名作『いまを生きる』との共通点と大きな違い オスカー受賞『ホールドオーバーズ』が描く“持たざる者”への優しさ
俳優の実力を引き出す優れた脚本
ひさしぶりに心に染みる、いい映画を見た。アレクサンダー・ペイン監督の『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』だ。
主演は、同監督の代表作『サイドウェイ』(2004年)でもコンビを組んだポール・ジアマッティ。教師仲間からも生徒たちからも嫌われている古代史の教師が、やむをえない事情で寄宿舎に残ることになった生徒たちと過ごす2週間のクリスマス休暇を描いた作品で、ジアマッティが今年度アカデミー賞主演男優賞にノミネート、ゴールデン・グローブ賞主演男優賞を受賞、寮の料理長メアリー・ラムを演じたダヴァイン・ジョイ・ランドルフがアカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞などで助演女優賞を総なめにした。
主な登場人物はこの2人に加えて、問題を抱えた生徒アンガス(ドミニク・セッサ)だけなので、この映画が、じっくり俳優の演技を見せ、彼らのキャラクターを通してテーマを描き出す映画なのだな、ということが分かるだろう。つまり、俳優の演技が上手いのはもちろんだが、その演技を引き出すキャラクターを創りだした脚本に秘訣がある。
寂しい新年を共有する“こじらせた3人”の物語
では、簡単にストーリーを。時は1970年。ボストン近郊にあるバートン校は、裕福な家庭の子弟ばかりが集まる全寮制の中高一貫校。古代史を担当するポール・ハナム(ポール・ジアマッティ)は、容赦なく落第点をつけるので生徒たちからは嫌われ、偏屈で協調性のない性格のせいで同僚たちに敬遠される困った存在。ところが、議員の息子に落第点をつけた罰として、クリスマスから新年にかけての2週間を、寮に居残ることになった5人の生徒たちの子守りを学長に命じられる。
休暇にもかかわらず、厳格に日課を決め、生徒をコントロールしようとするハナム。だが、航空会社の社長の息子がヘリコプターで仲間たちをスキー場へ連れ去った結果、広大な学校に、ハナムと料理長メアリー、問題児アンガスだけが取り残される。まだ新年までたっぷり休暇は残っている。偏屈なハナム、気難しいメアリー、問題児アンガス。世間からも家庭からも“置いてけぼり”にされた3人は、誰もいない学校という非日常の中で、互いの心の奥に仕舞い込まれた“痛み”を少しずつ理解するようになる……。
名作『いまを生きる』との共通点と、大きな違い
この映画を見て、すぐ頭に浮かんだのはピーター・ウィアー監督の『いまを生きる』(1989年)だった。設定は『ホールドオーバーズ』より約10年前の1959年、舞台もバートン校に似た全寮制の一貫校だ。そこに優等生の兄を持つ新入生(イーサン・ホーク)が転入してきて、新任の英語教師キーティング(ロビン・ウィリアムズ)と出会うところから物語が始まる。
今回、改めて『いまを生きる』を見直してみて、似ているかと思ったキーティングとハナムが、まったく別次元の教師だということに気がついた。
詩の美しさを教え、既成の権威を嫌い、教科書を破かせ、生徒たちに自立を促すキーティングに対して、外見もいまいち(斜視で体臭が強いというコンプレックスあり)、知識は抜群だが教育には情熱がなく、生徒に容赦なく辛口の点数をつけるハナム。
「慕われるエリート先生(キーティング)VS 嫌われる落ちこぼれ先生(ハナム)」――違いがありすぎて、“感動の学園もの”とひとくくりにはできない。
作り方にも違いがある。ピーター・ウィアーがかっちりセットを組んで撮影している正統派であるのに対し、アレクサンダー・ペインは得意のアマチュアイズムあふれるロケ・セット方式。永遠の映画愛好家(アマチュア)であるペインだからこそで、その手作り感覚が映画に柔らかな風を行き渡らせている。
『サイドウェイ』がそうだったように、ペインの映画はどれもロード・ムーヴィーの側面があるように思う。目的地があろうとなかろうと、道を進んでいくうちに登場人物たちの心が交叉し、触れあいが生まれる。それを見せること。目的地に着くことがテーマではなく、そこまでの旅(ロード)が見どころだ。『ホールドオーバーズ』も、学校からどこかへ出掛ける(一度だけボストンの街に行く)わけではないが、ハナム、アンガス、メアリーの2週間の心の旅を描いたロード・ムーヴィーのように私は思う。
ペイン監督が“希望”を託したのは?
さて、この映画の核心、3人の登場人物の要になっているのは、実は料理長のメアリーである。60年代に盛り上がった公民権運動は数々の弾圧と指導者の死によって下火になり、黒人の期待は打ち砕かれて、70年代を迎える。シングルマザーのメアリーが手塩にかけて育てた一人息子は、優秀なばかりに大学の学費のためにベトナム戦争に志願して戦死する。
“持たざる者”の悲運を一手に引き受けた、彼女の深い悲しみ。演じるダヴァイン・ジョイ・ランドルフの諦めと怒りがないまぜになった視線に、多くのアメリカ人は心を痛めただろう。そして、この映画が最高にステキなのは、そんな苦渋と絶望のどん底にいる彼女に、とある形で“未来”を与えるところにある。
ストーリーの本筋は、クリスマスにボストンに遊びに出掛けたハナムとアンガスが、ある事件をきっかけにそれまでとは違う人生を歩み出すところにあるのだが(そのエピソードもとても感動的だが)、私が一番心を打たれたのは、悲しみの固まりのようなメアリーに“希望”をもたらすアレクサンダー・ペイン監督の優しさだった。
文:齋藤敦子
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は2024年6月21日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー