【ネタバレ】『スマッシング・マシーン』ラストシーンの意味、監督に聞いた ─ 「いろいろなことがあったけど、彼は」
“最強”と呼ぶには、あまりにも繊細だった……。ドウェイン・ジョンソンが、「霊長類ヒト科最強の男」と恐れられた総合格闘家マーク・ケアーの半生を繊細に演じる映画『スマッシング・マシーン』。意外なラストシーンの演出に驚かされたという観客も少なくないだろう。
監督のベニー・サフディは、なぜあの印象的なラストを用意したのか。なぜ、“あの場所”だったのか。そこに込められた、本作を貫く尊いテーマとは。来日したサフディに、THE RIVERが直接尋ねた。
この記事には、『スマッシング・マシーン』のネタバレが含まれています。
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この記事には、『スマッシング・マシーン』のネタバレが含まれています。
©2025 Real Hero Rights LLCなぜ『スマッシング・マシーン』のラストシーンでは、スーパーマーケットにマーク・ケアー本人を登場させたのか?
『スマッシング・マシーン』は、最強と呼ばれたマーク・ケアーが敗北を味わって自信を失うようになり、孤独と薬物に溺れていく様をドキュメンタリータッチで描いた。日本で開催されたPRIDEの大一番でも大敗を喫したケアーは、しかしようやく勝敗のプレッシャーから解放されたかのように、ひとりシャワールームで笑うのだった。
映画はそれからタイムジャンプし、なんと現代のマーク・ケアー本人が登場する。それも、スーパーマーケットで夕食の買い出しをするという、かつて格闘界で頂点を極めた物語の最後とは思えないような、なんとも日常的な風景だ。ケアーはレジの店員と会話し、カメラを意識して照れくさそうに笑いながら、自家用車に乗って帰宅していく。ただ、それだけである。
なぜ、最後にスーパーマーケットで買い物をするケアー本人の姿を見せ、この繊細な映画を終えたいと思ったのか?来日したベニー・サフディ監督に尋ねてみると、そこに込められていたのは、人生への普遍的な答えとも言うべき、深いテーマ性だった。
「実は本作で、ラストだけがIMAXのシーンなんです。あそこは65ミリで撮りました。実に自然なことです。自然界に生きる、彼。だって、そもそもIMAXは自然ドキュメンタリーのために開発されたものですから。
だから、“見つけたぞ!彼が本物だ!”という感じですよ。25年越しに、いたぞ!と。“彼を見つけた”という感覚が欲しかった。だから、彼の方もこっちに気付くんです。観客を見て、“おぉ”、って。みんな笑ってる。
彼は驚いたと思いますよ。だって、自分が映画に出るとは全く思っていなかったから。でも、彼を1人の人間として見ることがどれだけ重要なのかということを、彼に説明したんです。
それに、あのシーンは彼の人柄がよく現れていると思います。だって、普通なら、これだけの頂点にいたんだぞとか、自分はこんなにすごいんだぞと見せたがるでしょう。自分はこのチャンピオンだった、こんなにトロフィーがあるぞ、みたいな。
でも、マークは僕が本作でやろうとしていることを理解していた。つまり、“スーパーマーケットでの彼の姿”こそが、真のトロフィーなんです。いろいろなことがあったけれど、彼は大丈夫、とね。」
リングも、歓声も、トロフィーもない。壮絶な日々を経て、今はただ、自分自身と和解したひとりの人間が、日々の穏やかな暮らしの中にいる。
サフディにとっては、その何気ない姿こそが、ケアーがたどり着いた場所だった。頂点を知り、敗北を知り、痛みを抱え、それでも今を生きている。彼は今、幸せだ。大丈夫でいるのだ。
『スマッシング・マシーン』のラストが映し出すのは、勝利よりもずっと大切な、人生そのものの姿だったのだ。
映画『スマッシング・マシーン』は公開中。