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放たれた夫のセリフに絶望。癇癪、夜泣き、孤独な自閉症育児のSOSは届かず――バラバラだった家族は、いま

LITALICO発達ナビ

放たれた夫のセリフに絶望。癇癪、夜泣き、孤独な自閉症育児のSOSは届かず――バラバラだった家族は、いま

監修:初川久美子

臨床心理士・公認心理師/東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち

ほぺろうの癇癪でつらかった時期、家族はバラバラ

自閉スペクトラム症と知的障害のあるわが家の息子ほぺろう。正式に診断が下りたのは3歳のときでした。

1歳半ごろから発達の遅れは気になってはいましたが、2歳を過ぎたあたりから手のつけられないレベルで癇癪が激しくなり、いよいよ『ほかの子とは違う』という現実を突きつけられていました。

当時の私は障害について検索するのに必死。改善する方法を検索して必死。障害じゃない可能性を検索して必死。…頭がおかしくなるくらい検索漬けの毎日でした。

しかも「私は母親なんだから子どものことをしっかりやらなくてはならない!」という変な意地を張っていたので、仕事のあるペー太(夫)に支障がないようにほぼ毎日別室で寝ていたし、ほぺろうのことはほぼ全て私がやっていました。

ただでさえ大変なほぺろうに私は24時間つきっきり。ほぺろうが何よりも最優先。ペー太とはすれ違い生活で会話は減り、そのころの夫の記憶がほとんどありません。

限界のとき…妻に放たれた夫のセリフ

3歳でほぺろうの診断名が出た当時の私の気持ちは、わが子の将来が見えなくて不安と絶望。

また「育児は母親が背負うもの」という間違った先入観が邪魔して、「癇癪で大暴れ」や「夜の寝つきが悪い」などなど…ほぺろうと二人っきりの閉鎖的な世界で(他人に会うと迷惑をかけるので)全てを私一人で抱え込んでいました。

毎日の癇癪と寝不足で心身はボロボロ。限界でしたが助けの求め方が分かりません。というか、もう正しい判断もできなくなっていたので「母親なんだから助けを求めてはいけない」と思っていました。

あるとき、追い詰められていた私はペー太に心配してほしくて「ほぺろうがいなくなっても後悔しないかも…」と心にもない言葉を出してしまいました。でも そんな屈折したSOSを理解する方が難しいでしょう。

そう言い残し、戸を閉めて行ってしまいました。

そのときは、「夫は私やほぺろうに無関心なんだと」思ったし、寄り添ってもらえないと感じました。そして、さらに夫に頼るということができなくなりました。

転機!全てのきっかけは私自身にあった

その後もずいぶん一人でもがき苦しんでいました。

でもやがて、地域のサポートや保育園にお世話になれるようになってから私の気持ちに少しずつ余裕が出てきました。そして就職も私にとって大きな転機だったと思います。決して自慢できませんが、家事がどんどん下手クソになっていったのです!

あまりにも上手く家事ができな過ぎて、逆に「ま、いっか!」と開き直るようになったせいか、助けの求め方が分からなかった私が自然にペー太を頼れるようになっていきました。

すると不思議なことに、なぜか家族仲が良くなってきました。ほぺろうがお父さんに懐くようになっていきました。

壁をつくっていたのは私自身だったんだと気づきました。

実は誰よりも息子を想っていたペー太

ほぺろうが6歳になった現在、今では子煩悩で ほぺろうのためなら何でもやってくれるペー太。最近になって初めて、診断が出た当時の気持ちを聞いてみました。

ペー太いわく、「診断が出たときはホッとした。その前からほぺろうはほかの子とは違うとハッキリ感じていたから、早く対策してあげたかった」「診断名が分かったから、ようやく適切なステップを踏めると思った」とのこと。

私は衝撃でした。私なんてむしろ障害じゃない可能性を探したりしていたのに、ペー太はスタートラインから心構えが違っていました。全然無関心なんかじゃなかった。診断名を聞いて「よし、これからだ」とペー太は思っていたのに、障害を受け入れられずに悲観してばかりの私を見て「何やってんの」となるのは当然だと思いました。

当時、ほぺろうのために何かしたかったのに、私が壁をつくっていたせいで手を出しにくかったらしい…。本当に最近までペー太の気持ちを知らず、対話してみないと分からないものだと実感しました。

現在の気持ちも聞いてみました。ペー太いわく、「障害とは何か?と聞かれたら詳しくはよく分からないけど、”ほぺろうはほぺろう“としか思えない」とのこと。障害と向き合うと言うより、本人そのものと向き合おうとする子育ての本質を、意外にも父親であるペー太の方がつかんでいたことに驚かされました。

今ではほぺろうはすっかりお父さんっ子。相変わらず私に対しては優しくない夫ですが(笑)、ほぺろうへの愛情深さは本当に尊敬しています。

執筆/ぼさ子

(監修:初川先生より)
夫婦の思いが分かり合えるに至るプロセスのシェア、ありがとうございます。はじめは、ぼさ子さんがまさに孤軍奮闘している思いだったのですね。お子さんの発達がゆっくりだったり癇癪がすごかったりして、なんかちょっと違うのでは…と思うこと、そして実際に診断が下りること。うすうす感づいてはいても、衝撃と困惑とさまざまあったことと思います。

大きな衝撃を受けたときの反応は人それぞれで、読者の方の中にも、ぼさ子さんのように思われる方も多くいらっしゃると思います。そして、“孤軍奮闘”になると、どうしても視野が狭くなってしまうものです。人は頑張りすぎると周りが見えなくなりがちなのはいかなる場合・状況でもそうなるものです。保育園や地域資源の利用、就職などで、さまざまな方のお力を借りる(というか、分業する、子どもと離れる時間を設け、子どもを見る良き支援者が増える)ことで、ぼさ子さんの場合には精神的なゆとりと物理的な支えを得たことが、視野が広がるきっかけだったように思います。

ぺー太さんのように、子どもの発達の遅れや診断を「よかった」と受け止める方もいらっしゃいますね。そうしたところについては、夫婦や家族の中であっても、どう受け止めているのかは聞いてみないとわからないものです。話してみたら、意外とわが子を「子」として見ていてくれた(障害の有無にかかわらず「子」として見るって素敵なことです)とのこと、素敵なパートナーさんですね。一緒に子育てを担う方の中に、そうしてどーんと構えて、子どもをかわいがってくれる人がいるというのは心強いですね。

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