【現地取材】龍神伝説が残る湯出川の天王様に参拝してきた 〜神奈川県清川村
神奈川県に33ある市町村の中で、唯一の村である清川村(きよかわむら)。
清川村は県民の水がめである宮ヶ瀬湖(みやがせこ)や、豊かな自然を抱える、魅力的な自治体として知られています。
そんな清川村を訪れ、心惹かれた神社を調査してきました。
今回は、湯出川(ゆでがわ/ゆづつかわ)の天王様(日枝神社・八坂神社)を紹介したいと思います。
地元民から崇敬された天王様の歴史
天王様の創建年代について、詳しいことはわかっていません。
清川村内にある下原(しもはら)・寺家(じけ)・谷太郎(やたろう)・谷戸(やと)という4村落の総鎮守として祀られてきました。
人々から諸疫災難除けの信仰を集め、流行り病が出ると辻飯(つじめし)を炊き、注連縄を張って平癒を祈願したそうです。
辻飯とは、文字通り炊いたご飯を辻(道路の交差点)に供え、神様にお召し上がりいただきました。
辻は人間だけでなく様々なモノが行き交ったので、そうしたモノから守ってもらうよう道の神様(道祖神など)が祀られていたのです。
実際のところは、野生鳥獣や浮浪者たちの胃袋に収まったのでしょうね。
また祭礼ではお神楽も盛んに行われ、特にジャコロシ(蛇殺し)が演じられました。
ここで言う蛇とは八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に象徴される様々な疫病や災厄を表し、ジャコロシとは素戔嗚尊(スサノオノミコト)がそれを退治するという、日本神話でも有名なエピソードです。
素戔嗚尊は牛頭天王(ごずてんのう。仏教神)と同一視され、共に疫病除けのご利益があると信仰されてきました。
それで素戔嗚尊を祀る八坂神社と、牛頭天王を祀る天王社が統一されて、天王様と呼ばれるようになります。
ちなみに日枝神社の御祭神は山王(比叡山を守護する仏教神)で、大山咋神(おおやまくいのかみ)と同一視されました。
こちらの神社が天王様と呼び親しまれてきたことを踏まえると、日枝神社は後から合祀された可能性が高そうです。
やがて昭和23年(1948年)に村の青年団がお神輿を造営し、八坂神社と日枝神社の神霊を祀りました。
そのお神輿は現在も境内の神輿庫に納められています。
ちなみに境内の最も大きな建物が神輿庫で、その右傍らに並ぶ小さな石の祠が神社の本体です。
三つ並ぶ祠の中央が八坂神社(天王様)、左が日枝神社(山王様)となりますが、右の祠についてはよくわかりません。
文献にも記載がなく、地元の誰かがお祀りしていた神様(お伊勢様?お稲荷様?)をお遷ししたのでしょうか。
例大祭はもともと毎年7月17日に固定されていましたが、昭和48年(1973年)から7月第3日曜日の前日(つまり土曜日)に変更されています。
時代の移り変わりによって、人手を集めにくくなってきたのでしょうね。
鉱泉が湧いた湯出川の龍神伝承
天王様が鎮座する辺り(※)の旧地名(小字)を湯出川(ゆづつがわ)と言いますが、そばを流れる川については同じ漢字で湯出川(ゆでがわ)と読むそうです。
(※)天王様の森を起点として、和田川(わだがわ)に合流するまでの湯出川流域。
古くは由都加波(ゆつかは)・湧出川(ゆづつがわ/ゆでがわ)とも表記され、文字通り湯(鉱泉)が湧き出ることからそのように呼ばれました。
鉱泉は湯出川の両岸から湧き出たそうで、右岸の鉱泉はお風呂によい……つまり肌にやさしいということでしょうか。そして左岸の鉱泉は、切り傷や眼病に効くということで、あちこちから汲みに来る方がいたと言います。
ちなみに右岸と左岸は、下流に向かってなのか、上流に向かってなのかはわかりません。
また現在でも鉱泉が湧き出しているのかについても、資料からは確認できない状態です。
そんな湯出川のうち、天王様のすぐ下を流れている淵を天王前の淵と呼び、昔から雨乞いの儀式が行われていました。
この淵には雄龍、寺鐘の深い淵には雌龍を沈め、雨を呼んで互いに会わせるという伝承が残っています。
また天王前の淵にはカメノコ石(亀の甲?亀の子?)と呼ばれる巨岩があり、奇勝(珍しい風景)として知られていました。
実際に天王前の淵に下りられる階段があったので下りてみましたが、どれでしょうか。
そんな湯出川は、大正12年(1923年)に起きた関東大震災の影響で洪水が発生し、村落の人家が流されてしまいました。
また道路も土石流で埋もれたり崩れたりしてしまったため、村落の人々は道普請(道路工事)を行い、天王様の傍ら(道路向かい)に記念碑を建立しています。
湯出川の天王様まとめ
所在地:神奈川県愛甲郡清川村煤ケ谷(湯出川)2630番地
創建年:不詳
祀られている祠:八坂神社・日枝神社ほか
御神体:不詳
御神木:欅(ケヤキ)・栂(ツガ)・真藤(マフジ)
例大祭:7月第3日曜日の前日(土曜日)
地 積:約300平米
今回は神奈川県清川村の天王様(八坂神社・日枝神社)に参拝し、その歴史や伝承を調査取材してきました。
現地に行かないと感じられない魅力的な雰囲気や、ネット上に載っていない郷土の伝承などを、少しでもお伝えできたら幸いです。
こうした興味深い伝承文化は、まだ日本各地に残っているので、また改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
『昭和四十九年度 祠めぐり』清川村教育委員会、1975年3月
『昭和五十七年度 清川村地名抄』清川村教育委員会、1983年3月
文:撮影 / 角田晶生(つのだ あきお)校正 / 草の実堂編集部