庭との出会いでした。
1000坪を超える敷地で庭を育て、犬たちと暮らす日々。鎌倉で深まった「和」への思いと、美輪明宏さんから受け取った教え。そして、まだ実現していない新たな夢。
鎌倉花火大会の日の午前10時、鎌倉での現在の暮らしについて、お話を伺いました。
鎌倉を選んだのではなく、この家を選んだ
假屋崎さんは、表参道で約25年暮らしました。
隣の家が売りに出ると敷地を広げ、地下2階、地上3階の家に建て替えました。地下には、130人ほどが座れるホールを作り、ピアノのコンサートなどを開催していました。
軽井沢にも、1300坪を超える土地に別荘を建てています。
鎌倉の家を知ったのは、偶然でした。スマートフォンでYouTubeを見ていたとき、この家を紹介する映像が流れてきたそうです。
石造りの建物と、広い芝生の庭。アンティークの雰囲気を持つ車庫。
假屋崎さんがそれまで抱いていた鎌倉の家のイメージとは、まったく違うものでした。
「鎌倉って、お寺があって、もっとじめっとした感じのイメージだったんです。でも、芝生が広くて、家も日本風ではなかった。素敵だなと思いました」
その1週間後、同じ家が不動産情報サイトに掲載されました。
スケジュールを確認すると、その日の午後が空いている。すぐに鎌倉駅近くの不動産会社へ電話し、家を見に行きました。
そして、その場で購入を決めてしまいます。
「家と庭です」
鎌倉という街が先にあったわけではありませんでした。家と庭に出会い、その場所が鎌倉でした。
人生は、すべて即決
假屋崎さんは、人生の大きな選択をほとんど即決してきたといいます。
表参道の家も隣地を購入したとき、決断は一瞬でした。
ある日、タクシーで帰宅し、裏口から家へ入ろうとすると、隣の家を眺めている「あやしげな」3人の男性の影がありました。「これは売りに出るのかな」と思ってすぐさま、購入の意思を伝えました。
「買いますって」
軽井沢の土地は、現地を見る前に決めました。
テレビのロケで軽井沢を訪れた際、帰りの新幹線まで時間がありました。駅前の不動産会社へ立ち寄り、「いい土地があったら教えてください」と伝えて、電話番号を残しました。
1週間後に連絡があり、場所を聞くと、「あ、あそこね」。電話口で購入を決めました。
「自分の人生は、全部即決なんです。迷いがないんですよ」
人との出会いも同じだといいます。
「この人、ちょっとうそくさいわねと思うと、やっぱりそう。絶対いい人だと思うと、長く続きます」
反対に、迷いながら決めたことは、うまくいかないことが多いそうです。
「どうしようかなと思って、いろいろな人に言われて決めると、大体ダメなんです。即決すると、全部うまくいく」
家を直し、庭をつくる
購入した家は、当時、築18年ほどでした。
暮らし始めると、門が壊れ、空調設備も動かなくなりました。道路に面した庭には「ひょろひょろした」木が植えられているだけで、外から簡単に入れてしまう状態でした。防犯面にも不安を感じたといいます。
假屋崎さんは、家と敷地に大きく手を入れることにしました。
平屋だった車庫を建て替え、一階には車3台分のスペース、洗濯室、収納、食料庫を設けました。上階には、ピアノを練習できる空間や、来客を迎えるためのスペースがあります。今回の取材も、ここで行いました。ほかに、ミニキッチンと小さな書斎も設けられています。
設計を依頼したのは、軽井沢の別荘も手がけた坂倉建築研究所です。
鎌倉では、条例により建物の形状が厳しく制限されています。平らな屋根にはできなかったため、屋根の形状を生かし、室内の天井を三角形にしました。結果として、ピアノを弾いたときの音響もよくなったといいます。
部屋は、花や植物の柄の壁紙と、シャンデリアで彩られています。床材は、愛犬のため犬が滑りにくいものを選びました。
一方で、假屋崎さんは、細かなものを並べることを好みません。
「でかいか、小さいかなんです。細々と物を集めて陳列するのは嫌い。必要なものだけ置いて、あとは収納に隠します」
建物を整えるのと同時に始まったのが、庭の大工事でした。
1000坪を超える敷地に四季をつくる
もともとの庭は、広い芝生の斜面でした。そこへ石組を施し、洗い出しの遊歩道をつくりました。道は斜面を縫うように続き、途中で左右に分かれます。さらに下っていくと、谷の底を流れる小川へたどり着きます。
周囲の家が見えないよう、庭には多くの木を植えました。もとからあった高木は残し、落葉樹と常緑樹を組み合わせています。常緑樹は、一年を通して外からの視線を遮る役割も担います。
「人の家が見えるのが、とても嫌だったんです。だから、これでもか、これでもかというくらい樹木を植えました」
実際、取材前に庭を歩くと、木々に遮られ、周囲の家はほとんど気になりませんでした。
木を植えたあとには、宿根草や球根を植えていきました。
冬の終わりには日本水仙と枝垂れ梅、クリスマスローズが咲き、春になると桜やパンジー、牡丹、初夏には菖蒲やジャーマンアイリス、紫陽花。夏になると百合や百日紅が咲きます。ヤマユリなど球根類は、100球単位で植えることもあるそうです。
秋には木々が紅葉し、冬になると落葉樹の葉が落ちます。
「冬は花がなくても、枝の動きがきれいなんです。雪が降れば、それもまた美しいんです」
花が咲いている季節だけが、この庭の見頃ではありません。一年を通して変化する庭そのものを、假屋崎さんは育てています。
庭の入口側は家族が担当し、母屋側は假屋崎さんが担当しています。
「好みが違うので、喧嘩するんです」
入口側には薔薇を中心に、宿根草や一年草が植えられています。母屋側では、假屋崎さんが庭師と相談しながら、手入れを重ねています。
庭は、一度完成させれば終わるものではありません。草を取り、枝を切り、花を植え、翌年の開花を待ちます。
「お家というのは、生きているんですよ」
この日も午後は草むしりをする予定だと、教えてくれました。
犬たちと暮らすため、鎌倉へ
假屋崎さんは、「もともと猫派だった」といいますが、表参道でフレンチブルドッグを飼い始めたことをきっかけに、犬との暮らしに惹かれていきました。
家族と鎌倉へ移る際、条件の一つになったのが、大型犬を飼えることでした。
現在は、レオンベルガー、スパニッシュ・マスティフ、グレート・ピレニーズの大型犬をはじめ、保護犬、チワワ、フレンチブルドッグの6匹と暮らしています。
表参道は便利でしたが、いつのまにか周囲の木々は次々と切られ、マンションへ変わっていきました。細い路地にも多くの人が入り、静かに暮らせる環境ではなくなっていったといいます。
「まえから緑が好きだったし、60歳を過ぎて、もっと子供の頃から好きだった園芸ができて、空気がよくて、静かで、広い庭があるところへ行こうと思ったんです」
鎌倉へ移ってから、ご近所との付き合いも生まれました。犬の散歩をしていると、同じように犬を連れた人と出会います。町内会もあり、音楽会や餅つきなどの催しも開かれています。
「鎌倉の方は、譲り合いの精神がありますね。車を運転していても、どうぞ、どうぞって。おおらかな方が多いのかな」
ただし、親しくなりすぎないことも大切にしています。
その距離感を表すのが、敬愛していた美輪明宏さんから教わった「六分の付き合い」という言葉です。
「八分でも駄目なんです。六分くらい。あまり親しくなりすぎると、嫌なところも見えてしまうでしょう。六分くらいだとうまくいくんです」
近づきすぎず、離れすぎない。静かな環境と、ほどよい人とのつながり。
ここにいると癒やされ、ストレスがすっと引いていく。「67歳ですけど、ついの棲家かな」と話す假屋崎さんに、「今、すごく穏やかな顔をされてます」と伝えると、假屋崎さんは少し笑いました。
「穏やかですか?でも美輪さんが亡くなって、心にぽっかり穴が開いたようですけどね」
鎌倉が深めた「和」という美意識
鎌倉で暮らし始めてから、作品にも変化が表れたといいます。
「より一層、和にこだわるようになりました」
円覚寺や浄智寺、長谷寺、覚園寺。円覚寺では個展も続けています。
古くから寺社を巡ることが好きだった假屋崎さんですが、鎌倉で暮らすようになり、歴史のある建築や庭園に日常的に触れるようになりました。
畳、床の間、欄間、透かし彫り。
そうした空間に身を置くことが、美意識にも影響を与えているといいます。
「一花一葉。一輪の花、一枚の葉、一枝。そういうミニマルな美しさですね」
一方で、全国を飛び回る生活は今も続いています。花の個展や講演会、花教室。自身の着物ブランドを展開し、月に数回、地方で着物のお見立て会を開くこともあります。
そのなかで、ライフワークとしているのが、歴史的建築物に花をいけることです。
「歴史的建造物に挑むシリーズ」と題し、元離宮二条城で個展を開催したほか、名古屋城、松山城、首里城、旧岩崎邸や旧篠原家住宅、本間美術館・清遠閣など、建物が残してきた歴史のなかに花をいける活動を続けています。
美輪明宏さんは、そんな假屋崎さんを「美をつむぎ出す手を持つ人」と評しました。
美輪明宏さんから受け継いだもの
假屋崎さんは、美輪明宏さんと30年以上にわたり親交を重ねてきました。
毎年5月15日の誕生日には、花を贈っていました。花が届くと、必ず美輪さん本人から電話がかかってきたといいます。
「『假屋崎さん、ありがとうございます』って。そこから、いろいろな話をするんです」
しかし、今年は電話がありませんでした。
「あれ、と思ったんです」
その約1か月後、訃報を知りました。
美輪さんは、人の家をほとんど訪ねない人だったそうです。それでも、表参道に家を建てたときには、地下2階から3階まで一階ずつ見て回り、途中でお茶を飲みながら、半日近く滞在されました。
仕事で同じ舞台に立つこともありました。美輪さんが長年、第一ホテルで続けてきたディナーショーが、コロナ禍でしばらく途絶えていた時期がありました。再開しようとした際、美輪さんは軽い脳梗塞で体調を崩しており、一人で舞台に立てる状態ではありませんでした。
「假屋崎さん、一緒にやって」
声をかけられた假屋崎さんは、ゲストとして舞台に立ち、一世一代の花を舞台にいけ、トークでも共演しました。
假屋崎さんは、美輪さんの芝居や音楽会にも何度も足を運びました。初日に出かけ、公演期間中にも3回、4回、5回と通い、千秋楽にも必ず足を運びました。
招待された一度だけではなく、自分でチケットを購入し、周囲の人を誘いました。仕事と重なれば仕事のほうを断って、公演を優先しました。
「自分が一番、誰よりも、美輪さんの生の歌を聴き、お芝居を拝見していると思っています」と、假屋崎さんは話します。「厳しさと優しさがありました。本物の方でした」
美輪さんから受け取った言葉は、今も日々の判断のなかに残っています。
六分の付き合い。
見ざる、言わざる、聞かざる、そして関わらざる。
「何か変なことを持ちかけられても、関わらない。揉め事にも関わらない。それが一番いいんです」
困ったときには、美輪さんの言葉を思い出します。著書を読み返し、CDを聴き直すこともあります。
美輪さんから教わったことを振り返りながら、話は美意識へと移りました。
「美意識には、これで卒業ということがないんです。自分は美をつくる仕事をしているから、常に美を仕入れなくちゃいけない。枯渇してしまいますから」
そのために、旅へ出る。寺社や建築を見る。映画を見る。
最近は、BL作品にも夢中だそうです。
「BLも美しい世界です」
こちらが笑うと、「こう言うと、みんな笑うのよ」と言って、假屋崎さんも笑いました。
まだ終わらない夢
今、新しい夢があります。
それは古民家。
自宅から通える場所に、新たに土地を見つけ、古民家を移築する。周囲に木を植え、庭を整え、作品を展示できる美術館のような場所にする。
全国で古い建物が使われないまま失われていることも気にかけています。古い木材を生かして移築するか、新たに建てることも考えています。
新潟で古民家の再生を続けるドイツ出身の建築デザイナー、カール・ベンクスさんの仕事にも惹かれているそうです。
その夢の古民家で、個展を続けたいと考えています。
「実現するまでは、死ぬに死ねません」
そう笑います。
1000坪を超す敷地で庭を育てながら、假屋崎さんは、次の庭を思い描いています。
假屋崎省吾 プロフィール
1958年、東京都練馬区生まれ。20代で華道を始め、独自の色彩感覚と大胆な空間構成で知られる。假屋崎省吾花教室を主宰し、2023年に華道歴40周年を迎えた。
クリントン元米大統領来日時や天皇陛下御在位10年記念式典で花の総合プロデュースを担当したほか、能・狂言の舞台美術、音楽家やファッションデザイナーとのコラボレーションなど、幅広い分野で活動。日本国内だけでなく、海外でも華道を広めてきた。
現在は鎌倉を生活の拠点とし、花教室を続けながら、歴史的建築物に花を生ける活動をライフワークとしている。