思想として『法華経』を読む――植木雅俊さんが読む『法華経』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
植木雅俊さんによる、『法華経』読み解き
「あなたは尊い存在である」――その、貫かれた「人間観」に迫る。
古くは『源氏物語』から宮沢賢治まで、日本人を魅了し続けてきた法華経。「諸経の王」と呼ばれる経典には、いったい何が書かれているのでしょうか。また仏教の原点に還ることを説く経典に内蔵された、ブッダがほんとうに伝えたかったこととは何なのでしょうか。
『NHK「100分de名著」ブックス 法華経』では、「対立」という壁を乗り越えて「平等思想」を説いた法華経が提示する、「分断」がはびこる世界への「融和」という処方箋について、植木雅俊さんが解説していきます。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全4回)
思想として『法華経』を読む(はじめに)
以前、明治学院大学で日本文化論の授業を担当していた先生が急病で倒れ、ピンチヒッターを頼まれたことがありました。主に留学生向けの授業だったため、『法(ほ)華(け)経(きよう)』と『維(ゆい)摩(ま)経(きよう)』の一部を英訳して朗読し、解説するという授業を行なったのですが、英訳したことで経典に書かれている内容を理解したのでしょう。授業が終わって日本人の学生が近づいてきて言うのです。「仏教っておもしろいんですね」と。「何だと思っていたの?」と聞くと、「葬式のおまじないかと思っていました」。「違います。仏教の経典は文学であり、詩であり、思想だから、おもしろいですよ」と私が言うと、その学生は感心していました。
そのとき私は、仏教に関しては日本人はかわいそうな国民だな、と思ったのです。インドではお経の内容はみんな理解できました。釈(しやく)尊(そん)はマガダ語で教えを説きましたが、弟子たちがサンスクリットに訳して広めた方がよいかと問うと、釈尊は「その必要はない。その地域で語られているめいめいの言葉で語りなさい」と言っていたからです。中国ではそれが漢訳されました。中国語になったわけですから、たとえ字が読めなくても読んで聞かせてもらえばみんな理解できたことでしょう。
ところが日本では、お経は漢訳の音読みという形で広まりました。ですからほとんどの人にとって意味は分からない。六世紀の仏教伝来以来、私たちはその内容を知らずに千五百年ほどを過ごしてきたわけで、これは本当にもったいないことです。お経は現代語訳してもっとみんなに知られるべきだ。私はそう考えました。
その授業に先立つ二〇〇二年、私は「仏教におけるジェンダー平等思想」についての研究で博士号を取得しました。学位論文執筆の過程で、『法華経』のサンスクリット原典、中国魏晋南北朝時代の訳(やつ)経(きよう)僧(そう)・鳩(く)摩(ま)羅(ら)什(じゆう)による漢訳とあわせて、岩波文庫から出ていた岩(いわ)本(もと)裕(ゆたか)による和訳を読み比べてみたのですが、岩本訳に多くの疑問を感じました。
例えば、「転(てん)輪(りん)王(おう)たちは、幾千万億の国土をひきつれて来ており」という表現があります。王が「国土を(・)引き連れてくる」というのはどういうことなのでしょうか。私はサンスクリット原典に基づいて、「多くの国土から(・・)やってきた転輪王たち」と翻訳しました。また、釈尊が過去世において仙人の奴隷として仕えた場面は、岩本訳では「寝床に寝ている聖仙の足(・・・・)を支えた」とありました。仙人というのは、足を他人にがっちりと支えられて、安眠できるのでしょうか。サンスクリット原典を見ると「足」は複数形になっています。実はサンスクリットで複数は三以上のことで、岩本訳では、仙人に足が三本以上あったことになります。しかし、ここは釈尊が四つん這(ば)いになって、仙人が寝ている寝台の脚(・・・・)の代わりを担ったという意味なのです。ちなみに鳩摩羅什はこれらをいずれも正しく訳しています。
そこで私は、八年をかけて、サンスクリット原典からの『法華経』の和訳に取り組みました。そうして上梓したのが『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(上下巻、二〇〇八年、岩波書店)です。左頁(ページ)の上段にサンスクリット原典、同下段に鳩摩羅什による漢訳の書き下し文、右側の頁に私の現代語訳を対照させて並記し、なぜ私の訳になったのかを説明した詳細な注釈を付けました。その後、その本が重厚で持ち歩くには不便なため、ハンディーで「耳で聞いただけで分かる訳を」という要望に応える形で訳文を大幅に見直し、普及版の『サンスクリット原典現代語訳 法華経』(上下巻、二〇一五年、岩波書店)を出しました。
今回はその後に出版した『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』(角川ソフィア文庫、二〇一八年)の訳文を引用しつつ、『法華経』にはいったいどんなことが書いてあるのか、なぜそんなことが書いてあるのかを、皆さんにお話しできればと思います。
『法華経』は「諸(しよ)経(きよう)の王」と言われます。これは、『法華経』が「皆(かい)成(じよう)仏(ぶつ)道(どう)」(皆(みな)、仏道を成(じよう)ず)、つまりあらゆる人の成仏を説いていたからです。誰をも差別しないその平等な人間観は、インド、ならびにアジア諸国で古くから評価されてきました。
日本でも仏教伝来以来、『法華経』は重視されてきました。飛鳥時代、奈良時代を見ても、聖徳太子は『法華経』の注釈書『法華経義(ぎ)疏(しよ)』(六一五年)を著し、七四一年に創建された国(こく)分(ぶん)尼(に)寺(じ)では『法華経』が講じられました。尼寺ですから、女人成仏が説かれた経典として注目されたのでしょう。鎌倉時代に入っても、道(どう)元(げん)が『正(しよう)法(ぼう)眼(げん)蔵(ぞう)』の中で最も多く引用している経典は『法華経』ですし、日(にち)蓮(れん)は、『法華経』独自の菩薩である「地(じ)涌(ゆ)の菩(ぼ)薩(さつ)」「常(じよう)不(ふ)軽(きよう)菩薩」をわが身に引き当て、「法華経の行者」として『法華経』を熱心に読みました。
『法華経』はまた、文学や芸術にも影響を与えています。『源氏物語』には、八巻から成る『法華経』を朝夕一巻ずつ四日間でレクチャーする「法華八講」の法要が光源氏や藤壺、紫の上などの主催で行なわれる場面が出てきます。『法華経』の教えを分かりやすく説いた説話集や、『法華経』の考え方を根拠にした歌論、俳論も多く書かれていますし、近代では宮沢賢治が『法華経』に傾倒していたことはよく知られています。美術の分野でも、長(は)谷(せ)川(がわ)等(とう)伯(はく)、狩(か)野(のう)永(えい)徳(とく)などの狩野派の絵師たち、本(ほん)阿(あ)弥(み)光(こう)悦(えつ)、俵(たわら)屋(や)宗(そう)達(たつ)、尾(お)形(がた)光(こう)琳(りん)など、安土桃山時代から江戸時代の錚(そう)々(そう)たる芸術家たちが法華宗を信仰していました。
『法華経』には、一見すると非常に大げさな、現代人の感覚ではつかみがたい巨大なスケールの話が次から次へと出てきます。しかし、その一つひとつにはすべて意味があります。私は『法華経』をサンスクリット原典から翻訳する中で、その巧みな場面設定に込められた意味、サンスクリット独特の掛(かけ)詞(ことば)で表現された意味の多重性、そして、そこに貫かれた平等思想を改めて発見することができました。そうした表現が持つ意味を解説しながら、あらゆる人が成仏できると説いた『法華経』の思想を読み解いていくことにしましょう。
著者
植木雅俊(うえき・まさとし)
九州大学理学部物理学科卒業、同大学院理学研究科修士課程修了。東洋大学大学院文学研究科博士後期課程中退。1991年から東方学院で中村元に師事し、2002年にお茶の水女子大学で男性として初の博士(人文科学)の学位を取得。NHK文化センター講師なども務める。著書に『仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解』(中公新書)、『仏教学者中村元 求道のことばと思想』(角川選書)。『梵文『法華経』翻訳語彙典 全2巻』(法藏館)など多数。訳書に『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(上下巻、第62回毎日出版文化賞)、『梵漢和対照・現代語訳 維摩経』(第11回パピルス賞、岩波書店)などがある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■「100分de名著ブックス 『法華経』~誰でもブッダになれる。」(植木雅俊著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書における『法華経』の引用は、植木雅俊訳『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』(角川ソフィア文庫)に拠ります。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2019年11月にアンコール放送された「法華経」のテキスト(本放送は2018年4月)を底本として、引用を著者訳『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』(角川ソフィア文庫)に変更、さらに一部を加筆・修正し、新たにブックス特別章「対立と分断から融和へ」、読書案内などを収載したものです。
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